第10話 支え

 話がある。

 珍しく神妙な面持ちでルイシャはそう言ったので、アイリスは襟元を正す。

 いったい何を言うつもりなのだろうか。真面目な話であることは間違いないが、アイリスには心当たりがなかった。


「…………」


 ルイシャは緊張した様子でしばらく喋らなかった。

 沈黙が部屋を支配し、もどかしい時間が続くがアイリスは急かすことなくルイシャが喋り始めるのを静かに待ち続けた。彼ならちゃんと、自分から話し出してくれると信じていたから。


 そして数分間頭の中で言葉を整理したルイシャは、ぽつりぽつりと喋り始める。


「僕は……不安だった。確かに師匠のおかげで強くはなったけど、僕は所詮一人の人間に過ぎない。それなのに勇者の封印を解くなんて荷が重すぎる」


 それは滅多に話さない彼の弱音だった。

 ずっと胸の内に抱え、話さなかった彼の本心。アイリスはその意外な言葉に驚く。


「無限牢獄から出て、すぐにシャロやヴォルフ、クラスのみんなに会って友達になれて本当に運が良かった。そのおかげで僕は何とかその重責に耐えることが出来た。でも……それでも不安が完全に消えたわけじゃなかった。ふとした時に凄い不安感に襲われて、眠れない夜もあったんだ」


 無限牢獄で長い時間を過ごしたとはいえ、ルイシャはまだ十五歳の少年だ。

 長い時を生きれば精神が育つようにも思えるが、精神の成熟とは脳の老化と共に行われる。短命種族が十年で思慮深くなるように、長命種族が百年生きても幼く未熟なままであるように。


 その大きな使命は少年にとって重く、苦しいものであった。


「学園に通うのは楽しかった。でも楽しければ楽しいほど焦りもあったんだ。『本当にこんなことしてていいのか』ってね。ヒト族の寿命は短いしね」

「ルイシャ様……」


 まさかルイシャがそこまで追い詰められていたとは知らず、アイリスは心を痛め悲壮な顔になる。せめて少しでもその痛みを肩代わりできるようその手を優しく握る。

 ルイシャはその手を握り返し、言葉を続ける。


「でもそんな時、僕はアイリスに出会えた」

「私に……?」


 急に自分の名前が出てきたことにアイリスは驚き目を丸くする。

 いったい今の話のどこに自分が関係するのだろうか、と。


「ふふ、その様子じゃ気づいてないみたいだけど、僕はアイリスに救われていたんだ。それまでは『自分がしっかりしなきゃ、僕が全員守らなきゃ……』なんて考えてたけど、アイリスはずっとそんな僕を近くで支え続けてくれた。僕が自分でやるって言ったこともアイリスは無理矢理『私がお世話します』って言ってくれたよね。アイリスに会って、僕はこっちで初めて誰かに甘えることが出来たんだ」

「そんな、私はただしたいことをしただけで、感謝されるようなことでは……」


 謙遜するアイリスのことをじっと見つめながら、ルイシャは言う。


「でも、僕は救われた」


 それは嘘偽りのない彼の本音だった。

 まだ幼い彼にとって『甘える』ということは大きな意味を持つ。

 温かい料理を作ってくれる。朝起こしてくれる。褒めてくれる。抱きしめてくれる。ひとつひとつは大きな行動ではないが、その積み重ねは確かに彼のことを支えてくれていた。


「……恥ずかしくて言葉にできなかったけど、アイリスにはずっと感謝してるんだ。いや……この言い方もダメだね。もっと、素直に、素直に言うよ」


 ルイシャは数秒黙り、そして遂にそれを言う。


「好きだよアイリス。ずっと一緒にいて欲しい」


 ルイシャの素直な思いを聞いたアイリスは目を見開き硬直する。

 そしてその数秒後、右眼からつつ、と一筋の涙がこぼれ落ちる。


「え、アイリス!? 大丈夫!?」

「……すみません、大丈夫です。まさかそんなことを言っていただけると思わなくて……」


 アイリスは目元を手で覆い肩を震わせる。

 いろんな感情が胸の中で渦巻いて一つの言葉に言い表すのが難しい。それでもひとつ、確かな感情があった。


「嬉しいです……とても。私もルイシャ様が好きです。大好き。これからもずっとお側で支えさせて頂けますか?」


 震える声で言う彼女をぎゅっと強く抱きしめ、ルイシャは答える。


「当たり前だよ。ずっと、ずっと一緒だ。テス姉たちを助けた後もずっと一緒にいようね」


 そう言ってルイシャは抱きしめる腕の力を緩め、お互いの顔を見つめ合う。

 まるでルビーのように赤く、透き通った綺麗な瞳。その美しい瞳に吸い寄せられ、ルイシャの顔は彼女に近づいていく。


「あ……」


 かぼそく漏れたアイリスの声は、優しく塞がれる。

 何分、いや何十分そうしていただろうか。言葉ひとつ交わさずお互いの気持ちを伝え合った二人はゆっくりと顔を離し、恥ずかしそうに顔を赤らめ、笑う。


「……なんか恥ずかしいね」

「ふふ、そうですね。初めてしたわけでもないですのに」


 そう言ってアイリスはごろんとベッドの上に横になる。

 そして何かを期待するような目でルイシャのことを見る。


「アイリス……」


 ごくり、と生唾を飲み込むルイシャ。無言で彼女に覆い被さるように四つん這いになる。

 動悸が速くなり、呼吸が荒くなる。すぐにでも欲望の赴くまま行動したいが、それをグッと我慢する。

 アイリスは横になりながら、そんなルイシャの頬を細い指で優しくなぞる。

 指は頬から首、首から胸元とどんどん下の方に進み、ルイシャの劣情を強く煽り立てる。


「ルイシャ様もそんな顔をなさるのですね」


「……ごめん」


「いいのですよ、我慢しなくても。それよりちゃんと教えてくださいね。私が誰のものなのか・・・・・・・を」


 その言葉でルイシャの理性の糸は完全に切れる。


「……アイリスっ!」


 その夜、二人は今まででもっとも強く固く繋がり合い、愛を育んだのであった。

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