豆撒きのはしご ―― 鎮守様のありがたさ
豆撒きのはしごも、いよいよ三社目。
最後は、僕らが住んでいる地域にある鎮守様である。今回巡った三つの神社のうち、最も規模が大きく、神主さんは本殿から少し低くなったところに自宅を構えていらっしゃる。
本殿脇にも社務所があるが、ここは正月その他の行事以外は閉まっていて、普段の日に、お札や御朱印などを頂戴する際には、神主さんの自宅まで出向く必要がある。
数年前、僕がこの地に越してきた際にも、社務所ではなくお宅の方をお訪ねして、お札を授けていただいた。それ以降、毎年正月が来ると、ここの神社に古いお札をお納めして、新しいお札を頂戴するのが例となっている。
境内には、季節ごとに花をつける樹木その他の植物が植えてあり、小鳥などもやってくる。たまに参拝者の姿もあるが、基本的には静かな環境で、花や草木、小鳥、栗鼠などをゆったりと愛でたり、ぼんやりと空を眺めたりするには最適の場所である。何度か狸の姿を見かけたこともある。
そんなありがたい鎮守様なので、僕と家人の二人組はしばしばここにお詣りに来る。
越してきた当座、神主さんのお宅でお札をいただいてから程ない頃であったが、家人と二人で本殿に参拝した後、末社を巡っていたところ、いつの間にかに神主さんが近くにいらっしゃって、
「今日はどちらからお見えですか?」と訊ねられた。
先日、この神主さんから直々にお札を授与されたばかりで、その際に、
「こちらに引越して参りました。今後ともよろしくお願いします」とご挨拶して、しばらく世間話もしたのだけれども、それぐらいでは顔を覚えていただけなかったらしい。まあそんなものなのだろう。仕方がない。
そこで、改めて住所の集合住宅の名前を出したところ、
「あそこなら、ここの氏子の地域に当たりますな」とおっしゃった。
「はい、先日はお宅に伺って、お札を頂戴しました。ありがとうございました」
お礼を述べると、話好きの神主さんは、神社の来歴やら末社や狛犬の由来などについて、かなり長時間にわたって詳しく説明をしてくださった。
これで僕らの顔もご認識いただけたであろうか。
しかるに、その後も、境内で神主さんをお見掛けし、ご挨拶をすることがしばしばあったが、そのたびに、
「今日はどちらからお見えですか?」と聞かれる。
どうも、なかなか覚えていただけないものである。
まあ、こちらの神社はアニメか何かにも登場したことがあるらしく、その聖地巡礼かと思われる参拝客の訪問もちらほらあるようだし、何より神主さんご自身かなりご高齢でいらっしゃるので仕方がない。
ただ、最近ではお会いしても、どちらからというような問いかけはなく、挨拶のみが返ってくるようになったので、そろそろ顔をご認識いただいたのかも知れない。
さて、ここの豆撒きだが、開始されたのは日もだいぶ傾いた夕方。参加者が多いためか、あらかじめ整理券が配られ、行事が終わってから、その券と引き換えにお土産がいただける仕組みになっている。
このお宮の節分行事には、僕らも氏子的立場として堂々と大手を振って参加してもよかろう筈だが、氏子会にも町内会にも入っておらず、祭事や行事に何らのお手伝いもしていないという引け目があって、やはり群衆のもっとも外側で遠巻きに控えていた。
今回は先ほどの二つの神社より人が多く、さすがに僕らのところまでは豆が飛んでこない。
これも仕方がないとあきらめていたところ、終盤になって、神主さんの息子さんから、豆の袋を配っていただいた。この息子さんも神職をなさっており、豆を拾えていない参拝者がいることを、拝殿の上からご覧いただいていたのだろう。装束も床しく狩衣烏帽子姿の禰宜の方の、手ずからじかにいただいた節分豆というのは、誠に何ともありがたく、家人と顔を見合わせて大いに喜んだ。
また、行事が一通り済んだ後、整理券との引き換えで、お菓子やらタオルやらたくさんのお土産までいただいて、物に釣られているわけでは決してないけれども、やはり鎮守様というのはありがたいものだと改めて感慨深く思った。
かくして、三社を巡る豆撒きのはしごはお開きとなった。
このところ、あちらこちらに不穏なことが多かったけれども、節分を機に世の中にあまねく福が行渡ることを切に祈るばかりである。
<了>
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