第30話 対峙

 その晩、アルウィンは前もってウィラーフたちやブランシェと相談し、罠を仕掛けておいたのだった。

 夜が来る前にこっそりユミナの館を出て、ワンダと二人、前もって領主館の地下室に侵入する。打ち付けられていた板を外した裏口は、アルウィンたちが中に入ったあと、ブランシェが元通り打ち付けて痕跡を隠してくれているはずだ。そして、ユミナの館では、ブランシェが兄のふりをして床に入り、宝石部分だけを取り替えた紋章を枕元に置いて、眠っているふりをしていた。

 幸い背格好や遠目の印象は似ているから、長い髪を隠して服を取り替えれば、遠目にはアルウィンが館にいるようにも見えたはずだ。念の為、その格好でわざわざ就寝前に窓の側を横切る演技もしてもらった。


 きっとこれで、”エサルの導き手”たちは釣れるはずだと、アルウィンは確信していた。今まで先手を打ち続けてきた彼らのことだ。今回も先手を打てると、慢心しているに違いない、と。

 どうしても直接対面して、確かめたいことがあった。危険だとウィラーフには反対されたが、これは、どうしても自分で確認したいことだった。


 冷たい地下室はなく、じめじめとしてカビ臭い。

 かつての領主館とはいえ、今やここは、ただの廃墟だった。家財道具の一切は運びだされ、がらくたくらいしか無い、ただの空っぽの「箱」だ。地下室からも、かつて置かれていた品の一切が消えていた。そのお陰で、壁面の凸凹はよく見えている。

 「ふが…さむいー…」

ワンダは相変わらず寒さに弱く、ぶるぶる震えている。アルウィンは苦笑しながら、自分の着ていたコートを脱いでワンダにかけてやった。

 「ほら、もう一枚貸すよ。そんなにふかふかした毛皮着てるのに寒いなんて」

 「アルウィンがへんなんだぞ。さむいぞ! うう…」

 「しっ。静かに。そろそろ来るはずだから」

ここに潜んでから、すでに何時間かが経っている。夜半すぎ、来るならそろそろのはず。

 ワンダが、ぴくりと耳を立てた。

 「足音だ」

少し遅れてアルウィンも、地上から続く階段に足音とささやき声が響くのに気がついた。人数は―― 五、六人か。思ったよりも少ない。


 影と共に明かりが近づいてくる。アルウィンは、ゆっくりと立ち上がって来訪者を出迎えた。

 「ようこそ、かつての我が館へ。」

黒い影が足を止め、手にしたカンテラの明かりを向ける。

 ずっと暗がりにいたせいで、その明かりすらも眩しいくらいだが、目が慣れてくると、相手の顔が見えてきた。

 かつて、ワンダの故郷の島で出会った灰色まじりの白髪の老人。

 「オウミ――だな」

明かりを掲げる手を下ろし、長いヒゲの男は不機嫌そうな顔になった。

 「成程。まんまとおびき出されたということか。…だが、非力な者が、たった一人で一体、何をしようというのか」

 「二人だぞ! ワンダもいるぞっ」

コートの塊の中からワンダが手足をばたばたさせながせ立ち上がるが、オウミは、それを故意に無視した。

 「聞きたいことがあっただけだ。それが終われば、好きにすればいい。」

 「ほう?」

 「銀の樹は、ここにある」

アルウィンは右手を、背後の壁に向けた。

 そこには、壁一面を覆う一枚の岩に描かれた、見事な大樹の浮き彫りがある。今までに見てきた中では最も精緻な、ほとんど風化もしていないものだ。いくつかに別れた枝の先には、木の実がなっている。

 その実のひとつの中心に、丸い穴が繰り抜かれていた。

 「あんたたちは何故、”エリュシオン”を欲している? ”エリュシオン”とは、一体何のことなんだ。王の証だと信じている者もいたが、五百年も前の遺物だ。そんなものに価値があるとも思えない。手に入れてどうする? それを掲げて、新たな王を立てるつもりなのか」

 「それを我らに訊ねるというのか」

オウミはせせら笑う。

 「ここまで辿り着いたというのに、哀れなことだ。何も知らないままここまで来たのか? 愚かにも、銀の王家は忘れてしまった。自らの過去を――屈辱を――」

 「なら教えてくれ。」

 「お前たちがひれ伏す、あの王は偽物だということだ!」

オウミの目が燃え上がり、声が震えた。

 「”エリュシオン”は、王の血を引く真の後継者に…イェルムンレクのまことの子孫たる王子エサルに引き継がれるべきだった。ロランなど、後妻の金髪女、スヴァンヒルドの連れ子に過ぎなかった! 王の血は一滴も引いていない。王国は、偽りの王家に乗っ取られたのだ!」

しん、とした沈黙が地下室に落ちた。

 オウミの言葉を聞いても、アルウィンは、表情を変えなかった。


 この旅の途中から、彼は疑いを持ち始めていた。夢物語だと思っていた父の話は、祖先たちが創り上げた、ただの思いこみではなかったかもしれないと。だとしたら、なぜ、その証拠は何も残っていなかったのか。なぜ、リーデンハイゼルを含め他の地域では、もうひとつの王家の伝承が語られたことなどなかったのか。

 もしも…、王家が、”二つに別れた”のではなく、”主系”と”傍系”、あるいは、”正統”と”簒奪者”の関係だったとしたら。

 もしも…、今、リーデンハイゼルにある王家が、後者なのだとしたら。

 いずれ二つの王家が争いあう可能性を予見していたから、都合の悪い歴史は公の記録から消し去られていったのだとすれば――。


 「記録は抹殺され、歴史は隠されたのだ。お前たち自身も忘れた。偽りの王からエサルを守り、共にこの地へと逃れた、我ら”エサルの導き手”なる部族のことも。」

 アルウィンは、目の前にいる、とうに面影すら無くなっているかもしれない血に縛られた、その男を黙って見つめていた。

 アストゥールの建国から、五百年前の歳月が流れた。

 人の一生からすれば、あまりに長すぎる時間だ。

 事実を抹消した人々が抹消したことを忘れ、抹消された側も、抹消されたという記憶すら忘れてしまうほどに。それなのに思いだけが、人の恨みや憎しみだけが受け継がれているとは。


 「――もう一度聞く。何故、”エリュシオン”を欲しているんだ? それが王の証だったとして、お前たちが手に入れたところで何の意味もないはずだ」

 「それが、我らの役目だったのだ」

オウミは、ゆっくりと地下室の中程まで近づいてくる。

 「失われた王の証が再びふさわしい者の手に届くようになるまで、隠し場所は信頼できる者たちに分散して預けられた。だが、それでも不十分だった。どれだけの時を要するかが判らなかったからだ。

 …扉が開かれるまでは五百年。幾多の世代を重ねようとも使命を忘れぬよう、我らだけは語り継いできた。過去を、…隠し場所を記した記録のありかを。それを返すべき者がもはや存在しないとしても、我らは役目を完遂する」

 「レトラの伝承を抹消しようとしたのは何故だ? 人の命まで奪う必要があったのか」

 「あの中には、王国に知られたくない伝承が多く書き記されていたからな」

淡々と言いながら、オウミは近づいてくる。行く手を阻むことは出来ず、アルウィンは脇にどいた。

 「東方騎士団を焚きつけたのは?」

 「丁度良かったからだ。連中は数だけは多い」

明かりに照らし出された老人の顔は、半分が影になり、彫りの深い顔立ちの中、目だけが爛々と輝いている。

 「――五百年前の屈辱を晴らすため、偽りの王を玉座から引きずり下ろす。それが我らの願い。我らの使命!」

”黄金の樹”の紋章を掲げ、老人は、宝玉の部分を壁の穴に挿し込んだ。

 数秒。


 何も起きない。辺りにははしん、と静まり返ったままだ。


 「開かない…!?何故だ」

目を見開いたまま、老人はアルウィンのほうを振り返る。「まさか、貴様…」

 彼は、小さくため息をついた。

 「悪いな。それは母上に借りた宝石だ。高いらしいから傷つけないでくれ」

 「…くっ!」

後ろに控えていた、黒いマントの男たちが一斉に剣を抜いた。だが、ワンダが前に飛び出し、牙を剥いて牽制したせいで、飛びかかってくることが出来ないでいる。

 前回の、クニャルコニャルでの戦いは、彼らに獣人に対する警戒心を植え付けていた。普段はぼんやりして隙だらけのこの種族が、怒りに支配された時には文字通り猛獣と化すことを、身を持って体験していたからだ。

 とはいえ、いつまでも威嚇だけで時間は稼げない。

 ウィラーフたちが到着するのは、もう間もなくのはずだ。アルウィンは、腰に帯びた剣に手を伸ばしかける。

 と、―― そのときだった。

 「ぐわっ」

 「ぎゃあっ!」

一番入り口に近いところに立っていた二人が、同時に倒れた。

 「な、何者 …ぐっ」

素早く駆け寄った黒い疾風が、オウミの手から武器を取り上げ、みぞおちに拳を叩き込む。

 マントの下に、見知った浅黒い顔が現れた。

 「デイフレヴン!」

アルウィンは、思わず喜びの声を上げていた。

 デイフレヴンの後ろからもう一人、長身の男も部屋の中になだれ込んでくる。二人の働きはめざましく、地下室にいた者たちは、あっという間にのされ、片付けられてしまった。

 「ふう。…どうやら、間に合ったようですね?」

 「ちょうど、いいところでな。」

笑いながら振り返るのは紛れもなく、シドレク王その人だ。

 「それに、シドレク様も」

アルウィンは、二人に駆け寄った。

 「良かった…。ご無事だったんですね」

ほっとすると同時に、アルウィンは、まだ未来がすり替えられていないかもしれないことを思い出した。

 シェラの見た未来。クローナの町が炎に包まれる時。――その時は、まだ訪れていない。

 それに、ここにいるのは、ほんの五人ほどだ。”エサルの導き手”たちは最低でも二十人はいて、船まで持っていた。残りがまだ、町のどこかに潜んでいるはずだった。

 彼は緩みかけた気を引き締めた。


 「アルウィン様!」

ちょうどその時、ウィラーフたちが到着した。

 階段を駆け下りてきた彼は、シドレク王とデイフレヴンの姿に気づいて一瞬、足を止めたが、すぐさまやるべきことを思い出し、王の前に駆け寄って膝を折る。

 「安全を祈っておりました。ご無事で何よりです、シドレク様」

 「まァ、そう堅苦しくしなくていい。ところで――」

シドレクは、視線をアルウィンと、部屋の奥の壁にやった。

 うなづいて、アルウィンは懐から取り出した本物の宝玉を壁の穴にはめ込んだ。

 静かな振動。

 ややあって、壁が端からぱらぱらと剥がれ落ちはじめた。本のページを捲るように、端から薄く、ゆっくりと。

 アルウィンは一歩下がり、その下に浮かび上がる文字を見つめていた。


 岩の後ろに隠れていたのは、わずかに灰色がかった、ほぼ真っ白なもう一枚の石の板だった。薄暗がりの中、石の色は白銀に浮かんで見える。

 「――約束の時は満ち足りて」

シェラが読み上げる。



//  約束の刻は満ち足りて

//  扉は再び 開かれん


//  青き導き手が指し示し

//  イルネスの中つ大地にて

//  誓いの子らは出会うだろう



 「これだけ…?」

シェラは首を傾げた。

 「今までに見たものとよく似た雰囲気だし、同じ言葉も出てくる。だけど、これだけじゃ…」

アルウィンは、ちらと後ろで気絶している黒マントの集団に目をやった。

 「彼らなら、意味が判るのか?」

 何気なくやった視線ではあったが、その視線の先に違和感を感じた。何故だろうと考えること数秒。彼はようやく、その原因に気づく。

 オウミがいない。

 「しまった!首謀者に逃げられた」

 「何?」

その瞬間、地面が揺れた。


 ドオン!


鈍い衝撃が体ごと揺さぶり、アルウィンは、よろめいて思わず地面に手をついた。天井の石が軋み、ぱらぱらと細かな破片が降ってくる。

 「まさか…」

あわてて起き上がり、部屋の中を見回した。

 「早く外へ。地下室が崩れる。」

地下室にいた六人は、大急ぎで階段を駆け上がり、館の中へ飛び出した。

 そこはもう、火の海になっている。あまりの火勢に、アルウィンは思わず一歩あとすさった。オウミは逃げる道すがら、前もって館に仕掛けておいた火薬を爆発させていったらしい。

 「予想していたとはいえ、こんな量だったとは…」

 「うわわわ、火事だ火事だっ。」

ワンダはしっぽについた火を必死で叩き消している。

 「なんてことを。歴史ある領主館に火を放つなど…」

 「ウィラーフ! そんなことは今はいい。この館の構造はよく知ってるはずだ。シドレク様を無事に外へ!」

アルウィンはマントを脱ぐと、近くで燃え盛る柱に叩きつける。

 「アルウィン様は…」

 「おれに構うな。今は本来の主を守ることだけを考えろ!」

ワンダも一緒になって、懸命に近くの火を弱めようとしている。その向こうに続く廊下は、まだあまり火が来ていない。一気に抜ければ、裏庭に続く回廊に出られるはずだ。

 ウィラーフは、それ以上何も言わず、頷いて、デイフレヴンと二人でシドレクとシェラを守りながら出口へ向かって駆け出した。




 外に出た時、すでに町は大騒ぎになっていた。飛び散った火の粉や巻き添えで燃え上がった火の手には、自警団が駆けつけて、桶を手に懸命に消火を試みている。近くの家の屋根には、飛んでくる火の粉を払いのけて類焼を防ごうと、雪の入った桶を手にした町の住人たちが登っている。さすがの連携と対応の早さだ。このぶんなら、被害は無人の領主館だけで住みそうだ。

 と、ふいにシドレクが、まだ雪の残る芝生の上に膝をついた。脇腹を抑えている。

 「王様、怪我を?!」

シェラが駆け寄る。

 「まあ…ちょっとばかり油断したツケだ。王宮を脱出するときに食らった。開いてきたらしい…」

 「脱出って」

 「ローエンが裏切った。他の近衛騎士の何人かも一緒だ」

ウィラーフは、はっとした。

 「東方騎士団団長、アレクシス・ローエンの息子…! 確かに、近衛騎士の中にいた。」

 「まさか、近衛の中に反旗を翻すものがいるとはな。とはいえ、ローエンが入団して一年ほど、勤務態度には何ら問題は無かった。疑う理由などないと思っていたのだ」

 「見抜けず、面目ありません」

デイフレヴンが、小さく頭を下げる。

 「いやいや。元はと言えば、私の人を見る目のなさゆえだ。王宮の中にも議会にも、謀反を企んでいる奴がいたようだからな。私が脱出する時、王宮の一部は既に連中に占拠されていた。おそらく今は、ギノヴェーアと残りの宮廷騎士団をどうにかしようと画策しているところだろう。」

 「まさか…そのような情報は、フラニスの連絡網でも受け取っていません」

ウィラーフは、困惑気味の顔をしている。

 「報せが間に合わなかったのだ。奴らの狙いは王国議会だろう。そろそろ開催の時期が近い。議会のために集まった議員を一網打尽にするつもりで、外部にことが知られぬよう密かに動いていた。まずは議会を人質に、ギノヴェーアに王国からの独立でも要求するつもりかな。ま、あれはそう簡単にどうにか出来る娘じゃないが――。」

 「だったら尚更、王様を守らなきゃ」

と、シェラ。

 「無事に王都に帰ってもらわなくちゃ。ね、ウィラーフ」

 「……。」

ウィラーフは頷いて、燃え盛る館のほうに視線を向けた。

 アルウィンとワンダが、まだ出てこない。こちら側の道はすでに炎に包まれてしまった。反対側に逃げられたのなら良いが…。

 「あなたたち!」

その時、少女の鋭い声が飛んできた。消火活動に大わらわの人々の間を縫って、こちらに走ってくる。

 ブランシェだ。

 「一体何が? 兄様に言われたとおり館の周りで自警団を待機させていたのだけれど、いきなり凄い爆発が…。」

言葉が途切れる。

 彼女はシェラとウィラーフの側まで来て、立ち止まった。芝生の上で青ざめた顔をしている、ただならぬ雰囲気を持つ金髪の男に気づいたからだ。その傍らには大剣を帯びた男が膝をついている。剣にはウィラーフと同じ金色の房飾り。

 「そこにいるのは、まさか…」

シェラは慌てて、剣に手をかけようとするブランシェの手を掴んで止める。

 「駄目、ブランシェ。今は過去のことは忘れて。お願い、この人を匿って」

少女の表情に、さっと赤みがさした。

 「何故?! こいつは父上を殺したのよ。町の人たちも大勢…兄様だって、人質にされた!」

 「なるほど、アルウィンの家族、か。」

シドレクは、笑みを浮かべた。「確かによく似ている。」

 「な…」

 「私からも頼む」

と、ウィラーフ。

 シドレクは、どこかのんびりとした口調で言った。

 「過去が許せないなら、後で私を殺せばいい。だが今は、他にすべきことがあるのではないのかな。」

 「命なんて、欲しくもありません!」

ぴしゃりと言って、ブランシェはマントを翻した。

 「…館に案内するわ、あそこなら警備もいるし少しは落ち着くでしょ。ただし母様に刺されないことを祈るのね」

いつしか雪が、降り始めている。息は白く凍え、空気はますます冷えていく。

 かつての領主館は、なおも燃え盛っている。

 ウィラーフは何度もそちらを振り返り、諦めきれないというような顔をする。けれど、アルウィンがこんなところで死ぬはずはないのだ。そう信じて、主君の後を守ってユミナの館を目指した。


 ちらつく白い冬の花びらの向こうには、闇に沈む湖と、その向こうに凍える北の山々の姿があった。

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