私、ブラック企業に就職しました。

@Iwato_No

はしがき

3月27日

「あんな奴は大人じゃない」

 あれは小学生くらいの時だったか。ある日曜日の午前中、親父はテレビを見ながらそう言った。

 親父は、テレビで無責任な発言をする政治家やワイドショーのコメンテーターを批判するのが日課だった。

 そうして終いに、

「いいか健一、お前はあんな大人になるんじゃないぞ」

 と、口を酸っぱくするのを忘れなかった。

 母ちゃんによると、俺はそれに「うん分かった」と返していたそうだ。

 子どもの俺は無垢だった。いや、馬鹿だったと言うのが適切か。俺は、パンツとシャツだけの下着姿で寝転んでいる、中年太りした親父の言葉を真に受けていた。そうすることしか知らなかった。

 だからこそ、休みとあれば、泣きじゃくる俺をよそにパチンコへ行く親父の言葉を素直に聞いていられたのだ。怒られようが叩かれようが、親父や母ちゃんの言葉は絶対的信実だった。

 思えば、それが元凶なのかもしれない。

 それから俺は成長した。中学を出て、高校生を経て、今や大学生も終わり。あと数日のうちに、俺は社会人となる。

 だが時を経るに従って、俺の中では、ある疑問が頭をもたげていた。

「俺はいつ大人になるのだろうか」

 社会への門出はもう目の前だってのに、その答えが一向に分からない。

 成長するに従って、俺の密かな焦燥感は増すばかりだ。

 かつて、ジャン・ジャック・ルソーはこう言った。

「私たちは、いわば、この世に二度生まれるのだ。一度目は存在するために、二度目は生きるために」

 この意味は、身体的変化の著しい第二次性徴期において、肉体的成長と共に精神的にも成熟すること。

 要は、子どもから大人になるということだろう。

 子どもから、大人へ……。

 よく分からない。俺には実感がないのだ。

 二十歳の節目は既に過去のこと。今や好きな時に酒が飲めるし、自動車免許を駆使して遠くへドライブすることもできる。タバコもちょっとやった。まあ、俺にはどれも合わないのだが。

 とにかく、子どもの頃、俺が口をぽっかり開けながら見上げていた大人達にしかできなかったことが、今の俺にはできる。なに不自由なく。

 それを聞いて、ある人は言うだろう。

「なら、君も大人になったんじゃないか」

 確かに、俺も二十歳になれば大人になるのだと思っていたし、あの誕生日を境に、色々な権利が公的に認められた。

 だが、それでもって直ちに、

「あなたは今日から大人です」

 と言われても、実感が伴わなかったのだから、納得できるわけがない。

 それに、あのクソ親父も言っていたが、この世には、大人の格好をした大人でない者が確かに存在しているのだ。

 例えば障がい者。特に精神的障がいを持つ者は大人として見られない。時に表出する彼らの奇怪な言動がその理由だろう。

 大人は節操を弁えるもの。

 静かにしなければならない場面で騒ぐ者はその常識に当てはまらず、節操や常識という言葉も理解できない者は、大人として扱えるわけがない。そんなものを社会の一部に組み込みたくない。

 そんなことを、誰かが教えてくれた。

 例えば犯罪者。万引きとか暴行程度であれば、有耶無耶のうちに犯罪者として認識されなくなることもあるが、殺人や放火、強姦といった、重罪を犯した者への眼差しは恐ろしい程に冷たい。

 大人以前に鬼畜。

 彼らの場合、時には人間としても見られない。そして、社会を維持するためにも、見てはいけない。社会に入れてはいけない。

 そんなことを、誰かが教えてくれた。

 言っておくが、それを教えてくれたのは親父だけじゃない。母、祖母、叔父、叔母、ご近所さん、先生、見知らぬ人、エトセトラ。

 凡そ、俺にとって年長者に該当する者は、言語的、非言語的情報でもって子どもの俺を教育した。

 そして、教育されたのは俺だけではないはずだ。

 小学生のいじめを思い出してほしい。障がいを持っている子をいじめたとか、家族が犯罪者の子をいじめたとか、そういう類のものを聞いたことはないだろうか。

 万が一、聞いたことはなくとも、容易に想像することはできるのではないだろうか。

 大人の話でなぜ小学生が出てくるのか。それは、小学生が年長者の権威に強く影響されているからだ。

 これは大学の講義で聞いた話だが、学級崩壊の一例にこんなものがある。あるクラスの保護者たちはそのクラス担任の先生を快く思っておらず、その先生の陰口を子どもの前でも吐いていた。すると、その子どもたちは、その先生の言うことを全く聞かなくなったのである。

 この例は親の権威に限定されるが、強弱はあるにせよ、年長者の言葉や行動が子どもたちにどのような影響を与えるかは自明だ。俺たちは既に体験しているのだから。

 では年長者が、障がい者や犯罪者を大人扱いしない、人間扱いしなかったら、どうなるだろう。きっと、簡単なこともできない他人をからかい、犯罪者を産んだ家に投石するに違いない。

 そして、異質な者を見下さない年長者に囲まれた子どもは、果たしてどれだけいるか。

 それが俺の言う教育だ。その本能的教育を受けた者なら、大人の格好をした大人でない者がいることを理解してくれるに違いない。

 ところで、少なくとも、俺は障がい者でなければ、犯罪者でもない。前科を持つ家族もいない。だから、俺はそんな突飛な例には当てはまらない。

 そんな俺が、大人になったかどうかで心配しているのは、また別の理由があるからだ。

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