ロベリア・シンドローム

紫田 夏来

第1話

私を殴って下さい。

私は最低な人間です。

馬鹿、無表情、悪臭、悪いところなら私にはいくらでもあります。しかし私には長所がない。何もないのです。

ダメージジーンズにヘソ出しファッションの女と、いかにもなヤンキー風な、刺青だらけの男たちがコンビニ前でつるんでいます。あの人たちに頼めばやってくれるでしょうか。

まずは頬をひっぱたかれた。目を閉じた瞬間にお腹に一発蹴りを入れられた。痛む部分を腕で守ろうと前屈みの体勢になると、今度はお尻を殴られた。地面にひれ伏す。あとはされるがままだった。セーラー服はあちこちが破れ、スカートのプリーツは取れて裾は解れ、白い運動靴は瞬く間に茶色くなった。口の中が、血の味がする。

というのは事実ではありません。全て私の妄想です。でも私はこうなることを望んでいます。

誰か、私の妄想を現実のものにして下さい。



「姫野、連立方程式の解き方二パターン言ってみろ。」

加減法と代入法だったはず。教科書の三ページ前に載ってたのを見た。前回の授業の時ノートにも書いたし、今朝には問題集で特訓した。でも、間違っていたらどうしよう。

「えっと、あの」

クラス中が失笑した。やっぱり姫野は答えられない。あいつは馬鹿だって、みんなに思われてる。

「替わるか。じゃあそこのお前、言ってみろ。」

小嶋さんだ。

「加減法と代入法」

「正解。」

「綾、ナイス」

「このくらいなら誰でも分かるって。姫野が馬鹿なんだよ。」

中年太りも甚だしい男性教諭は、小嶋さんと瑠璃ちゃんのお喋りを注意しなかった。

瑠璃ちゃんはいつも机の上に出しているポーチからメモ帳を取り出し、何かを書き付ける。それは私の足元を滑っていき、蘭ちゃんに受け取られた。

姫野ちゃん、また答えられなかったじゃん。授業止まるから迷惑なんだよ。ちゃんと勉強しなきゃだめでしょ。次の休み時間には、瑠璃ちゃんたちは小言を言ってくるに違いない。こうやって、手紙を使って打ち合わせをして。毎日勉強してるのに、なんで私はこんなに頭が悪いんだろう。私は出来損ないだから、ちょっとでもマシになるために友達からの言い付けを守らなければならない。


制服の赤いスカーフの結び目は、ぴったり左右対象になるように。上手く出来なかったら何回でもやり直し。スカート丈は膝上五センチ。長めにしなくちゃいけないと言われてる。もっとも、校則では膝下十センチなんだけど。お風呂ではシャンプーを三回、コンディショナーを二回、ボディソープはタオルを使って二回、手で二回。朝は顔を五回洗う。それより少ないと、臭いから。体重は必ず四〇キロでなければならない。デブは不摂生の証拠だから。ちなみに、私の身長は一五三センチ。痩せすぎだと、私は思う。でも食べすぎたらまた指摘される。

これだけの掟を守るために、毎朝五時に起きる。自主的にシャワーを浴び、髪も服装もきちんとチェック。勉強も朝から二時間みっちりやる。

たぶんお母さんは気付いてる。よくびしょびしょに濡れて帰るから。臨海公園で遊んでたからって嘘をついてるけど、お母さんの目はそれを信じている風じゃない。どうせ明日も、また今日と同じ。


「姫野ちゃん、ほんとに数学苦手なんだね。だったら、もっと勉強しなくちゃいけないよね。二年生になったら授業のレベル上がったし、頑張って。」

「ごめんなさい。私のせいでみんなに迷惑がかかってる。」

「別に、姫野ちゃんのせいだけじゃないよ。頭の良し悪しって、遺伝するじゃん。」

「ごめんなさい。勉強もっとするから。」

「分かってんじゃん、姫野」

小嶋さん、まただ。

「はい。」

「じゃあなんでやらないの。迷惑だって分かってんだろ。」

「すみません、すみません、すみ……」

「何でも謝って許されるなら、警察はいらないよ。鳳蝶、朱音。」

「はーい。姫野ちゃん、こっち来て。」

トイレだ。鳳蝶ちゃんは美化委員だから、あの場所なら、先生が校内の見回りをしている時間帯でも好き勝手できる。

「一回目。」

誰も助けてくれない。今日もまた。

「二回目。」

お弁当、これじゃあ食べる時間なくなっちゃうだろうな。

「三回目。」

今日は体育の授業がない。運動着を持ってないから、五時間目からは濡れたまま。

扉の向こうからケラケラと楽しそうな笑い声が聞こえてきた。

「四回目。」

教室に戻ったら、私の机の中、どうなってるかな。

「五回目。」

もう、いい。考えるの、やめよう。

無になるのが一番いい。

自業自得なんだから。みんなそう言ってるもん。

小嶋さん、瑠璃ちゃん、鳳蝶ちゃん、朱音ちゃん、蘭ちゃん。自分を叱ってくれる人がいるというのは、幸せなことなんです。

いつからこうなったんだろう。小学校の頃は、いつもみんな一緒だったのに。小嶋さんのポジションが、かつては私の場所だった。

林間学校だって、運動会だって、学芸会だって、私たちは何でも共にした。私は覚えてる。六年生の卒業間近の遠足で約束したこと。中学生になって、他の小学校出身の子と出会っても、私たち五人は繋がってるんだって。あの時のクラスメイトの半分近くは受験して他所の学校に進んだけど、私たちはみんな地元だから、それは他のグループよりも簡単なことのはずだった。卒業式の日に撮った、涙のせいで写りが最悪な写真は、卒業アルバムに挟んで大事に大事にとってある。

私の場所は小嶋さんに乗っ取られ、そして四人は歪んでしまった。



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