第十幕


 第十幕



 永く静かな夜が明け、海の彼方の東の水平線から燦々さんさんと輝く太陽が顔を出し、やがて運命の朝が訪れた。

「……朝か……」

 アホウドリだかネッタイチョウだかの海鳥の鳴き声に安眠を妨げられるまでもなく、眼を覚ました俺は寝袋シュラフから抜け出してドームテントから這い出すと、東の水平線を赤く染める朝陽をその眼に焼き付ける。

「ああ、ようやく起きたようだな」

「ほっほっほ、待っておったぞ、大道よ」

 どうやら俺が眼を覚ますのを待っていたらしい獣王パンチェッタと賢者タリアータの二人がそう言って、ドームテントから這い出した俺を出迎えた。

「おはよう、二人とも。タリアータもパンチェッタも、俺が起きるのを待っててくれたのか?」

 俺がそう言えば二人は無言のまま首を縦に振ったので、俺はダッチオーブンの中に溜められた煮沸消毒済みの池の水でもってばしゃばしゃと入念に顔を洗い、熱中症予防のためにその水をごくごくと何杯も飲み下す。

「ふう」

 顔を洗い終え、水分を補給する事によってようやくはっきりと眼が覚めた俺はそう言って、腹の底に溜まった夜の空気を全て吐き出すかのような深い深い溜息を吐いた。そして背筋をぴんと伸ばしながら立ち上がり、自らの頬をぴしゃぴしゃと数回叩いて気合いを入れ直すと、いよいよ出発の準備に取り掛かる。勿論出発の準備とは言っても、着ずっぱりのアロハシャツの上からフィッシングベストを着込み、つばの広いサファリハットを頭に被るだけの事に過ぎないのだから、特にこれと言って手間は掛からない。

「よし、行くか」

 やがてそう言って覚悟を決めた俺は、砂浜を覆う白砂に突き刺してあった伝説の聖剣ブロード・ディ・ペッシェをおもむろに引き抜いた。

「もう行くのか?」

「ああ、行こう。事態は一刻を争うのだから、いつまでもこんな所でぐずぐずしてはいられない。今すぐにでも怪鳥アッラ・ガルムの魔の手から、さらわれたペンネを奪い返すんだ」

 俺はそう言って伝説の聖剣ブロード・ディ・ペッシェを手にしたまま、神滅の大山がそびえ立つエルディンガー島の内陸部の方角へと足を向け、いざペンネを助けに行かんと一歩を踏み出す。

「貴様が行くと言うのならば、お供するぞ、大道よ」

「不肖このわしも、微力ながらお力添えしてしんぜよう」

 ローブとエナン帽に身を包んだ賢者タリアータと、革のジャケットに身を包んで両手持ちの長剣を携えた獣王パンチェッタの二人もまたそう言って、俺の背中を追うような格好でもってヤシの木が鬱蒼と生い茂る原生林の中へと足を踏み入れた。足を踏み入れた原生林の中は湿度が高くてむしむしと蒸し暑く、一歩一歩前進する毎に、額や首筋からだらだらと滲み出る玉の様な汗が止まらない。

「暑いな」

「ああ、暑い。まるでサウナの中に居るみたいだ」

 俺は生い茂る草木の枝葉を掻き分けながらそう言って、背後を歩く獣王パンチェッタに同意した。

「神滅の大山の麓まで辿り着けば、背の高い木々が姿を消し、吹き抜ける季節風が汗を乾かして少しは涼しくなる筈であろう。そうなれば後は大山の頂上に存在すると言う、怪鳥アッラ・ガルムの巣を目指して一直線に登攀すれば良い」

 そう言った賢者タリアータの言葉通り、神滅の大山に近付くに連れて平坦な土の地面が次第次第に急勾配の岩場へと変貌したかと思えば、やがてあんなにも鬱蒼と生い茂っていたヤシの木やつる植物がその姿を消す。

「霧だ」

 ふと天候の変化に気付いた俺がそう言った次の瞬間、このエルディンガー島の内陸部にそびえ立つ神滅の大山のいただきへと足を向ける俺らの周囲に、不意に真っ白な濃霧がもうもうと発生し始めた。すると絞り立ての牛乳の海の中を歩いているのかと錯覚するほどの霧の濃さに視界を奪われ、先陣を切って歩く俺とその背中を追う賢者タリアータ、それに殿しんがりを務める獣王パンチェッタの三人は前後不覚に陥ってしまう。

「この霧もまた、怪鳥アッラ・ガルムの仕業なのか?」

「そうであろうそうであろう、まさに大道の言う通り、これもまた怪鳥アッラ・ガルムの仕業に間違いあるまい。なにせ件の怪鳥はこのような濃霧を自在に発生させながら神滅の大山に近付く者を惑わせ、やがて歩き疲れて精魂尽き果てたところを狙いつつもその鉤爪とくちばしでもって仕留めに掛かり、捕らえた獲物を巣で待つ雛の餌にすると言われておるからのう」

 賢者タリアータはそう言って不吉な事実を俺に告げるが、だからと言って、ここで立ち止まる訳にも引き返す訳にも行かない。

「とにかく、山頂目指して移動し続けよう。はぐれて迷子にならないように、三人で手を繋ぐんだ」

 そう言った俺の提案に従って、俺は賢者タリアータの手を握り、賢者タリアータは獣王パンチェッタの手を握りながら標高がより高くなる方角目指して斜面を登攀し続けた。そして五里霧中と言う四文字熟語が意味する通り真っ白な濃霧の中をあてどなく彷徨うこと数百m、時間にして小一時間も経過した頃になってから、唐突に霧が晴れたかと思えば間髪を容れず視界が開ける。

「山頂だ……」

 無機質な岩と小石に覆われた斜面に立ちながらそう言った俺の視線の先には、決して登攀が容易とは言えないこの神滅の大山のいただきが、その姿を惜しげもなくさらけ出していた。

「なあ、タリアータ、パンチェッタ、遂に俺達は神滅の大山のいただきを視界に捉えたぞ。あのいただきのどこかに、怪鳥アッラ・ガルムにさらわれたペンネが居るんだな?」

 俺がそう言って問い掛ければ、ローブとエナン帽に身を包んだ賢者タリアータが山頂を指差しながら返答する。

「うむ、その筈であるぞ、大道よ! ここまで来れば、もはや勝利は目前! わしらを待ち構えているであろう怪鳥アッラ・ガルムを返り討ちの憂き目に遭わせ、見事ペンネを救出し、勝利の凱歌を神滅の大山のいただきに鳴り響かせてみせようではないか!」

 ややもすれば過剰なまでに芝居掛かった表情と口調でもってそう言った賢者タリアータと獣王パンチェッタの二人を背後に従えながら、伝説の聖剣ブロード・ディ・ペッシェを手にした俺は、直線距離にしておよそ100mから200mばかり前方の神滅の大山のいただきに改めて足を向けた。そしてその残り僅かないただきまでの道無き道、つまり獣道同然の登山道を三人揃って登り切ると、やがて頂上付近の岩場の陰に大小様々な木々の枝葉を集めて作られた巨大な鳥の巣がその姿を現す。それは一見すると、鳥などではなくティラノサウルスやトリケラトプスと言った、巨大な恐竜か何かの巣の様にも見受けられた。

「ペンネ! ペンネ、そこに居るのか?」

 巨大な巣の元へと駆け寄りながらそう言った俺の問い掛けに、巣の中の何者かが返答する。

「大道? 大道なの?」

 果たしてそう言って俺の問い掛けに答えたのは、褐色の肌と腰まで伸びた艶やかな黒髪が美しいワンピース姿の幼女、つまりペンネ・アラビアータその人であった。彼女は怪鳥アッラ・ガルムの巨大な巣の中で、ぴいぴいと泣き喚く人間の子供大の雛と共に囚われていたのである。

「ペンネ、助けに来たぞ!」

「駄目! こっちに来ちゃ駄目! こっちに来たら、あの大きな鳥に大道まで捕まっちゃう!」

 ペンネが俺の身を案じてそう言った、次の瞬間であった。神滅の大山のいただきに一際強烈な突風が吹きつけたかと思うと、その峰を一瞬にして飛び超えながら、一羽の巨大な鳥がその姿を現したのである。全身が燃え上がるかのような真っ赤な攻撃色に染まり、ぎゃあぎゃあと言う不気味な鳴き声でもって俺を威嚇するその鳥こそ、全身に灼熱の業火を纏って近付くもの全てをことごとく焼き尽くすと言われる怪鳥アッラ・ガルムに間違いない。

「出たな、怪鳥アッラ・ガルム!」

 俺はごくりと固唾を飲みつつもそう言って、怒りに燃える瞳でもってこちらを睨み据える怪鳥アッラ・ガルムを睨み返しながら、手にした伝説の聖剣ブロード・ディ・ペッシェを構え直した。

「心して掛かるが良いぞ、大道よ! 怪鳥アッラ・ガルムは、一筋縄では歯が立たぬ強敵であるが故に、油断は禁物であるからな!」

 賢者タリアータがそう言えば、ペンネを奪い返されたくないのかそれとも雛達を守ろうとしているのか、こちらへと急降下して来た怪鳥アッラ・ガルムは鋭い鉤爪が生えた足でもってこの俺の身体を引き裂こうと試みる。

「なんの!」

 俺はそう言いながら、手にした伝説の聖剣ブロード・ディ・ペッシェを振るい、その刀身でもって迫り来る怪鳥アッラ・ガルムの鉤爪を弾き返してみせた。

「喰らえ!」

 そして返す刀の要領でもって眼の前の怪鳥の足を切り落とさんと試みるものの、伝説の聖剣の切っ先がその身に届くより早く翼を羽ばたかせながら怪鳥は上昇し、俺の一撃は空しく空を切る。

「加勢するぞ、大道!」

 すると獣王パンチェッタが勇ましくそう言って、神滅の大山のいただきに転がる岩を掻き分けながらこちらへと駆け寄って来るなり彼女の両手持ちの長剣を構え直し、怪鳥アッラ・ガルムを撃退せんとする俺の戦列に加わった。

「さあ、怪鳥アッラ・ガルム! どこからでも掛かって来い!」

 頼りになる仲間の助力を得た俺がそう言って挑発すれば、頭上で旋回していた怪鳥アッラ・ガルムはぎゃあぎゃあとけたたましく鳴き叫びながら態勢を立て直し、再びの急降下と共に俺と獣王パンチェッタの二人に襲い掛かる。

「ええい、糞!」

襲い掛かられた俺はそう言って悪態を吐きながら、鋭い鉤爪が生えた怪鳥アッラ・ガルムの二本の足による連続攻撃を獣王パンチェッタと共に弾き返し続けるものの、こちらもあちらも互いに決定打を欠いたまま一進一退の攻防戦を繰り広げるばかりで一向に埒が明かない。

「これでも喰らえ!」

 すると自らに発破を掛けつつそう言った俺は一歩へと進み出ると、敵の攻撃を喰らってしまう事を覚悟しながらもより一層深く踏み込み、手にした伝説の聖剣ブロード・ディ・ペッシェでもって怪鳥アッラ・ガルムを切りつけんと試みた。しかしながら真っ赤な攻撃色に染まる眼前の怪鳥は、その巨大な翼をばさばさと激しく羽ばたかせながら伝説の聖剣の切っ先がその身体に到達する寸前に上昇し、一転して俺や獣王パンチェッタから距離を取る。

「どうした! 掛かって来い!」

 俺がそう言って挑発すれば、頭上の怪鳥アッラ・ガルムはくちばしを大きく開けながら深く深く息を吸い込み始めた。

「いかん! 奴め、火炎を吐く気であるぞ!」

「何だって?」

 怪鳥アッラ・ガルムが次に選択すべき行動を予測した賢者タリアータの警告に、俺がそう言って驚けば、彼は聞いた事も無いような不思議な言語でもって呪文を唱えながら印を切り始める。

「■■■■■■■■! ■■■■■■■■!」

 そう言った賢者タリアータが不思議な呪文を唱え終えるのとほぼ同時に、俺や彼や獣王パンチェッタ、それに巨大な鳥の巣の中で身を屈めるペンネの周囲に淡く輝く光の膜にも似た障壁が姿を現した。そして息を吸い込み終えた怪鳥アッラ・ガルムが一旦呼吸を止めると、次の瞬間にはこちらに向けて、そのくちばしの中心の口腔からごうごうと燃え盛る火炎の吐息を噴き出して俺らを焼き尽くさんと試みる。

「ひいっ!」

 こちらへと迫り来る火炎の吐息を前にして、俺はそう言って身を竦ませながら、まさに文字通りの意味でもって死を覚悟した。脆弱な人間は全身の皮膚に熱傷を負えば容易たやすく死んでしまうのだから、ついつい後ろ向きな感情に心を支配されたとしても無理からぬ事である。しかしながら怪鳥アッラ・ガルムが噴き出した火炎が俺ら四人の身体を焼き尽くす寸前で、賢者タリアータが不思議な呪文によって生み出した光の障壁がそれを中和し、全身に火炎を浴びたにもかかわらずほんのり暖かくなる程度のダメージしか負う事は無い。

「凄いぞ、タリアータ! なんて素晴らしい魔法だ! こんな魔法が使えるだなんて、どうして今まで隠して来た!」

 俺がそう言って彼と彼の偉業を称賛し、また同時に彼が魔法を使える事に驚けば、賢者タリアータはその返礼とばかりに俺を鼓舞する。

「さあ、大道よ! 今こそまさに、僅有絶無にして唯一無二の好機なり! その手に握る伝説の聖剣ブロード・ディ・ペッシェでもって、眼の前に立ちはだかる怪鳥アッラ・ガルムに引導を渡すが良い!」

 賢者タリアータがそう言い終えるのとほぼ同時に、頭上で旋回していた怪鳥アッラ・ガルムが都合三度目の急降下を敢行したかと思えば、やはりその鋭い鉤爪の生えた足でもって俺の身体を引き裂こうと試みざるを得ない。

「今だ!」

 しかしながらそう言った俺はタイミングを見計らいつつも素早く身を翻し、急降下して来た怪鳥アッラ・ガルムの鉤爪による攻撃を巧みに回避してみせながら、その怪鳥の二本の脚の内の一本を伝説の聖剣ブロード・ディ・ペッシェの丹念に研ぎ上げられた切っ先でもって切断してみせた。それは獣王パンチェッタとの浜辺での稽古によって辛うじて身に付けた、にわか仕込みで付け焼き刃の技術ながらも、まさに必殺のタイミングそのものである。

「!」

 脚を切り落とされた怪鳥アッラ・ガルムは鼓膜が張り裂けんばかりのけたたましい声でもって悲鳴を上げ、苦痛と激痛に喘ぎながら、バランスを崩して神滅の大山のいただきの岩場に無様に落下した。

「よし、掛かれ!」

 すると俺と獣王パンチェッタの二人はそう言いながら落下した怪鳥アッラ・ガルムの元へと駆け寄り、確実にとどめを刺すべく彼女は両手持ちの長剣を、俺は伝説の聖剣ブロード・ディ・ペッシェを振るって怪鳥の身体を切り刻み始める。

「!」

 俺と獣王パンチェッタが互いの長剣を振るって眼の前の獲物を切り刻み始めれば、全身に灼熱の業火を纏った怪鳥アッラ・ガルムはぎゃあぎゃあと鳴き叫び、まさに断末魔の叫びとも言えるけたたましい悲鳴を上げながらばたばたと激しく暴れ回り続けた。如何に万民からの恐怖と畏怖の念を一身に集める伝説の怪鳥と言えども、生きたままその身を切り刻まれるのだから、その脳裏に去来する絶望感と喪失感は察するに余りある。

「大道! 首を切り落としてとどめを刺せ!」

 もはや如何なる手段を講じようとも趨勢を覆す事が出来ぬまま、後は死を待つばかりの怪鳥の翼を切り落とした獣王パンチェッタがそう言って、俺にとどめを刺すよう声高に命じた。そこで俺は手にした伝説の聖剣ブロード・ディ・ペッシェを振りかぶり、岩だらけの神滅の大山のいただきに転がった怪鳥アッラ・ガルムの首筋に狙いを定める。

「覚悟!」

 まるで咎人の首を切り落とす介錯人の様な表情と口調でもってそう言った俺は伝説の聖剣を振り下ろし、その切っ先でもって、怪鳥アッラ・ガルムの野太い首を一刀の下に切り伏せた。首を切り落とされた怪鳥は瞬く間に絶命したかと思えば、その身体は一頻りばたばたと暴れた後に、やがてぴくりとも動かなくなって完全に息絶える。

「やった……やったぞ……」

 遂に怪鳥アッラ・ガルムに引導を渡し終えた俺は自分自身に言い聞かせるようにそう言うと、急に膝から力が抜け、へなへなとその場に膝を突きながらへたり込んでしまった。

「大道!」

 すると巨大な鳥の巣の中で身を屈めていたペンネがそう言って立ち上がり、木々の枝葉を掻き分けながら巣から飛び出すと、こちらへと駆け寄って来るなりへたり込んだままの俺の身を案じる。

「大道、大丈夫? どこか怪我してない?」

「ペンネ、お前の方こそ大丈夫か? どこか痛いところとか、さっきの火炎で火傷したところは無いか?」

 ハイビスカスの花模様が染め抜かれたアロハシャツ姿の俺と真っ白い夏物のワンピース姿のペンネは口々にそう言いながら互いの身を案じ合い、また同時に互いの無事を確認し合う事によって、二人揃って深く深く安堵した。

「無事だったんだね、ペンネ」

「うん、大道こそ、あたしを助けに来てくれたんだね」

 そう言った俺とペンネの二人は、互いの身を寄せ合い、まるで運命に導かれた恋人同士の様にぎゅっと固く抱き締め合う。

「ほっほっほ、どうやらこれで大団円、万事が万事丸く収まったと言っても過言ではないであろう」

 抱き締め合う俺とペンネの姿を見守りながら賢者タリアータはそう言うが、そんな彼の言葉に獣王パンチェッタは異論を挟まざるを得ない。

「いや、未だだ。未だこいつらが残されている」

 岩だらけの地面に転がっていた怪鳥アッラ・ガルムの首を拾い上げた獣王パンチェッタはそう言いながら、先程までペンネが身を屈めていた巨大な鳥の巣の中を指差した。すると巣の中には幾匹もの人間の子供大の雛達がぴいぴいと泣き喚きつつも、二度と姿を現す事の無い親鳥と、その親鳥が運んで来るべき新鮮な餌を要求し続けている。

「果たしてこいつらの処遇はどうすべきか、大道、貴様が決めろ」

 獣王パンチェッタがそう言えば、彼女から半ば強引にその処遇を決定するよう命じられた俺は伝説の聖剣ブロード・ディ・ペッシェを手にしたまま巣へと歩み寄り、ぴいぴいと泣き喚き続ける雛の内の一匹に狙いを定めながらその伝説の聖剣を振りかぶった。

「ねえ、大道ってば、親鳥だけじゃなくってその雛も一緒に殺しちゃうの? そんなの可哀想だよ?」

 心優しき幼女であるペンネはそう言うが、ここでこの雛達を生かしておけば、遠からぬ未来に第二第三の怪鳥アッラ・ガルムが誕生してしまう事もまた自明の理である。しかしながら今現在のこの雛達には何の罪も無い事もまた事実であり、そうした事実に眼を向ければ向けるほど、俺は伝説の聖剣を振りかぶったまま逡巡せざるを得ない。

「……」

 暫し逡巡した後に、やがて結論に達した俺は無言のまま、振りかぶっていた伝説の聖剣ブロード・ディ・ペッシェの構えを解いた。そしてくるりと踵を返し、神滅の大山の麓の方角へと足を向ける。

「いいのか、大道?」

「ああ、これでいいんだ。どうせその雛達は親鳥を失って、餌を貰えず、やがて自然と餓死するだろう。だからこそ、今ここで俺がこの手で殺す意味も必要性も無い筈だ」

「優しいのか残酷なのか、どちらか分からん結論だな」

「それは皮肉か?」

 俺はそう言って獣王パンチェッタの問い掛けに返答すると、その場に怪鳥アッラ・ガルムの雛達を残したまま、神滅の大山からの下山の途に就いた。大きな岩がごろごろと転がる山肌を歩く俺の背後に、ペンネと賢者タリアータ、それに殿しんがりを務める獣王パンチェッタの三人が続く。

「ねえねえ大道、あんたってば、あたしが居なくて寂しかった?」

 ドームテントが設営された砂浜目指して山道を歩く途上で、ペンネが悪戯っぽくそう言いながら俺に尋ねた。

「は? いや、まあ、寂しかったと言うか心配だったと言うか……そう言うお前こそ、あんな大きな鳥にさらわれて怖かっただろ?」

「ううん、別に、怖くなかったよ? だってあたし、大道が必ず助けに来てくれるって信じてたもん!」

 やはり悪戯っぽく真っ白なギザ歯を剥き出しながらペンネがそう言えば、彼女の言葉を耳にした俺はあまりの照れ臭さに、思わずサファリハットの下の顔を真っ赤に紅潮させてしまう。

「海だ!」

 やがてそうこうしている内に野生のヤシの木が鬱蒼と生い茂る前人未踏の原生林を縦断すると、まるで吹き立てのガラスの様に透き通る美しい海原と真っ白な砂浜、そしてどこまでも晴れ渡る真っ青な夏空が視界を覆い尽くした。

「眩しっ!」

 ほんの数時間前まで神滅の大山を覆っていた濃霧からは想像もつかない青空を見上げながら、燦々さんさんと降り注ぐ陽射しから眼を守るべく額に手をかざすと、そんな俺の脇をペンネが駆け抜けて行く。

「おい童貞! そんな所でいつまでもぼうっと突っ立ってないで、早くこっちに来いってば!」

「待てよ、ペンネ!」

 そう言って彼女の名を口にしながら、俺もまた伝説の聖剣ブロード・ディ・ペッシェを手にしたまま砂浜を駆け抜け、前を行くペンネの背中を追い掛けた。そしてペンネ・アラビアータ、つまり褐色の肌と腰まで伸びた艶やかな黒髪が美しい幼女に追い付くと、彼女の細く華奢な身体をこれでもかとばかりに抱き締める。

「ペンネ……」

「大道……」

 俺が真っ白い夏物のワンピースに包まれた彼女の身体を改めて抱き締めれば、ペンネもまたそう言って、俺の名を口にしながらぎゅっと固く抱き締め返した。するとそんな俺達二人の仲睦まじい様子を、遅れて姿を現したタリアータ・ディ・マンツォ、つまり西洋のお伽噺に出て来る魔法使いか賢者の様なローブとエナン帽に身を包んだ白髪の老人が微笑交じりはやし立てる。

「ほっほっほ、ペンネも大道も、随分と仲が良くなったものよのう。これは遠からず、二人が結ばれる日が到来するのであろうな? ん?」

 皺だらけの顔に微笑を浮かべながらそう言った白髪髭の賢者タリアータの手には、大きな蛇の生首、つまり怪蛇ペスト・トラパネーゼの首級が挙げられていた。俺ら三人が力を合わせて討ち取った、伝説の聖剣ブロード・ディ・ペッシェをその身を犠牲にしてでも守り続ける、この島に生息する怪物の一つの首である。

「ああ、まったくだ。いくらここが南海の孤島だからと言ったって、二人とも、このあたしにお熱い姿を見せつけてくれるじゃないか」

 賢者タリアータに同意するかのような表情と口調でもってそう言ったのは、彼の隣に立つ長身で筋肉質の獣人の女性、つまり獣王パンチェッタ・アッフミカータであった。そして頭に獣耳が生えた彼女の厳つい手にはこれまた大きな鳥の生首、つまりこの島を支配する怪鳥アッラ・ガルムの首級が挙げられている。

「ペンネ、俺はもう二度と、お前の手を放したりはしないからな」

「うん、大道、あたしも大道の手を二度と放さないんだからね!」

 そう言ったペンネと俺は、まるで互いの身体の凸凹を確かめ合うかのような格好でもって、固く固く抱き締め合った。そしていつまでもいつまでも、二つの身体を一つにしながら再会の喜びを噛み締め合う俺ら二人を、南洋の突き刺すように鋭い陽射しと爽やかな潮風とが祝福し続ける。

「好きだよ、ペンネ」

「あたしも大道の事、大好き!」

 固く抱き締め合った俺とペンネの二人がそう言って、互いの想いを吐露し合いながら顔を寄せ合い、その唇と唇が重なり合おうとしたまさにその時だった。不意に白砂に覆われた砂浜と透き通る海の彼方の、水平線の向こう側からこちらへと接近しつつある人工物の影に、俺の眼が留まる。

「……船だ……」

 呆然とした表情のままその場に立ち尽くし、我が眼を疑いながらそう言った俺の言葉通り、こちらへと接近しつつあるその人工物とは一艘の船であった。それも純白の船体の横腹に『U.S.Coast Guard』と書かれている、アメリカ合衆国沿岸警備隊のマリンプロテクター型沿岸警備艇である。

「船だ! おい、船だぞ、ペンネ! 遂に、遂に俺達、助かったんだ!」

 俺はひどく興奮しながらそう言うが、そんな俺の腕に抱かれている筈のペンネからの返事は無い。

「……ペンネ?」

 そう言って彼女の名を口にすれば、つい今しがたまでそこに居た筈の褐色の肌のペンネの姿はもとより、ローブとエナン帽に身を包んだ賢者タリアータと両手持ちの長剣を携えた獣王パンチェッタの姿もまたどこにも見当たらなかった。そして伝説の聖剣ブロード・ディ・ペッシェを握っていた筈の右手には只の手頃な長さの木の棒が、更に左手には樹上性の毒蛇であるミナミオオガシラと猛禽類の鷹の一種であるハチクマの生首を、何故だか分からないが鷲掴みにしてしまっているのが見て取れる。

「うわ、気持ち悪っ!」

 驚いた俺はそう言って、只の木の棒と共に、真っ赤な血に濡れたミナミオオガシラとハチクマの生首を地面にぽいと放り捨てた。

「おーい、ペンネ? タリアータ? パンチェッタ? 三人とも、どこに行っちまったんだ?」

 俺はそう言ってペンネらの名を呼びながらきょろきょろと周囲を見渡すが、幾ら探したところで、俺と共に冒険を繰り広げた彼女ら三人の姿は影も形も見当たらない。そしてその代わりと言っては何だが、俺がアロハシャツの上から着ているフィッシングベストのポケットにパスタソースであるペンネ・アラビアータの空き瓶と、牛肉の薄切りであるタリアータ・ディ・マンツォと豚肉の塩漬けであるパンチェッタ・アッフミカータの空き袋がぎゅうぎゅうに詰め込むような格好でもって突っ込まれていた。

「ああ……そうか……」

 全てを悟った俺は自分自身に言い聞かせるような表情と口調でもってそう言って、砂浜に立ち尽くしたままがっくりと項垂れながら、手にしたペンネ・アラビアータの空き瓶をためめつすがめつ眺め回す。

「ペンネ……さよなら」

 最後にそう言った俺はペンネ・アラビアータの空き瓶をフィッシングベストのポケットに詰め込み直すと、白砂に覆われた砂浜から波打ち際へと移動し、こちらへと接近しつつあるアメリカ合衆国沿岸警備隊のマリンプロテクター型沿岸警備艇に向けて何度も何度も手を振った。

 こうして俺の無人島生活は、五体満足の内に救助されると言う結果でもって終焉の時を迎えたのである。

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