内側

 飲み込まれてからもう一時間は経っただろうか。私は未だ宙吊りのまま、眼下に広がる街並みと対峙している。上半身がすべて出たあたりで、排出は止まっている。私はゆっくりと下がっているらしく、少しずつ石畳は近づいている。初めのうちは、このまま吐き出されたら見事に打ち付けられて、ぐちゃぐちゃだろうと思っていた。消化で最期を迎えるのが、落下に変更されただけのように感じていたが、そういうわけでもないらしい。展望台からの景色のようだったのが、ついには2階から見下ろしているくらいの高さまで降りてきた。

 ここからなら落ちてもまあなんとかなるだろう、そう思っていたら足の締め付けが緩み始めた。いや、もう少し待ってくれ。なんとかはなるというのは、無事で済むということでもないのだ。これって、肩で受けたら外れるくらいで済むだろうか。焦っていても仕方ないので、最善の対処を探る。関節は固定すれば足りるだろうか……?

 ぐだぐだと考えていると足はまた掴み込まれ、宙に固定された。どうやら窮地は逃れたみたいだ。しかし、いつまでこうしていればいいのか。そっと下ろしてもらえることを祈るしかない。そもそも、なんだこの状況は。

 そうしている間にもゆっくりと下がってゆく。祈りが通じたのか、肩から静かに着地していった。話の聞けるやつだな、見直した。

 ならばと、次は足が解放されるのを待つ。やつもそのつもりなのか、ぬぞぬぞと律動しながら、やつの噴門は私の膝から下を押し出し始める。


 粘液でぬとぬとではあるが、やっと解放された。さて、ここは? 足元はおそらく石畳。少なくとも、石質のなにかでできた広場だ。文明があるのだろうか。胃の中に、文明が。

 とりあえず、辺りを探索しよう。なにかあるかも。というより、他にやれることがない。石畳の道に沿って歩いてみる。

 周りは草木が茂っており、石畳の隙間はところどころ苔が埋めている。あいつが吞み込んだのが定着したんだろうか。まぁ、生き物はいるみたいでひとまず安心した。しかし、動物らしきものは見当たらないな……。欲を言えば、人はいないだろうか。私が呑み込まれてここにいるんだから、他に人がいてもおかしくはない、と信じたいんだが。

 そうこう考えながら、歩を進める。風も吹くのか、茂みはざわめいている。胃かなにかの中だと思うんだが、外にいるのとあんまり変わらない気分になってくる。空(というか胃壁?)も普通に明るい。

 トツトツと足音だけが響く。あとは時々葉が揺らめくくらいだ。そういえば、この草とか木とかも私の良く知る植物に見えるが、実は違うものだったりするのだろうか。気になって、近くで見てみる。葉はだいたい楕円状で、ぱっと見ではそんなに違和感はない。枝はどうだろう。ガサガサとしていて、節から分かれている。違いはなさそうに見える。もっと根元なら……。そうやって茂みの末端から順を追って中まで覗いていると、合った。

 つぶらな、というよりもむしろ粒と言ってしまった方がいいほどの、ぷつっとした瞳は濡れて黒々としており、明らかにこちらを見ている。まずい。目を合わせたまま、静かに後ずさる。十分に距離を取ればどうにか……。二つの黒粒が茂みに隠れて見えなくなるまで後退すると、そいつはバサバサと枝を揺らして暴れ始めた。威嚇行動だろうか。これは、本格的に危ないやつかもしれない。こちらに向かってくるまでにできるだけ距離を取るしかない。走り出したい気持ちを抑えながら、あくまで冷静に退いてゆく。離れてゆくごとに動きは激しさを増し、もうほとんど茂み自体が猛り狂っているようにしか見えない。

 50メートルほど確保できただろうか。これくらいあれば……。そう考え始めた瞬間、きゅーともちゅーともつかない声が響き始めた。来る。判断しているその間にも声は強くなってゆく。今しかない。一目散に駆け出す。

 少し走ると違和感が生じた。その声はただ遠くなってゆくばかりだった。追いかけてきていない? 熊なんかであれば、追いかけてくるはずだ。危ないやつではないのかもしれない。100メートルほど逃げたあたりで止まってみた。ついでに息も整えながら、先ほどの茂みを注視する。一層ガサガサ、キューチュー言いながら、しかし場所は変わっていないようだった。なにかあるのだろうか。

 目線は外さないまま、ゆっくりと戻ってみる。音は拡散するが、一方で音源はもとのままに固定されている。あるいはそういう装置なのかもしれない。ひたすらに暴れ続けている。

 逃げだす前の位置まで来ると、私が戻るのを待っていたかのように、少しずつ静かになっていった。こいつ、ひょっとして……? 茂みの前に立ち、また中を覗いてみる。それは、まだいた。その瞳はなお黒々として、こちらを見つめている。

 よく見ると体は硬い殻のようなもので覆われており、チョココロネのようになっている。そのチョコ部分から顔が出ており、そこは柔らかいのか、むきゅむきゅと鳴く度にむにゅむにゅと弾んでいる。そこからしばらく見つめていたが、いつまでもむきゅむきゅ、むにゅむにゅするだけである。

 やはり。こいつ、茂みにハマっている。いつまでもこちらから視線を外さないのは、敵意ではなく救助を求めているのだろう。他にやることもないので、助けてやることにする。噛んだりしないよな?

 まずは手を伸ばして、茂みからそのまま引っ張り出してみる。殻を両手で掴んで手前に思いっきり引く。が、抜けない。多少動くものの、枝に完全に絡みついているのか、はたまたハマり込んでいるのか、一定のところで茂みが拒んでくる。

 こういう時は……。知識をフル動員して、救助法を探る。たしか、押し戻して体勢を変えれば良い。というわけで次の作戦だ。両手で掴んだまま、今度はゆっくり向こう側へ押し込む。殻の突起に枝が引っかかる感触はあるが、傾けたり回したりするとすぐに外れる。いけそうだ。ある程度押したところで、試しにまた引いてみる。さっきよりは自由に動くようになったが、まだ絡みついているらしく、もうちょっとのところで止まってしまう。それなら。手前側の茂みを少し退かして、ルートを確保する。これでいけるか。

 またしても思いっきり引き込んでみる。ほとんど茂みから顔は出ているが、まだだめらしい。目の前でむきゅむにゅするばかりで、完全にやかましいだけだ。もう一度押し戻すしかない。その前に状態を確認する。現状で、引っかかっている枝は3本で、元を辿るとどれも奥の方から来ている。この枝よりも奥に押し込めば、引き出せそうだ。

 新たに枝に引っかからないようによく見ながら戻してゆく。せっかく出てきたのに戻されるてしまい、そいつはまた喚き始めた。もう少しだから、我慢しろ。さっき確認した枝の位置あたりまで押しやったら、ルートを確認する。引っかかりそうな枝が数本ある。こいつらを避ければいけるな。手でそれらを少し外に追いやり、道を空けた。

 四度目の挑戦。多少の枝なら引きちぎれるように、力いっぱい引き出すことにした茂みには悪いが、こいつのためだ。植物なんだから再生してくれ。力を込めて両手を引くと、ぶちぶちと言いながら、とうとう茂みから滑り出してきた。

 枝に引っかかれて擦り傷のようなものができているものの、無事みたいだ。青っぽい色の血液みたいな液体が滲んでいるが、気にせずにふにゅふにゅ言って歩き始めた。不思議な生物だ。

 どういう生理構造を持っているんだろうか。血が青なら、少なくともヘモグロビンではないんだろうな。一仕事終えた疲れもあり、そんなことをぼーっと考えながら適当にそいつの行く先を眺めていたら、あるところで振り返った。

 私の位置が変わっていなかったことを認めると、のてのてと戻ってきた。足元まで来ると、なにやらふみゅふみゅ言って、また歩き出した。行動も不思議だなぁとまたぼーっと眺めていると、同じことを繰り返し始めた。これは、ついてこい的なやつなのだろうか。

 こんな世界に来てやることはなにもない。とりあえずついて行ってみることにする。エサを分けてくれるかもしれないし。

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呑み込みの早い世界に 川字 @kawaza

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