環境保全課外来生物係
「はい、
朝一で電話が鳴るのは珍しい。まだ気力も起き上がらないまま受話器に語りかける。
「あ、もしもし、えっと……。あ、ワニ。ワニです」
保護依頼か。それにしてもワニ? 危険生物第一種じゃないか。
「ワニですね。お怪我はありませんか?」
「ない、ないです。岸辺……、にいて沖に、いるので」
気が動転しているのだろう。ワニが身近に出ているのだから当然だ。おそらく、岸辺にいるのは相談者、沖にワニがいるということか。
「お怪我がなくてなによりです。ワニが沖にいるということですが、
「とくし……、はい、そう。そうです。えぇ、桟橋の、入り口から入ったら見えて……」
「桟橋口ですね、ありがとうございます。今もまだワニは沖の方にいますか?」
「あ。えっと、すいません。怖くて逃げてきました。すいません」
「あ、大丈夫ですよ。安全な場所に避難していただき、ありがとうございます。あとはこちらでやっておきますので、ご安心ください。最後に、お名前とお電話番号をお聞きしてもよろしいでしょうか? 調査の際にまたお話をお聞きすることがございますので……」
連絡先を教えてもらい、電話対応を終える。受話器を置いて、対応記録の書き起こしを始める。
「ワニって言ってました? 初めての第一種じゃないですか!」
「そうなんですよ。第一種ってあのめんどくさいやつですよね? 広報課に危険周知依頼して、猟友会? 専門家? に捕獲依頼して……」
「それですそれです。私も2回くらいしかやったことないんですけど、まず対応記録を保護依頼扱いで決裁回して、あ、課長決裁で大丈夫、保護報告は町長決裁になるけど、それは保護した後のやつで、えっと、危険生物保護要領に乗ってるはずなんですけど」
「あ、これですね、見つけました。第一種は、『保護の必要を認めたときは、調査員による調査を実施し、保護員による適切な保護を行うこと。ただし、調査員が保護員を兼ねる場合等の特別の事情があるときには、調査と保護を同時に行うことができる』と。調査員は僕らですよね、保護員は誰になるんですか?」
「保護員が専門家ですよ! たしか要件が狩猟免許を所持していることとか、環境保護分野に従事して5年以上とか、そんな感じの人たちです。私たちのところでは、対応した人が調査員として決裁後にすぐ現場に向かって、執務室に残った係員が保護員を探す、みたいな方式でやってます」
「あ、じゃあ僕は依頼の決裁回して、準備して、向かう、ってイメージですかね?」
「そうです! なので早く対応記録書いちゃってください!」
「了解です! 急ぎます!」
すぐさま書き起こしにパソコンへ向き直ると、会話は世間話に軌道を変え、ふわふわと浮かぶ。電話くらいいい加減ナンバーディスプレイにしてくれないか、連絡先を聞くといつも不審がられるとか、徳静湖は意外に大きいからたまに行くと迷いそうになるとか、そんな話題で空間を埋めながら、書き終える。
対応記録兼保護依頼書の決裁を佐名さんに手渡し、忙しく準備に取り掛かる。必要なものは、どういう個体かを記録する”記録簿”、実際の外見を記録するための”カメラ”、個体の位置を記録する”地図”、そのために安全な場所から距離を測る”レーザー式距離計”だ。執務室裏の小部屋、保管室と動き回って外勤用の鞄にすべて入れ、作業服に着替える。
自席に戻ると、すでに決裁が終わっていた。今日は佐名さん以外の係員は有休を取っており、後は係長と課長で決裁が終わる。いつもは5人回るところが3人なので、大分早い。確認不足が怖いが、危険生物なだけに早く向かった方が良いはずで、神様の思し召しとでも言うのだろうか、ある種の満足感に駆られていた。
――この時、気にするべきだった。気づくべきだった。
私はそのまま「行ってきます」と声を掛け、”それ”の元へ向かった。
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