ひやじると呼ぶなかれ
冷汁は宮崎県の郷土食として、今や全国区の知名度であるが、僕は九州人であるにもかかわらず、子供の頃、そのような食べ物は全く知らなかった。つまり、その当時、冷汁はごく一部地域に限られた食べ物であったことの証左であろう。冷汁が全国に知れ渡ったのは、一つには、かつて宮崎県知事を務めた東国原氏の影響によるものかも知れない。
僕が初めて冷汁を食したのは、所帯を持ってからである。
その存在自体は、独身の頃に読んだ檀一雄の料理随筆集『檀流クッキング』に登場したので知ってはいたが、決して食指を動かされる事は無かった。
一方、家人にとっては子供の頃から慣れ親しんだ食べ物で、夏などは毎朝冷汁を食べるほどに定番だったという。
その家人から最初に冷汁を薦められた時、氷の浮いた冷たい味噌汁、しかも生の胡瓜が入った味噌汁なんぞを、熱い飯に掛けるとはもっての外だ、せっかくの温飯が台無しではないかと強い拒否感を抱いた。
しかし、家人は「騙されたと思って……」などと、うまく僕を丸め込んだのであろう。そもそも一般的なことを言えば、「騙されたと思って……」などとそそのかされて、騙されない
普段なら決してそのような危ない橋を渡る筈はない臆病なこの僕、否々、「慎重」なこの僕が、新婚時の或る日、何を考えたか、その甘言に乗ってしまった事は間違いない。
今から慮るに、その時の僕の脳裏には、新婚早々、人生の伴侶が推奨するものを無下に断るのも先々を鑑みるにいかがなものかという、卑しい損得勘定が働いたものかも知れぬ。
いずれにせよ、家人の甘言に致されて、冷汁を口にした僕であったが、その顛末はどうであったか?
騙されるに決まっていると恐る恐る口に運んだ筈だが、
今では、冷汁は僕の大好物である。
さて、わが家の冷汁の作り方を紹介しよう。
とは言え、わが家の
具としては、先程の笹身を細かく裂いたもの、胡瓜の薄切り、そして、茗荷、新生姜、大葉の千切り、半ば潰した木綿豆腐。
なお、味噌は、濃い色のものよりも、色の白い麦味噌や米味噌の方が良かろう。いずれにせよ、この調味料は味わいを大きく左右する極めて重要なものであるので、よくよくの吟味が肝要である。
こうして拵えた冷汁であるが、鮮度が何よりも命である。早速、容器に氷を幾つか浮かべて急冷し、熱々の温飯――殊に麦飯がよかろう――と共に速やかに供すべし。
出された方も、猶予はならない。ぐずぐずしていては、氷が解けて水っぽくなってしまう。
一刻も早く、汁を飯に掛け、蛮風を発揮して口に搔き込む――これのみ。上品に食べていたのでは、冷汁の醍醐味を味わう事は叶わない。せいぜい野蛮に徹することである。そうすると、茶碗に三杯は軽く過ごしてしまう――還暦がそろそろ目の前にちらつき始めた者の肚にとって、三膳というのはいささか危険である。
さて、巷では、冷汁に使う味噌を火で焙ったり、具材に鰺を焼いたものの身をほぐして加えたりもするやり方も存在する。わが家でも試してみたことがあるが、やっぱり、僕にとっては先に述べたレシピが一番のように思われる。
わが家の冷汁において、味噌を焼いてはならない。また、具材は、笹身、胡瓜、茗荷、新生姜――
そして、笹身を茹でて使うというところは、家人のオリジナルらしい。鶏肉好きの僕に合わせた工夫だという。何ともありがたいことである。
ところで、「冷汁」と書いて、諸賢は何とお
世間一般には、「ひやじる」と呼ばれることが多いようであるが、家人によれば、そのような言い方は、地元では決して行われないとのことである。先に登場した『檀流クッキング』には、「ひやっちる」と書いてあったように記憶するが、これなどはそもそも論外であるらしい。
ウィキペディアを覗いてみたところ、「宮崎県では基本的に『ひやしる』と呼ばれている」とあった。わが家での呼び方も「ひやしる」と澄んでいる。
なるほど、濁音よりも清音を用いた方が、冷汁――ひやしる――の清涼感を表すのにふさわしい気がする。
写真はTwitterに。
https://twitter.com/Surakaki_Hyoko/status/1553509419362570240
<了>
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