あまちゃん らんまん 逍遙 馬琴

 NHK BSプレミアム/BS4Kで、日曜日を除き毎朝七時一五分から七時四五分の間、連続テレビ小説の過去作品の再放送と現在作品の放送とが続けて行われている。

 このことは、それぞれの作品を次々に堪能できるという、視聴者にとっては嬉しい側面がある一方、二つの作品が比較されることによって、その出来栄えの優劣が判定されるという、制作サイドにとっては、なかなかにシビアな側面もある。

 昨年の今頃は、二〇〇六年度下半期の作品『芋たこなんきん』と『ちむどんどん』が続けて放送されていた。

 前者は、田辺聖子原作でキャストにも藤山直美、國村隼といった演技巧者ぞろい。昨年の再放送で、二〇〇六年度当時に視聴した人たちの再評価はもとより、当時はほとんど視聴していなかった人たち――僕も含めて――にも、これほどの名作だったのかとの高い評判となった。

 一方、それとは対照的に『ちむどんどん』については、残念ながらネガティヴな評価の方が目立つ結果となってしまった。例えば、Twitterにおいて「ちむどんどん反省会」なるハッシュタグで、脚本や演出、役者の演技などに対する、極めてたくさんの辛辣な批判――というより非難が、次々に投稿されているのをご覧になった方も多かろう。

 あまっさえ、直前の時間帯に放送されるのが、名作『芋たこなんきん』とあっては、さながら〝公開処刑〟の様相を呈することにもなった。沖縄の本土復帰五〇年記念作品ということで、鳴り物入りでの登場だったが、期待通りの結果とはならなかった。


 さて、現在(二〇二三年九月)の放送作は『あまちゃん』と『らんまん』。

 こちらの二作品も、ある意味、好対照となっている。

『あまちゃん』の原作・脚本は宮藤官九郎氏。小泉今日子、薬師丸ひろ子をキャストに迎え、放送当時大変な評判となった作品である。現在もコアなファンが多いとされる。わが家でも家人がそうであり、今回の再放送がきっかけで僕もその一員になりつつある。

 描かれる世界において、東日本大震災という災害は現実のものだが、それ以外のところは全てが創作された架空の設定となっており、モデルのいない現代劇となっている。

 また、登場人物は主人公も含め、癖のあるキャラクター設定が多い。心温まるエピソードも少なくないが、一人一人それぞれの人物が、善人的な要素のみならず、打算的で利己的なふるまいや、小ずるさをあわせ持っていて、リアルに人間臭い。


 一方、『らんまん』は、実在の植物学者、牧野富太郎の人生をモデルにした作品。幕末から明治にかけてが主な舞台となっている近代もので、脚本は長田育恵氏である。

 主人公の名は、「槙野万太郎」ということで、牧野富太郎から少し変えて、あくまでもフィクションであるとのエクスキューズが感じられる。

 この万太郎、〝天然〟でありながら、純真かつ他者への配慮もある好人物として描かれている。実際の牧野とはちょっと違う印象の人物設定だが、ある人のTweetに、主人公が美化されるのは、モデルの出身地や縁者からドラマ制作にかかる有形・無形の支援があるため仕方がない側面があるという趣旨が書かれていた。それはまさにそのとおりだろう。

 まあ、歴史的な事実をモデルとしながらも、そこにかなりのフィクションを織り交ぜて作品にすること自体は、ドラマのみならず、小説などにもありうべきものだろう。殊に、主人公の名前を変えたりして、あくまでもフィクションであると強調した作品ならばなおさらのこと。ただ、その虚構部分の織り交ぜ方には、大いに工夫を要するのではなかろうか。


 例えば、配役その他の設定が、善玉と悪玉に分かれているように描かれると、リアリズムが毀損され、表層的で安直な印象が惹起される。要するに、勧善懲悪的な筋立てであるが、このような作品は、すでに百年以上も前、近代文学が模索される中で、坪內逍遙などによって痛烈に批判されている。


 実は、その勧懲的構図が、残念なことに、この『らんまん』にも見られるのである。


 万太郎やその妻子、同じ長屋の住人たち、万太郎の友人、或いは、土佐の実家である造り酒屋の家族や使用人、恩師、このような人たちは、概ね善良な好人物と設定されている。

 一方、ドラマの前半で展開されたエピソードだが、自由民権運動に関係した万太郎たちを拘束し、一部拷問なども行った警官や看守、実家の酒屋から造石税を取り立てる役人、このような人物たちは、人情を欠いた酷薄極まる悪役として、ステレオタイプに描かれている。

 或いは、中間的な役柄として、教授の田邊彰久(植物学者 矢田部良吉がモデル)や、助教授でドイツ留学を経て田邊の後釜の教授になった徳永政市(植物学者 松村任三がモデル)なども登場する。

 これらの人々は、多くの場面で万太郎に好ましからぬ言動をなす悪玉的存在として描かれつつ、時に、善玉的な一面も覗かせる。

 田邊に関しては、家族への深い愛情や、キレンゲショウマの研究に学生などと力を合わせて熱心に取り組む姿が描かれているし、徳永は古典文学をこよなく愛する人物として和歌を通じて万太郎と心を通わせたり、時には上司に諫言を行って万太郎を擁護したりもする。

 いずれも、完全なる悪玉としては描かれてはおらず、一人の人間の中に、悪と善の要素が混在している体裁になっている。これは、勧徴的構図からの脱出を図った、近代文学以降のリアリズムを踏まえているとも見えるが、しかし、その善悪の振れがどうも極端で分裂的なため、いささか不自然に感じられたりもする。

 なお、これらの人物が悪玉として万太郎の前に立ちはだかる場面は、彼等が近代黎明日本のエリートとして、「国家」の立場を背負ったシーンが多いように思われる。反対に、家庭人や研究者としての田邊、或いは、古典文学の愛好家としての徳永といった、彼等が「個人」的な立ち位置にいるときには善人的な要素がクローズアップされる。


 要するに、このドラマにおいては、国家と個人とを対峙させ、前者を悪、後者を善として描く意図が垣間見られる。

 前者を象徴する、警官や税の執達吏などの官憲、国を背負って立つエリートなどには悪印象が、後者を象徴する、在野の人々、殊に純真な学者や貧しい民衆には好印象が、それとなく醸し出されるべく、脚色や演出が行われているように感じられる。それは最早、イデオロギーの表明と言った方が適当かも知れない。


 特に、国家権力を体現する軍や軍人の描き方は、辛辣である。

 典型的な役としては、陸軍大佐・恩田忠教。

 岩崎弥之助が催した宴席での菊比べにおいて、尊大な態度で無粋な発言をしたり、万太郎との関係では軍の力を背景に威圧的な態度を取る人物である。要するに、頑迷で居丈高といった、厭な軍人としてのステレオタイプな役どころである。

 象徴的なシーンとしては、大学の教授室で万太郎が台湾に渡航するよう告げられる場面。恩田大佐は一人椅子にふんぞり返っており、教授やその他は周りに立たされている。

 そのピリピリしたような雰囲気の中で、戸惑ったような表情の万太郎に、植物調査のため台湾に向かうよう告げられる。唐突な告知に対して、調査に資するため台湾語を勉強する時間が欲しいと懇願するのだが、恩田大佐はその申し出を却下し、通訳を付けるので言語については現地語ではなく日本語を使用するよう、しっかりと念を押す。あわせて、恩田は、危険な台湾での護身用としてピストルの購入を求めるが、殺人の道具を手にしなければならぬことに万太郎は懊悩するのである。

 結局のところ、万太郎は恩田の要求に反してピストルを携行せず、代わりに自身が著した『日本植物志圖譜』を携えて台湾に赴く。そのことで却って現地の人の好感と信頼を得るという筋書きになっている。

 そうして、現地で発見した新種の植物には、現地語を含んだ学名を付けようとする。その際、助教授の細田は、現地語を学名に用いることに強く難色を示し、それでは国や陸軍の意向を害する旨を説くが、万太郎は自身の植物学者としての信念を貫き、あくまで現地語を使用した学名を主張するという展開である。


 ただ、この恩田大佐に関連するドラマのストーリーにおいて、史実や時代考証的には、いくつかおかしなところが見られる。


 まず、恩田大佐が大学教授などを立たせたまま椅子にふんぞり返るシーン。

 陸軍大佐と言えば従五位の奏任官、一方、帝大教授は正五位以上の勅任官。明らかに帝大教授の方が上位の立場であり、その人をさしおいて、下の者が偉そうに椅子に腰かけるなどということはありえない。

 時代考証に不備があると言わざるを得ない。


 また、植物の学術調査に、陸軍が前面に出て来て関与するというのにも、違和感がある。この件に関して、僕はほんの少し調べてみたに過ぎないが、その限りにおいて、牧野富太郎の台湾渡航が、陸軍の意向を受けたものであったとする史料は見当たらなかった。

 脚本家等がどのような根拠、或いは意図で、台湾における学術調査が、陸軍の主導によるものとして描いたのかは知る由も無いが、もし、この設定が史実とは無関係の脚色・演出とすれば、陸軍軍人が傲慢な態度で植物学研究に介入したかのようなストーリーは、視聴者などに史実に対する誤解を招くものではなかろうか?


 それから、ドラマで、万太郎はピストルを携行しなかったことになっている。先述のとおり、そのことで現地の人との信頼関係を得たように脚色されているのだが、史実においてはまったく違う。牧野富太郎は実際にピストルや弾丸を購入した上で台湾に渡航しているのである。ピストル携行が、誰かしらからの指示、或いは、アドバイスだったのかは分からない。牧野の自発的な判断だったのかも知れない。

 朝鮮に比べて台湾は「難治の土地」と言われ、統治経営が難しかったとされる。特に、牧野富太郎が学術調査を行ったのは、明治二九(一八九六)年であり、その当時の台湾が日本人にとって危険なところであったのは間違いない。

 明治初年、まだ琉球処分も行われておらず、当然、台湾も日本の統治下にはなかったが、牡丹社事件が生起している。この事件は、宮古島の船が嵐で遭難し台湾に漂着した際、乗組員のうち五十数名が先住民に殺害されたものである。

 牧野が台湾に渡航する前年には、台湾の日本への割譲に反対する、清国人も含めた勢力により台湾民主国の独立が宣言され、その鎮定のため投入された日本軍と現地の武装組織との間に武力衝突が起こった。また、日本人教師が殺害された芝山巖事件など、抗日蜂起が発生している。有名なところでは、霧社事件だが、これはだいぶ時代が下がる。

 主人公の万太郎を、純真かつ善良で、現代的な〝平和主義〟の価値観にも合致するような人物として描きたい、ピストルなどは持って行かないでほしいという制作側の願望は分らぬでもないが、れっきとした史実を改竄して脚色するのは、妥当と言えるのだろうか?


 更に、新種の植物の学名に関して、日本語の使用に固執する圧力があったというエピソードだが、これについても不審がある。

 ドラマと同様、牧野富太郎は台湾で調査した植物、愛玉子に”Ficus awkeotsang Makino”と学名を付けている。”awkeotsang”が現地語に由来しているというドラマの設定も事実に即している。ただ、先にも述べたが、ドラマではこの部分が現地語であることを問題視され、日本語に改めるよう強く求められることになる。しかし、命名に関してこのような悶着があったという史実は、僕が少し調べた限りにおいては、どこにも見当たらない。命名に関して何らかの横槍が入ったという話自体、見付からない。したがって、この学名に関する挿話は、脚本家等によるまったくの創作ではなかろうかと疑われる。

 そもそも、学名に現地の言葉を用いることに、いかなる理由で陸軍が横槍を入れるというのだろうか?

 なぜ日本語でなければならないのだろうか?

 時代が下がって昭和に入り一九四〇年代には、敵性語排斥運動などもあったが、ドラマの時代設定とは全くずれている。元来、敵性語排斥運動は民間が主導したものであって、軍が推進したものではないし、台湾の言葉はもとより敵性語ではない。

 また、統帥権干犯問題の後の昭和の陸軍とはまったく違って、明治時代、政府内において、陸軍はそれほど大きな勢力を誇っていたわけではない。

 こうした歴史的背景を考慮するならば、明治の陸軍が、大学の植物学研究に口を挟み、学名に文句をつけるなど、随分突拍子もない話に思われる。

 もしかしたら、制作側としては、明治と昭和の時代背景の違いなどに十分な考証を行うこともなく、お門違いな介入も辞さない横暴な陸軍という設定を行うことで、その悪役ぶりを際立たせたい意図があったのかも知れない。

 もしそうだとするならば、このような捏造的脚色は、果たして妥当なものと言えるだろうか? 学名の経緯に関する史実を、ドラマの脚色どおりだったと認識する視聴者も出てくるだろう。


 この学名の件を含め、ドラマでの台湾関連のエピソードにおいては、日本語の使用に固執する軍人や大学関係者、或いは、台湾総督府の役人と思しき人物などが、しきりに描かれている。

 どうしてそこまで日本語を使用せよと拘るのだろうか?

 そこで、近代における日本語とその周辺に関する諸事情について少し振返ってみて、日本語の使用に固執している人物たちという脚色・演出が、果たして妥当なのか否かについて検討してみたい。


 そもそも、日本の近代史において、言語に対する価値観にはさまざまな変遷があり、過去と現在とでは考え方が全く違っているという事実に、まずは注意が必要である。

 明治においては、日本語の文字、特に漢字は習得などに難があるということで、漢字廃止論やローマ字運動などがあり、文相にもなった森有禮ありのり――ドラマにも登場している――などは、日本語を廃し英語を使用すべきと主張した。ドラマにおいても、教授である田邊が一方でローマ字運動を推進したことが描かれている。

 それ以外にも、世界語となることを企図して人工的に作られたエスペラントを普及させるための、日本も含めた国際的なエスペラント運動などもあった。右翼的国家主義を標榜し、二・二六事件のフィクサーともみなされる、北一輝なども実はエスペラントの推奨者であったとされる。

 志賀直哉などは、日本語をやめて〝美しい〟フランス語を採用することを提案している。

 このように、明治から昭和中期の近代日本における、言語に対する価値観からすると、必ずしも日本語を優れたものとして称揚するような雰囲気にはなかった。

 このことは、まず銘記しておきたい。


 牧野富太郎が台湾での調査を行った頃の日本は、その少し前の鹿鳴館などに象徴される欧化主義の隆盛に対抗するように、アジア主義、日本主義、国粋主義といったものがだんだんに興ってきた時代ではある。しかし、『らんまん』で描かれているような、あくまで日本語を使用せよと固執する雰囲気の演出は、明らかに、そして甚だしく誇張が過ぎている。


 昭和に入ると、国粋主義がいよいよ台頭し、日本を一等国と見なし、大東亜共栄圏に象徴されるような、日本こそが世界のリーダーになるのだといった思想も一般化する。しかし、そのような時代であってもなお、台湾では普通に台湾語が使用されていた。

 その事実を示す一例として、僕の家族、とりわけ祖母の話を紹介したい。

 僕の祖父母や父、父の兄弟は、大東亜戦争の敗戦前、台湾に住んでいた。殊に僕の祖母は現地の言葉に堪能で、台湾の人たちとの普段の会話は台湾語で行っていたという。

 大正生まれの祖母は、物心がつく前に親とともに台湾に渡り、そこで育ち、結婚後もそこで生活していたのである。

 現地の人との交流も親密だったようで、台湾の言葉をほとんど母語同然に覚え、使用していたという。近所に住む現地の人――祖母の言では、たしか平甫族の女性だったように記憶する――が、赤ん坊だった僕の叔母を非常にかわいがっており、敗戦で引き揚げる際に、「内地は食糧難だと聞いている。この子がひもじい思いをするのは忍びないから、台湾に置いて行きなさい」との申し出があったそうである。ただ、そうは言っても、親子離れ離れになるのは何とも辛かったので、連れて戻ったという。

 また、内地に戻ってからも、日本人との会話の中で、思わず台湾語の語彙が祖母の口から飛び出してしまうこともたびたびあったという。

 このことからも、日本統治下の台湾において、現地の言葉が現地の人のみならず、祖母のような内地人にも自由に使用されていたことは間違いない。

 殊更に日本語の使用が強要されていたかのような『らんまん』での脚色・演出は過剰であり、事実にもとるものと言わざるを得ない。


 ただ、台湾や朝鮮の学校等において、日本語教育が強制的に推進され、色々な場面において日本語の使用が推奨されたことは、明らかな事実である。それは、インドで英語が公用語となっていることや、アフリカなどでフランス語が公用語になっていることとも、共通するものであろう。或いは、アメリカの英語、中南米のスペイン語やポルトガル語、更には、チベット、ウイグル、現在の台湾などでの北京語の使用、中央アジア諸国でのキリル文字の使用も同断と言えよう。

 言葉が異なる人々とのコミュニケーション・ツールとして、立場が強い方の言語が選択されやすいというのは、人権思想や価値観などが著しく現代と異なっていた当時としては、仕方がなかったことのように思われる。


 なお、台湾や朝鮮の立場から見れば、日本語が押付けられたということになろうが、当時の時代背景を見ると、実はこのことは、外地における日本語の強要というより、日本全体における「標準語」の強要と言った方が適当な気もする。


 明治以降、戦前において、日本語には、東京山の手の口語をもとにした言葉遣い、標準語という概念があった。当時は、日本国内でも方言が違うとコミュニケーションが取れないことが多く、コミュニケーション・ツールたる公用語として、標準語教育が推進された。

 学校の授業などでは、方言は不可とされ、標準語を使用するよう指導された。北海道・東北から九州・沖縄に到るまで、各地で話されていたお国言葉は皆、下等で汚い言葉と見なされたのである。甚だしくは、休み時間などでの会話まで制限を受けたらしい。学校で生徒が方言を話すと、罰として方言札を首からぶら下げさせられるという話は、沖縄での逸話として語られることが多いが、東北や九州などにおいても方言札は存在したとされる。

 これを見ると、台湾や朝鮮、或いは、アイヌの言葉だけが憂き目に遭ったというより、内地、外地に関らず、日本全体で標準語の使用を強く推進する施策が実施されたということだろう。それによって、共通的なコミュニケーション・ツールの確立が企図されたと見るのが実態に即しているように思う。

 勿論、そこには方言札のような行き過ぎもあっただろう。そもそも、どんなことであっても、ある方針を推進しようという場合、組織の中間管理職以下には、往々にして過剰反応をする人たちが存在する。これはあらゆる組織で起こりうることであり、その現実を僕らはよく認識しておく必要があろう。

 戦後において、標準語という概念はなくなったが、新聞、書籍、テレビ、ラジオその他のメディア、或いは、教育現場などにおいて使用され続けたのは、共通語と名を変えた、旧標準語であった。

 その影響は、現在において絶大で、今や地方ごとの言葉遣いの差異は極めて小さくなり、方言が滅びつつある。僕の郷里の九州などでも、若い人たちの会話を聞くと、方言の語彙が喪われているのみならず、アクセントまでも変化しているのには驚かされる。非常に寂しいことではあるが、あきらめざるを得ないのかも知れない。


 いささか脱線して随分ドラマから離れてしまった。

 軌道を修正し、ドラマの話に戻ろう。


 さて、以上縷々述べてきたが、『らんまん』の制作側に、国家や軍と主人公とを対峙的に描きたいとする意図は、明確にあるものと考えられる。

 国家権力、或いは、それを端的に象徴する武装組織たる軍隊、要するに、強大な体制側であるが、その〝体制〟側と虐げられる〝市民〟という対峙的な構図は、いわゆる〝進歩派〟がことあるごとに提示してきたものである。

 まあ、一種のイデオロギーと言えよう。

 その淵源の一として、占領軍が行ったWar Guilt Information Programの影響もあろうかと考えるが、ここでは詳述しない。

 ただ、このような〝進歩派〟の流れをくむイデオロギーが、連続テレビ小説のようなドラマにおいて、しばしば姿を現すことには、認識的であった方が良いように思う。


 そうして、『らんまん』の脚色・演出からも、その〝進歩〟的なイデオロギーの臭いが、そこはかとなく漂ってくる。

 その是非については、色々な意見があろうが、あまりに度が過ぎると、勧善懲悪的なプロパガンダ作品に堕してしまうので、制作陣にはご注意願いたい。


 なお、勿論、僕は表現の自由や内面の自由の信奉者である。多様な意見や考え方、価値観などを自由に保持し、また表現でき、それに対する冷静な反対意見も保証されるような社会こそが真に望ましいと考える。

 ただ、それにしても、かつて実在した人物を描くのに、史実を大きくげてまで表現することが、妥当と言えるだろうか? そこはよくよく吟味すべきところであろう。


 僕の印象からすると、『らんまん』の主人公は、モデルになった牧野富太郎本人との対比において、今や、かなり人格的に違う人物になっているような気がする。


 牧野富太郎は幕末の生まれであるが、少年期から青年期を経て中年期までを「明治」という時代で過ごしているため、その時代的風潮の影響を大いに受けた人物であったのだろう。「明治人」という言葉もあるが、その言葉に当てはまるような人物だったことが、彼の書いたものや、彼に言及した書物などから窺われる。

 ドラマの万太郎と違って、牧野には、いかにも明治人らしく、国威発揚にも積極的な一面があった。彼が著した『牧野富太郎自叙伝』には、次のような記述がある。


「日本人はこれ位の仕事が出来るのだということを、世界に向かって誇り得るような立派なものを出そうと意気込んでいた」

「『大日本植物志』の如く、綿密な図を画いたものは、斯界しかいにも少ないから、日本の学界の光を世界に示すものになったと思っている」

「自分でいうのもおかしいが、世界に出しても恥しくなくまた一面日本の誇りにもなるものが出来たろう」


 勿論、『らんまん』の主人公は牧野本人ではなく、脚色された「槙野万太郎」である。

 展開される物語は、史実をそのままになぞるものではなく、史実を一応は踏まえつつも、さまざまな創作や脚色を自由に施したフィクションである。


 そのことは大前提であるにしても、このドラマを見る大多数の視聴者が、ドラマで演じられている人物と、実在した牧野富太郎とを重ね合わせていることは間違いない。

 ドラマを見て、牧野富太郎はこんな人だったのかとか、当時はこんなことがあったのかとか、真に受けて誤解する人も少なくなかろう。

 それが現実である。


 この現実を踏まえてみると、モデルとあまりにも乖離した人物設定や、あからさまな史実の改竄は、モデルや史実に対する、多くの視聴者の誤解を、著しく助長することにはならないだろうか?

 あわせて、実在モデルの人格権という観点からも、それを損なってしまうことにはならないだろうか?


 ところで、ドラマにおいて万太郎の妻である寿恵子は、曲亭馬琴の大の信奉者で愛読書は『南總里見八犬傳』という設定になっている。これも、おそらくドラマにおける脚色と想像する。実在の牧野壽衞と馬琴とを繋ぐ情報は、少し調べた限りでは出て来ない。

 このエッセイの冒頭で、明治の中頃――『らんまん』の舞台とも時代的に重なる――において、坪內逍遙らが勧善懲悪を批判したことに触れた。

 逍遙の『小說眞髓』において、「一時瞬閒といへども心猿しんゑん狂ひ意馬いばおどりて彼の道理力と肚の裏にて鬪ひたりける例もなし」などと痛烈に批判された対象こそ、この「馬琴」であり、『八犬傳』である。まあ、実際のところは、逍遙による痛罵ほどではなく、登場人物の葛藤を示す心理描写などをきちんと馬琴は書いており、それらは後世再評価されたりもするのだが、当時において馬琴と言えば旧弊でリアリティに乏しい戯作者、勧善懲悪の権化という烙印が押されていた。


 そうしたことどもを考え合せると、この『らんまん』の勧徴的構図に、何か皮肉な因縁めいたものを感じる。


『らんまん』とその前の時間帯に放送される『あまちゃん』とを改めて見比べると、僕にはやはり『あまちゃん』の方がおもしろいし、人間というものの真実が描かれているように思う。

 願わくは、終盤にかけて、『らんまん』の勧徴的なプロパガンダの色彩が薄まって行かんことを。


 植物好きの僕としては、牧野博士に対する思い入れもあり、また、祖父母や父が過ごした台湾への愛着も深い。博士の人格や事績、台湾の歴史などが、歪められた形で世の中に伝わってしまうことを、非常に残念に思う。


 なお、僕が敷衍したところは、たくさんの史料などを渉猟し詳細に調査した結果ではないので、もし事実関係に誤りなどあれば、どうか教えていただければ幸いである。


 また、末筆ながら、『らんまん』のコアなファンの方、制作スタッフ、キャスト等、関係者の方々には、批判的なエッセイを書いたことを、この場を借りてお詫び申し上げる。



                         <了>












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