黄昏時に零れ落ちて行く遺失物――車内販売と食堂車

 東海道新幹線のワゴンによる車内販売が、今年の秋頃廃止になるという。そのニュースにSNSでは、口を焼くような熱々のコーヒーを懐かしんだり、あるいは、スジャータのかちかちに凍ったアイスクリームが食べられなくなることを寂しがったりする意見などが見られた。

 僕も同様に、ああ、とうとう、こういったものまでをも、僕らは喪ってしまうのかという感慨を禁じ得なかった。

 「失われた」という辞が冠される一九九〇年代以降、僕らはそれまでそこに当り前のように存在していたものをどんどん喪失し続けている。そうして、それらは、喪われて始めて、本当にかけがえのないものであったと気付くことが多いのである。還暦が近付き、人生の終末に向けた歩みを着実に重ねている僕にとって、若い頃から親しみ、自らの心を豊かにしてくれた懐かしい事物が一つ、また一つと消えゆく、その後姿をなす術もなく見送ることは、何とも物悲しいものである。


 車内販売どころか、僕が若い頃には、長距離列車には食堂車が付いていたりしたものである。內田百閒の『阿房列車』などにも、食堂車で御酒を聞し召す、愉快で羨ましいようなシーンがたびたび出てくる。

 田舎の子供だった僕にとっては、列車に乗るということ自体、少時ほとんど経験が無く、食堂車と言えばまさに憧れのような存在であった。「旅」という、人生の中での特別な一場面を彩るのに、食堂車というのは、極めて効果的な道具立てのように思われる。次々と展開される車窓の見慣れぬ美しい景色を眺めつつ、食欲を満足させることの至福。

 ただ、僕には食堂車で何かを食べた記憶はほとんど無い。おそらく、成人してからの二回ほど。そのうちの一度は、新幹線のビュッフェ(立食スタイルの軽食堂)でインスタントのようなカレーライスか何かを食べただけではなかろうか。逆に言えば、そのように、滅多に体験しないものだからこそ、余計にその価値が尊く感じられるという側面もあるのかも知れない。


 『阿房列車』など百鬼園随筆の愛読者であれば、「日本食堂」の名をご記憶の方も多かろう。戦前から国鉄での食事提供を引き受けていた株式会社で、駅にはレストランなども展開し、內田百閒の誕生日を祝う摩阿陀會まあだかいはしばしば新橋駅の日本食堂で開催されていたらしい。また、最近までも、東京駅には「日本食堂」の名を冠するレストランがあったように思うが、調べたところ、どうやら現在は無くなっているらしい。

 日本食堂株式会社は、一九七〇年代頃から「日食」「にっしょく」などの略称をブランド名として使用し、国鉄民営化後にはJR東日本の資本が入り、「株式会社日本レストランエンタプライズ」を経て、現在は「JR東日本フーズ」という社名なっている。駅でよく目にする「Becker's」というカフェなどはこの会社の経営による。

 一方、東海道新幹線の車内販売は、「株式会社ジェイアール東海パッセンジャーズ」が担っている。この会社も、もともとのルーツをたどると、日本食堂の流れになり、国鉄民営化直後の一九八八(昭和六三)年に、分社化されている。


 僕が食堂車を利用したのはおそらく二回ほどということは既述した。これには、すでに僕の子供の時代から、食堂車の廃業がじわじわと進行していたという事情も大きく関係しているようである。

 すなわち一九六〇年代後半から七〇年代、高度経済成長の下、各家庭には自家用車が急速に普及して行った。それに伴い、国鉄を始めとする鉄道による輸送手段は次第に斜陽になりつつあった。

 今、再放送されている連続テレビ小説『あまちゃん』でも、北三陸鉄道関係者の口から、しばしば「モータリゼーション」という単語が憎々しげに吐き出されるが、『あまちゃん』の時代設定は二〇〇八年から二〇一二年頃。実はその四十年以上前から、モータリゼーションの波は急速に日本を覆いつつあり、それに並行するように、かつては当然のように列車に連結されていた食堂車も、一つ、また一つと消えていく運命にあったのである。


 先に述べたように僕と食堂車との縁はほとんど見るべきものが無いのだが、一方で、ワゴン販売については大いに利用してきた口である。百鬼園先生ではないけれども、列車による長旅には酒が付物という認識が僕にはある。ワゴン販売で弁当を買ったことはほとんど無いが、酒やつまみを購入するのはしょっちゅうであった。酒にしても、ビール、日本酒、ワイン、ウイスキーなどさまざま。つまみの方は、酒の種類に合わせて、サンドウィッチだったり、ナッツやその他の乾きもの、あるいは、ご当地の竹輪・蒲鉾など。奮発して高級な帆立の干貝柱を手にしたこともある。

 もちろん、車内販売の商品は市中に比べるとかなり高額になるのは百も承知なのだが、柳田國男が説く「はれ」の区分において、旅の時間は、まさに「はれ」のひととき。高い廉いといった日常の感情に支配されるなど縁起でもない。ワゴンにたくさん積まれたご当地名物など、あれやこれやを、あれかこれか、あれでもないこれでもないと物色する楽しさは、浮き立つような旅の情緒に実に似つかわしい。値段のことなど、二の次である。

 車両の入口扉が開いてワゴンが近付いてくる時の胸のときめき。あるいは、ついうとうとして気付かぬうちにワゴンが行き過ぎてしまった時の悔しさ。あるいは、待てども待てども、なかなかワゴンがやって来てくれない時のもどかしさ――

 そのような悲喜交交を含めて、列車旅の醍醐味の一つに間違いなかろう。


 十年程前だろうか、僕は自宅から少し離れた場所で、単身赴任のような勤務を数ヶ月間送ったことがあった。勤務地は、新幹線を利用して片道二時間ほどのところであった。したがって、週末はちょくちょく自宅に帰っていたのだが、その金曜日の夜、自宅に向かう新幹線の中で、ワゴン販売から酒やつまみを買っては自ら慰労をするのがルーティンになっていた。一週間の労働から解放され、家族との再会と安息の時間とを楽しみに、プラスティックのコップを片手に過ごす至福の一時。

 あれから、新幹線を利用する機会はずいぶん減ったけれども、まさかワゴン販売がなくなる日が来るとは思ってもみなかった。


 もっとも、グリーン車などでは、今後、ワゴン販売の代りにモバイルにより飲食物などを購入するシステムができるという。ただ、僕のような庶民には、グリーン車はどうも敷居が高い。それに、モバイル画面で注文するというのは、非常に便利で効率的ではあるけれども、非効率だからこその味わいというものもあろう。前述したが、ワゴンの到来にわくわくしたり、陳列された品物をあれこれと実地に見定めて購入するなどというのは、モバイル販売には代えがたい旅の情緒なのである。






                         <了>




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