9 動画
森村と桃井が帰って、深夜の事務所には貨物便の担当をする先輩たちと責任者席の浜島さん、明日の午前便の準備のために残った水瀬さんと俺が居た。朝搬入以外の貨物の積み付けもとっくに終わっていて、外には誰もいない。水瀬さんに誘われて気分転換に外に出ると、大きな月が出ていた。自販機で買ってきたコーヒーを持って壁にもたれかかる。
「水瀬さん、森村ってなにかあったんですか?」
ガードレールに腰かける水瀬さんが、月から俺に視線を移す。
「実はそのことで、宗方くんに話しておこうと思ってさ」
その言い回しを聞いて、なんとなく身構えてしまう自分に気づいた。肩の力を抜く。
「社内報に森村の写真載ったの覚えてる?」
「社内報?」
「そう、ランボルギーニの横に森村が立ってる写真」
「はい、ていうかあれ、俺が撮った写真なんで」
「だよね。森村に聞いた。でさ、ランボルギーニに傷付いてた件、あったじゃん」
「ありましたね、受付にフォワーダーが来てて揉めてた……、もしかしてその件で、森村になにかあったんですか?」
「うん、社内報にあの写真が載ってたのを知って、課長経由で森村が問い詰められたみたいなんだよね」
「いやいや、森村はいっさい車に触れてないし、近くに立って写真に撮られただけですから。森村は関係ないですよ」
早口になる俺をなだめるように、水瀬さんはゆっくり数回頷いた。
「森村もそう言ったんだって。けど課長は取り合ってくれなくて、最初は森村も強気で反論してたらしいんだけど、課長は埒が明かないと思ったのか会議室に事業本部長の東田さんを連れてきて、東田さんからすごい剣幕で怒鳴られたって言ってた」
「怒鳴られた、ってなんて怒鳴られたんですか?」
「クビにされたいのか、ってさ。それで森村は借りてる奨学金のこととか頭に浮かんで、なんも反論できなくなったって言ってた」
「認めたわけじゃ、ないですよね?」
「認めてはいないっぽい。ずっと黙り込んでたら『もういい』って言われて東田さんも課長も会議室から出てったらしい。で、その会議室は管理部門のビルの会議室だったらしいんだけど、輸出の事務所からは課長の車で連れて行かれてたから、仕方なく歩いて事務所に戻ろうとしたらしいんだけど」
「あの日、すごい嵐でしたよね……」
「そう、だから森村から俺の携帯に電話かかってきて、俺が迎えに行った。熱出して家で寝込んでたのにさー、課長も連れてったなら連れて帰ってやれよなー。ほんっとあいつは」
「水瀬さんが迎えに行ったんですか? 事務所に連絡してくれたら、俺なり桃井なりが社用車で迎えに行ったのに」
「まあ、事務所に戻りづらかったんじゃない? 連れて帰ってくるとき車の中ですごい泣いてたし」
以前なら森村が泣くところなんて想像できなかったが、最近の元気のなさや昨夜の様子を思い出すと、水瀬さんが迎えに行ったときも、ああやってさめざめと泣いていたのかもしれない。
「そりゃあ、事業本部長からクビだとか言われたらショックですよね。なんだかんだ言って、まだ半分子供みたいなもんだし……」
「つっても、俺と二歳しか変わんないよ」
「その二年がでかいんですよ、社会に出てからは」
「そっか」
「でもとにかく、森村は濡れ衣を着させられようとしてるってことですよね」
「そうだね」
「ただ、俺、その次の日に出勤途中で森村に会ったんですけど、全然そんなことがあったなんて言ってなかったんですよね」
「……だって、社内報の写真に写るように頼んだの宗方くんなんでしょ? 森村は宗方くんに気を使ったんだと思うよ」
「それは……、確かにそうですね」
「森村も別に宗方くんのせいだなんて思ってないみたいだけど」
「なんとか、濡れ衣を晴らすことできないですかね……」
「そうだな、難しいかもね」
「水瀬さん、なんでそんな冷静なんですか?」
俺は自分のせいだという憤りからかイライラしてしまって、問い詰めるような口調になってしまったが、水瀬さんは顔色ひとつ変えない。
「だって、東田さんが出てきたら俺らにはなんもできないじゃん。楠木さんのときだってそうだったでしょ」
去年、楠木さんが通常の異動時期ではない極めて不自然なタイミングで成田から姿を消したのと、東田さんに対して楠木さんが意見をしたのは無関係ではないことを誰もがわかっている。あのとき楠木さんは現在の状況を予見したような報告書を本体の貨物部門に提出しようとしていたが、東田さんに気取られ握りつぶされてしまった。
「……ちょっと待っててください」
水瀬さんとの会話を中断して事務所に入ると受付に向かった。確か森村の写真を撮ったあのとき、山近さんが間違えてデジタルカメラを動画モードにして録画状態にしていたはずだ。なにか役に立ちそうな情報が記録されているかもしれない。壁に備え付けられた棚の引き出しから貨物搬入時の損傷有無記録用カメラを取り出すと、小走りで外に居る水瀬さんのところに戻る。水瀬さんはまた月を見ていた。
「これ、確認してみましょう」
「なにこれ」
「ランボルギーニと東田さんたちの動画です」
デジカメのギャラリー画面を開く。最近はダメージ貨物も少なかったのか新しい写真も大して追加されておらず、あのときの動画も幸い消されずに残っていた。再生ボタンを押す。画面がガチャガチャと揺れた後、ストラップから離れる腕が映って、その後画面の中心には、少し離れた場所にある鈍いシルバーの車体が映し出された。車の周りにはスーツ姿の男が四人立っており、そのうち一人は東田さんなのがわかる。
「なんか、声聞こえない? 音量上げよう」
水瀬さんがカメラの音量ボタンを連打する。
「――――空港好きなんで。飛行機好きだし。こうやって空港の敷地に居るだけで安心するっていうか、満足するんで。別に偉くないですよ」
静まり返った駐車場に森村の声が響く。ここで働くことに幸せを感じているような、少し照れた笑顔の森村が目に浮かび胸が痛んだ。水瀬さんは無言だった。その直後、画面の中では車の周囲を眺めながら歩いていた東田さんが、地面に置かれていた木製のスキットにつまずいてよろけると、車の後方に右手をついた。
「あー!!!!」
水瀬さんが画面を指差して大きく口を開ける。体勢を整えた東田さんはしきりに右手の袖を確認していて、ヘラヘラと笑っているようにも見えた。
「これって拡大できるんだっけ」
「たぶんできます、このボタンで……」
ズームボタンを長押しするとかなり近くまで映像が拡大された。画質は荒いが、なにがどうなっているかはわかる。東田さんはどうやらカフスボタンを直しているようだった。
「宗方くん、これってさあ、森村の無実を証明するのに使えないかな」
さっきまでよりも水瀬さんの声が力強くなっているように感じる。
「使えそうですよね。他にも証拠になりそうなものがないか、受付に見に行きましょう」
事務所の中に入り受付に向かうと、カメラが収納されていた棚にあるダメージレコードの引き出しの中を探す。
「この辺の棚に何があるかは山近とかにしかわかんないと思ってたけど、宗方くんもわかるんだ?」
「まあ、一応受付業務もやってるんで」
「さすがー」
「……ありました」
例のランボルギーニのダメージレコードファイルを開くと、フォワーダーから受け取ったと思われる損傷個所の写真のコピーが数枚出てきた。俺の携帯のライトをつけて写真を照らす。
「ちょっと暗いから電気つける?」
「いや、電気付けたら誰か来るかもしれないんで、水瀬さんの携帯もライトつけてもらっていいですか?」
東田さんにつながっている人間が事務所の中にいるかもしれないので、慎重に事を進めたい。
「おっけー」
「車体後方右側面、金属で引っ搔いたような跡あり、長さ約十五センチ、幅約二ミリ」
記録欄にはそう記述してあった。
「やっぱ間違いなさそうだな、東田さん車右側の後ろの方でつまずいてたもんな」
「そうですね」
写真のコピーと記録欄を複合機に持って行き、スキャンしてPDFにして保存した。
「あとは、これをどうやって東田さんに突きつけるかだな」
「俺らが持ってったところで、握りつぶされそうですからね」
「佐原さんでも同じかな?」
「うーん、悔しいけど多分同じでしょうし、佐原さんのダメージもでかそうですよね」
「だよなあ」
暗がりの受付で、二人考え込んでいると、水瀬さんが突然「はっ!」と声をだす。
「楠木さん、なんかいいアイデア考えてくれないかな?」
「俺も今それ考えてました」
受付を出て自分たちの席に戻ると、俺はさっそく楠木さん宛てにメールを書いた。さっきスキャンしたPDFを添付して送信する。横でモニタを覗き込んでいた水瀬さんが手を挙げてきて、ハイタッチをした。
「なになに、なんか楽しそうね」
浜島さんが自販機でカップのコーヒーを買っていた。時計を見ると午前三時を過ぎている。俺たちは大慌てで午前便の準備を再開した。
翌日、数時間ぶりの事務所に出勤する。家ではシャワーを浴びて着替えてから一時間だけ眠り、また出勤してきた。トラックの貨物搬入が落ち着き少し暇な時間になったので、受付でうつぶせになってうとうとしている。
「事務所にシャワーとベッドがあったらいいのに」
俺がそうつぶやくと
「それ完全に社畜の考え方だよ」
と受付で隣に座る山近さんに言われた。
「そういえば、晋ちゃん、昨日カメラ使った?」
ぎくりとして、一瞬で眠気が吹っ飛ぶ。
「え? なんでですか」
受付の机に突っ伏したまま返事をした。胸の鼓動が早まっている気がする。
「カメラのしまい方が、私がしまったときと変わってたから」
「ああ、なるほど……。はい、昨日ちょっと確認したいことがあって拝借しました」
「そう。じゃあよかった。知らない人が使ってたら困るなって思っただけ」
深く詮索されないことにほっとしつつ、顔を上げて山近さんの方を向く。
「ところで、山近さん、ダメージレコード、最近は動画で作ってるんですか?」
昨晩、カメラを起動した時も写真ではなく動画モードになっていた。
「うん、写真と動画両方で残すようにしてるの。写真だと、加工しただろとか言われちゃったことがあって。ランボルギーニのときも近くで動画撮ろうとしてたんだけど、東田さんたちが来たから撮れなくて。でも晋ちゃんと森村っちの会話は録画されてたね。あ、でも盗み聞きみたいなのはよくないから最初だけしか見てないよ。安心してね、ふふ」
あの動画を見ていたのだったら山近さんも東田さんのことに気づいているはずだ。ダメージの件で荷主とフォワーダーに問い詰められるトラブルに見舞われた山近さんが、この件に気づいていて黙っているとは思えない。本当に俺たちに配慮して動画を見なかったのだろう。
「ああ、昨日その動画見ました。いい動画でしたよ」
「そうなんだ? 思い出だから保存しといたら? ダメージ記録してたらそのうち消えちゃうよ」
トラックが自動ドアの目の前の道を通り過ぎて駐車場に入っていく。
「ほら、晋ちゃん、ドライバーさん来るからしゃきっとして」
「はい」
鉛のように重い体を起こして、トラックドライバーを笑顔でお出迎えした。
楠木さんからの返信メールを受信したあと、すぐに関空から電話がかかってきた。
「もしもし宗方くん? お疲れさま~。メールありがとね」
「いえ、こちらこそ、急にすみません。やっぱ難しいですかね」
「そうだね、私から上司に言ってみたんだけど、なーんか渋い顔して黙り込んじゃって。手ごたえなし、って感じ。やっぱり波風立っちゃうからね、偉い人同士だと」
「そうなんですね……」
身体中から力が抜ける気がした。受話器を持っているのすらだるく感じる。
「で、私のアイデアなんだけどね、聞く?」
「……アイデアあるんですか? 聞きます」
「國井さんから根回ししてもらうってのはどう?」
「國井さん、ですか?」
受話器を耳にあてながら受付と執務エリアを隔てる壁から顔を出すと、端っこのほうで今日もインターネットを見ている國井さんが目に入る。
「そう、國井さん。前に話したかもしれないけど、私の上司の関空事業本部長って、昔國井さんの部下だった人なの。國井さんの関空勤務時代にすごくお世話になったみたいで、今も國井さんの言うことなら聞くと思うんだよね。だから、一度國井さんに掛け合ってみたらどうかな?」
そう言えば、まだ俺は弁当の件で國井さんに謝っていなかったことに気づく。
「そうですね、ちょっと聞いてみます」
「よかった! ちなみに國井さんも東田さんのこと嫌ってるから、多分協力してくれると思うよ! それじゃ頑張ってね」
楠木さんとの会話を終えて受話器を置くと、受付から出て執務エリアに入る。見渡したところ、便担当の席には桃井と藤嶋、水瀬さんが居た。
「ごめん、ちょっと一瞬、水瀬さんと桃井借りるな、ほんとごめん」
藤嶋は「はあ」と、状況は理解していないながらも了承してくれた。なんの用かわからずごねる桃井をせかして席を立たせると、水瀬さんと一緒に受付の近くまで連れてくる。
「今から、國井さんに謝ろう」
「え! 今から?」
桃井が露骨に嫌そうな顔をする。
「そう、今から」
事務所の端、古いパソコンが乱雑に置かれている島で、今日も國井さんはインターネットを見ている。俺たちが近づいても無反応だったが、さすがに真横に三人並んで立つと
「なにか用ですか?」
と顔をこちらに向けた。俺は大きく息を吸って口を開く。
「あの、以前、弁当を國井さんが食べたのではないか、という濡れ衣を着せたことがあったと思うのですが……」
「濡れ衣……?」
メガネが光っていてよく見えないが、國井さんはきょとんとした顔で俺の方を見ている気がする。
「ちょっと待って」
桃井が俺の前に腕を出して制する。
「よく考えたら、あのとき宗方さんも水瀬さんもあの場に居なかったじゃん。ここはあたしが説明する」
桃井の腕に押されて、水瀬さんと俺は一歩下がり、二歩下がり、三歩下がった。空いた空間に桃井が入り込むと、國井さんの方を向いて、
「その節は大変失礼なことをして申し訳ありませんでした!」
と頭を下げた。
「その節……? どの節……?」
相変わらず國井さんはなんのことがわかっていない様子だ。やや肩透かしを食らった感が否めない桃井は、近くにあった椅子を引いてくると、國井さんに膝を突き合わせる。
「えーとですね、宗方さんのお弁当がなくなるという事件が何回か起きまして、それで犯人捜しをしていたところですね、國井さんがですね、同じお弁当屋さんのお紙袋をですね、お持ちになっておられるという目撃証言がございましてですね、それで國井さんがもしかしたらお犯人でいらっしゃるのではないかと思いまして、それでお声がけさせていただいたことがあったと思いますが覚えておられますでしょうか」
桃井の不慣れな丁寧語に吹き出しそうになるが、本人は至って真面目な様子なので、黙って見守ることにした。
「んー……、そんなこともあった気がしますけど、別に気にしてませんから、いいですよ」
そう言うとシャッターを下ろすように会話を打ち切って、モニタに顔を向けた。桃井は後ろに立つ俺たちを振り返り、困惑の表情を浮かべたあと、もう一度國井さんの方に向き直って立ち上がり
「お気にされてないとのことで、よかったです! では失礼します!」
勢いよく頭を下げて、椅子を近くの机に戻しスタスタと自分の席に帰って行った。
「あ、水瀬さんも、もう大丈夫です。ありがとうございました」
俺がそう伝えると、水瀬さんも席に帰っていく。俺は桃井が戻した椅子を再度持ってきて座ると、國井さんに話しかける。
「國井さん、別件でお話したいことがありまして、引き続きお時間いただけませんか」
國井さんは顔をこちらに向けると
「なんでしょう」
と聞く態勢に入ってくれた。俺は素早く受付に戻って、デジカメとダメージレコードを手に取ると、もう一度國井さんの前に座った。まずダメージレコードを開いて見せる。
「この車の傷、金属のような硬いものでついたものだと記録されていまして、今賠償問題になっています」
「はあ、知ってます。管理職にはメールが来てましたから」
一人しかいない部署だが、そういえば國井さんはULD部門の管理職だった。
「それでですね、森村、ってわかりますか? あの、少年みたいな」
「ああ、髪の長い、目の大きい新人の男性社員ですね」
「そうです。その森村がですね、あの傷の犯人扱いをされてるんですよ。なぜかっていうと」
今度は書籍の棚から社内報を持ってきて開いて見せた。『新入社員、人財育成レポート』というコーナーで、笑顔の森村の写真が掲載されている。
「この写真で、森村がランボルギーニと一緒に写ってるからなんです。それで、この写真を撮ったのは俺なんです」
「はあ」
「でも、これ見てください」
デジカメを起動して映像を見せる。車の周囲を歩いていた東田さんが、スキットにつまずいて車体に手をつく一部始終が映っていた。
「もう一度、今度は拡大します」
手をついたあと、袖のカフスボタンを直すところも見てもらった。
「ダメージレコードに記載されている場所、傷の状況から見て、これが原因なのは明らかです」
「ほう」
「これをなんとか、東田さんに握りつぶされないように、上層部に上げたいんです。そこで成田ではなく」
國井さんが「ふっふっ」と笑った。メガネの奥の眼光が鋭くなった気もする。
「そこで、私から関空に情報を提供してほしいということですか?」
「そうです! 実際にはすでに情報は楠木さん経由で関空にわたっています。あとは関空の事業本部長を説得できる人が必要なんです」
「森村さん、飛行機や空港が好きでここで働いてるんですね」
「……?」
「さっきのビデオでそう言っていたでしょう。感心なことですよ。私も空港に居ると安心しますからね、その気持ちがわかります」
國井さんの腰から下がっているプライベート無線が目に入った。
「いいですよ、関空には私から連絡しましょう。それに、私は東田って男が大嫌いですからね」
國井さんは立ち上がり電話がある机に向かって歩いて行った。俺は一礼して受付業務にもどる。あとは國井さんに委ねるしかない。
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