懐かしい夜

秋色

前編

 蝉時雨せみしぐれ以外は静かなこの町に昼過ぎから日差しが戻ってきた日だった。


「これなら傘、必要ないか」と章吾がつぶやいた。住んでいるアパートの近くの屋台バーへ大学の友人二人と向かう夕方。お盆に郷里に帰らない連中だけでちょっと飲もうという話が持ち上がったのだ。

 と言っても章吾はこの地方都市の隅にある町出身なので、別に郷里があるわけではない。単にお盆だからといって家に帰る習慣がなかっただけだ。それに生まれ育った町は、ここよりさらに何もない野山ばかりの田舎町で、帰る張り合いもない。


「天気、持つだろ。それよりオマエんちの近くにある流行りの屋台バーって本当なんだろうな? 見る限り普通の住宅地っぽいけど」と友人の雄輝が言う。


「ああ。名店っつーのは、意外とこういう住宅地にポツンとあるもんだ」


「ホントかよ。この駐車場なんて手作り感覚だよな。停めてある車も庶民的」ともう一人の友人の拓海が言う。


「あ、それ、ウチのアパートの駐車場だから。オレっちの車もある。庶民的で悪かったな」


「あ! そう言えば、あの白い車、そうだったな。わりぃ、わりぃ。……って、ここ墓地付きなのか。びっくりした」と拓海。



 駐車場の路面に向かった角は三角形に切り取られ、そこだけ三つの墓のある小さな墓地になっていた。おそらく墓地の方が先にあって、連続した土地に駐車場ができたという流れだろう。


「こんな住宅地にちょっと気味悪いよな」と雄輝。


「そうか? オレは霊なんて信じないんで何とも思わないね。でも駐車場の脇にあるんで、車出す時、迷惑なんだよな」と章吾は辛口の意見を口にする。


「お前、相変わらずだな。オレはこんな下町の片隅に墓があるのがどんな先祖か分からんが気の毒だと思う」と雄輝。


「だよな。オレんちの実家の山には霊園があるけど、見晴らしが良くて、中にはちっちゃな家かと見まごう立派な墓もあるっつーのに」と拓海も同意する。


「墓に金かけるなんてムダっしょ」と章吾。


 大家さんが何か緑色の網で出来た箱とアイスキャンデーの棒を何本か持って、用水路近くで作業をしていた。

「何してるんですかー?」とすでに顔見知りの拓海がく。


「これは蚊帳かやというのを利用した蚊を退治する手作りの装置だよ。この中に砂糖水を付けた棒を入れておびき出すんだ。最近、この用水路で大量発生してな」


「こんな暑い日に大変ですね。気を付けて下さいよ」と拓海。


「蚊なんかより、ここの墓、何とかならないんですか? 車出す時ぶつかりそうで邪魔なんですけど」と章吾。


「そんな事、言うもんじゃないよ、お盆に」と大家は言う。「この墓だって明日にはきっと花が供えられてるんだよ。毎年そうだからな。忘れられてる墓のように見えても、残された親族は気にかけてんだよ。こういう風習は大事だよ」


「ハイ」と軽く返事をする章吾。


「ほんっとにお前はそういうとこ、軽い気持ちだからな〜。風習って大事なんだからな」と雄輝。「軽い気持ちと言や、二年生の三原舞依と付き合ってたろ」


「別れたよ。実家が金持ちなんで、金借りてたけどさ。実家の家族から、そんな男と別れるように言われたんだってさ」


「当然! あんないい子に金の話、するなんてさ。そーいや、こないだは香菜と歩いてるの見たけどまさか付き合ってんの? 今日おまえと飲んだら聞こうと思ってたんだけど」と雄輝がいきりたつ。


「まさか! あいつ、普段マメにノートとってるだろ? 統計学とかそういう苦手なとこのノート、見せてもらってポイントを解説してもらってたってわけ」


「おまえ、ぜってー良くねーぞ。あいつ、おまえの事、好きかもしれねーじゃん」と雄輝。


「そんな感傷的になるの、キャラじゃないから。ごめん」


「おまえホント、クールだよな。子どもの頃からそんな感じ? んなわけねーよな。子どもの頃好きだった遊びとか夢中になってた事とかねーの?」拓海が訊く。


「チョコボールで応募券集めてたりしてたら笑うな」と雄輝。


「昆虫が好きだったな」と章吾はぽつりと答えた。


「え? ピンとかで留めるやつ? それはそれでひくけど」と拓海。


「いや、死んだ昆虫には興味なかった。生きてるの、観察してただけ」


「ホッとしたぜ」

 二人は胸を撫でおろした。


******************



 そしていつものように飲みながら馬鹿な話をして夜は更け、その日の集まりは終了となった。


 二人と別れ、自分のアパートに帰る途中、章吾は行きがけの会話を思い出していた。

 生きた昆虫にしか興味なかったのは事実だ。

 長く細い足の動き、ピクリと動く触覚……そういうのがカッコよく思えて好きだった。過去形でなくて今も。でも死んでしまったものには興味ない。いや、死んだ後を考えたくない。地面に虫の死骸が落ちているのも不快だ。


 ――そうなったきっかけは何だろう? そうだ! 森永有里、あの子かもしれない。ゆうりちゃんって呼んで幼稚園の頃から小3までの同級生だった。子どもの時背が低かったので、よく背の順でペアを組まされた。工場見学に行く時も、水族館に行く時も。病弱で、よく休んでいたせいか、成績は中の下で、体育も苦手な子だった。制服がブカブカに見えるような小柄なマッシュルームカットの子で、いつも自信無げで、でもニコニコ笑ってた。クラスでちょい馬鹿にされがちな子たが、優しい子だった。人間的に好きだと思ってた。いや、女の子として好きだったのか? よく分からない。

 ゆうりちゃんは女の子だけど、夏休みには昆虫好きの章吾に付き合い、よく一緒に虫の観察をした。虫を見るのが好きだといって、アリの行列を応援していた。また、子どもに似合わず、好きな花は桔梗だった。

 小3の時、突然持病の心臓病が悪化したとかで亡くなった。すごくショックで、家で一人、大泣きしたっけ。クラス全員でお通夜に行ったものの、葬儀の提灯や何かを見ているうちに気分悪くなった。死なんて信じたくない、死後の世界なんてあるわけないって心の中で叫んだっけ。あれからだ。虫の死骸ですら嫌悪感を感じるようになったのは。あと、みんなとの雑談の中で怪談話で盛り上がるのも、何かをけがすようでイヤだった。

 そして去年、成人式に行く朝には、実はあの子は死んでなくってどこかで生きててこの成人式でバッタリ出会うんじゃないかみたいな、変な妄想が広がった。ゆうりちゃんがもし元ヤンキーみたいな金髪に変わってたら、何て話しかけようかとか――



  その時だった。白地に紺の花の柄入りの浴衣を着た女が、章吾の横を急ぎ足で追い越していったのは。


 そしてそれは、今ちょうど考えていたせいなのか、ゆうりちゃんに似て見えた。


――それにあれは桔梗の柄じゃ?――

 

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