第44話 宮道羽美2
「人の心配してないで、自分の心配しないと。今は宿題を片付けることに集中しよう」
「そうだね。でも、一問目からつまずきそう」
水前寺友香は、くるっくるっとシャーペンを回し、勉強に集中できていない。
「一問目は基本問題なんだから、教科書を参考にすればできるよ」
「教科書をね。数学って教科書見ているだけで、頭痛くなるか、眠くなってくるよ。呪いでも掛かっているのかな?」
「まさか、そんな事ないと思うけど。気持ちは分かるよ」
「でしょ。やっぱ、これは呪いだよ」
「一問目は、この公式使って解けたよ」
宮道羽美が、水前寺友香に教えた。
「ほんと。ちょっとそれ見せてみい」
「自分でやらないと、実力付かないよ」
「だって、分からないんだもん」
水前寺友香は、甘えるように宮道羽美の答えを写し始めた。写す時だけは、すらすらと長い指の手が動く。宮道羽美は、彼女の手柄が奪われたみたいで不満だった。
「ちょっと、次は自分でやってよ」
「えー、次も分からないよ。私には、数学は難しいんだよ」
「それじゃあ、この先困るよ」
「ええー、羽美が助けてくれるよね」
「私にだけ頼らないでよ」
「そんな冷たいこと言わないで、私たち友達でしょ」
水前寺友香は甘い顔をすると、すぐに付け込んでくる。だから少しは厳しくしない、水前寺友香のためにならないと、宮道羽美は思った。
「ねえ、神様のノートって知ってる」
水前寺友香は、突然とその神秘的な言葉を口にした。宮道羽美は心が揺らいで、数式を解く手を休めた。勉強の苦手な彼女たちにとって、それは本当に神様のような存在だった。
「それって、上杉神子のノートでしょ。そのノートを見れば、絶対にテストで高得点が取れるっていう」
「そうそう。どんなノートか一度でいいから見てみたいな」
神様のノートは、クラスの壁を越えて、他のクラスの生徒たちみんなが見たいと願っていた。それに上杉神子が、それを許可しないと見ることはできなかった。神様のノートは、当然レベル100の案件だ。
「きっとそのノートがあれば、こんな宿題も簡単に解けるだろうね」
幾ら何でもそれは調子が良すぎると、宮道羽美は返した。それでも、水前寺友香は本気だった。
「どうしたら、神様のノート見せてくれるんだろう」
「上杉さんに、気に入られるしかないと思うよ」
「上杉さんに、上杉さんって優等生でしょ。私たちの相手してくれるはずがないじゃない。じゃあ、絶対駄目だ。絶望的だね」
水前寺友香は顔を歪ませ、希望も望みもないという表情で唸った。宿題も放り投げてしまった。
「絶望? そうとも限らないよ。だって優等生には、そのノート必要ないでしょ」
「優等生は、優等生で満点取りたいと思っているよ」
「上杉さんのノートがあれば、満点取れるの?」
「分からないけど、高得点は取れるんでしょ。そういうノートだから」
「それ本当か、どうか分からないでしょ。それに私たちには、効果がないかもしれないじゃない」
宮道羽美の言葉に、水前寺友香はますますやる気を失ってしまったようだ。スマホをいじり始めた。
「ちょっと、真面目にやらないと宿題終わらないよ」
「羽美がやったの写すからいいよ」
「そんな、自分でやらないと宿題の意味がないでしょ」
「先生みたいなこと言わないで、分かったから」
水前寺友香はスマホを鞄に押し込んで、宿題のプリントを手に取って眺めると、自分の正面に置き直した。宿題のプリントはレベル11どころか、レベル15以上はあることが分かった。とにかく彼女たちにできることは、宿題をやったということを示せばいい。全問正解する必要はなかった。白紙で出すよりは、きっと増しだった。
二人は一時間ほど数学の宿題に頭を悩まして、断念した。残りは家に帰って片付けることにした。ファーストフード店を出た時、水前寺友香は「羽美、できたら写させてね」と懇願した。そう言われて、あまりいい気分ではなかったが、仕方ないなと、宮道羽美は返答した。その後、水前寺友香とは駅前のバス停で別れた。
「宮道、宿題も大変だな」
「ぼくも、あまり勉強は得意な方じゃないよ」
「間違っていても、誠意は見せているつもりだ」
自宅までは、三十分も歩けば着く。バスなら十五分ほどだ。宮道羽美は歩いて帰ることを選択した。その方が自分に試練を課して、レベルが上がるような気がしたからだった。少しでもレベルを上げておけば、宿題のプリントだって楽に片付けられると思った。街を離れると、人通りは急に少なくなった。外灯が、ぽつんぽつんと寂しく点っていた。ときどき帰宅途中の自転車に乗った学生が、彼女を悠々と追い抜いていった。それでも、宮道羽美は歩けば歩くほど、ぐいぐいと足が前に進んだ。風を切って歩くのが心地よかった。レベルが上がったようには思えないが、経験値がどんどん溜まっていくみたいだった。
もう自宅まで目と鼻の先だ。あと少し、あと少しでレベルが上がる。宮道羽美は、そんな気分になった。難解な謎解きや卓越した反射神経を必要とするゲーム以外は、レベルさえ上げてしまえば、クリアできないゲームはない。が、そのレベルがなかなか上がらない。毎日どんなに経験値を積んでも、上げることのできないレベルがある。レベルの低い彼女にとって、格上の敵に挑むことは、敗北を意味する。
「羽美、家にたどり着いた? 宿題やったら、明日見せてね」
宮道羽美が帰宅する前に、水前寺友香からメールがあった。
「まだ、もうすぐ家に着くよ。友香も少しは自分で宿題やらなくちゃ」
「だって難しくて解けないんだもの」
「友香の場合は、やる気が足らないでしょ」
「そうかな。やる気はあるんだけど、頭が付いて行かないんだよ」
「どこがやる気があるんだよ。全然ないじゃない」
「ひどい、少しはあるよ」
「じゃあ、自分でやってみな」
「それが、なかなかやる気が出なくて」
「何してたの?」
「おやつ食べながら、音楽聴いていたよ。だって家に帰って、すぐに勉強なんてできないよ」
「ええ、さっきフライドポテト食べたばっかりじゃない」
「あれは、ただの間食だよ」
「分かったから、少しは自分で宿題頑張ってみようよ」
「分かってるって」
水前寺友香はそうメールで言ったが、絶対こいつやらないなと、宮道羽美は思った。まあ期待してもしょうがない。誰にでも得意不得意は、あるものだから。宮道羽美は、ようやく自宅に着いた。着いたが、彼女自身も優等生みたいに、帰ったらすぐに机に向かうということはしなかった。それができる生徒は、レベルが高い証拠だ。彼女はレベル10なのだから、そう上手くはいかない。
「宮道、勉強は習慣なんだってこと知っていたか?」
「そうか。でも、続けていれば誰だって身に付くものだろ」
「続けることが大変だからな」
それでも、宮道羽美が勉強の時間を惜しまないのは、男子の先輩とのレベルの差を、少しでも縮めたいからだった。だが、この差はどうやっても埋まらない。成績は上がるかもしれないが、勉強をしたからって、彼女のレベルが上がるとは限らないからだ。授業や塾では、勉強は教えてくれる。が、どうやったら可愛くなって、みんなに魅力的に見られるかは教えてくれない。魅力的になろうと思っても、簡単にはできない。彼女ができることと言えば、放課後、男の先輩が階段から降りてくるのを待っているだけだった。
男の先輩は、いつも同じ時間に会う、宮道羽美には気づいてくれないだろう。それでも、彼女は待つしかなかった。待つことになんの意味がないとしてもだ。告白なんて、最強の強敵だ。そんな事したなら、たちまちこの恋をゲームオーバーになってしまう。
「羽美、こんな所でどうしたの? 忘れ物」
肝心なところで邪魔が入った。その日は、諦めるしかない。
「友香、何でもないよ」
宮道羽美は平静を装って、階段から昇降口の方へと引き返した。
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