この人生に喝采を

雨 杜和(あめ とわ)

君のは大きいのかね?



 学生が愛情を込めボッチ教授と呼ぶうめ 砂和さわ名誉教授。彼女の推しはダイダラボッチだ。


 ダイダラボッチとは、古代から伝わる巨人のこと……。


 富士山に腰をかけて休んだ。

 足跡あしあとが湖になった。


 と、まあ、その言い伝え、スケールが大きい。


「物語は大きいほうが面白いわな。うむ、大きいことはいいこっちゃ。ちな、大崎くん、君のは大きいのかね? 正直に答えてよ」


 なんて、口をすぼめてネタをふるのも人気の秘密。


「大きいです」

「そうか。若い頃、私は小さいほうが好みだった」


 ここで、ドッと笑いがおきる。

 毎年、同じギャグだから、ゼミ先輩からの申し送りには、『教授を傷つけないよう、必ず笑え』と書かれてある。


 ボッチ教授、年齢不詳ねんれいふしょうの老嬢。講義は週一回。専門は古代民族学。

 ゼミは大人気で、参加するには書類選考が必須になる。


 しかし、その価値はあった。ゼミ生の特権、伝説のダイダラボッチ踊りをライブで見ることができる。

 老教授が両手を上にあげ、ゆらゆらと手で円形を描き、腰を左右に踊りながら、ある瞬間、ピタっとその動きが止まる。講義室に踊って入るその姿は、こっそり撮影され、SNSで拡散された知る人ぞ知る人気動画だった。



「先生。ダイダラボッチとは、そもそもなんですか」

「いい質問だと言いたいが。しかし、このゼミに参加しての質問、なめとるのかね」

「いえ、真面目に聞いております」

「ダイダラボッチは古くから伝承されてきた巨人、森を守る神とも言われる。日本神話では山を作り、湖を創造した国造りの神でもあった」


 教授の目は次第に鈍い光を帯びはじめる。その講義は空を飛び、宙に舞う。


「なぜ、東京は巨人伝説の中心地なのか。大太郎法師だいたろうほうしが語源で、都内にある代田橋も、そこに由来しているからか」


 教授の講義は教えるというより自問自答の繰り返し。まるで哲学のようだ。



 暑さがゆるみ、枯葉が目立つ時期になると、都内に三十箇所はあると言われる史跡を求め、教授はゼミ生たちとそぞろ歩く。

 手に持った杖を、ときどき振り回しながら精力的に歩く。


「巨人の歩いた足跡を見ていくとね、第一歩が杉並区善福寺内の池になる。二歩目が武蔵野の八丁窪池。三歩目が井の頭公園の池にある、そう、この池だ。わかるかな、大崎くん」


 説明する教授は、推しに夢中な少女だ。


「では、諸君」と、彼女は笑う。

「我が家に招待しよう」


 三鷹市外れで、老猫と教授は住んでいた。


「お邪魔しまーす」と、学生たちは遠慮なく古い民家に入っていく。

「うわ。昭和の匂いだ」

「博物館で見たことがある」


 彼らは嬉しそうに、いっそ失礼な感想を言う。


 家は昔ながらの日本家屋で、裏庭は武蔵野の雑木林に通じている。

 かつてこの一帯は、武蔵原野が広がっていたが、今では開発され住宅街に変貌した。ダイダラボッチが掘ったという井戸も民家に埋もれ、見る影もない。


「まあ、上がれ。酒でも振る舞おう」


 教授の生活はシンプルだ。


 玄関から入った土間の先が座敷で、家具もない。畳の上に盆付き(脚つきのお盆)がおかれ、学生たちはサークルになってすわる。


 中央に、次から次へと手作りの懐かしい料理が並んでいく。自家製梅干しで味付けした山芋、たたきキュウリの梅干し漬け、酒を酌み交わす学生たちは、昭和の匂いに酔う。


「丹沢の山がヒラペッたいのは、なぜか知っているかの」

「富士山を担いで来たダイダラボッチが疲れて座ったから」

「さすが、我がゼミ生。ほら、この酢漬けをやろう」

「ボッチ教授、酢漬けは苦手だよ」

「若い者が何を言ってる。ダイダラ踊りで、活をいれたる」


 老教授は、オッホオッホと笑いながら立ち上がる。

 そうして、ゼミ生が輪になって踊り出すころには、お開きの時間が近い。


 夜も更け、終電近くなると、皆、帰りの途につく。


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