第42話 村瀬里奈3
渡瀬里奈は、ファーストフード店の二階の席に座っていた。テーブルの上には、フライドポテトとアイスティーが置かれていた。対面の席には島田仁絵と、隣の席には岸本夏希が座っていた。彼女らもテーブルの上のフライドポテトに手を伸ばしていた。時計を確かめれば、もう午後五時を過ぎていた。
「今日、豊田に呼び出された」
島田仁絵は、フライドポテトを一本くわえながら言った。
「それって本当? あいつ、誰でも呼び出すからな。ほんと迷惑」
岸本夏希は眉を下げた後に、アイスコーヒーをストローで吸った。
「仁絵、どうしたの?」
渡瀬里奈は手を休めて聞いた。豊田弘樹は、クラスの中でもあまり評判の良い生徒ではなかった。彼女の関心のある話でもなかった。
「完全に無視して行かなかった。そしたら、あいつの方から呼びに来た」
「それで、何だって?」
「俺と付き合ってくれって」
「やっぱり、それ誰にでも言っているんだ」
岸本夏希が吸っていたストローから、口を離した。コップの中で氷がざくざくと涼しげに音を立てた。
「仁絵なんて、返事したの?」
「もちろん断った。悪いけど興味ないってね。何か順番回ってきた感じだよ」
「私にも順番回ってくるのかな。嫌だよ」
渡瀬里奈は、フライドポテトを一本摘んで口に入れた。じゃが芋のほくほくした食感に、適度な油と塩気が利いて、彼女の食欲を誘った。こんな美味しい食べ物、他にはないなあと思った。
「あいつ振られるのに慣れているんだから、気にしなくていいよ」
「振られるって分かっているんだったら、わざわざ言ってこなくていいのに。ほんと迷惑」
彼女は油で唇をテカテカさせながら、フライドポテトの紙箱の中を覗き込んだ。最後の一本を惜しむように取り出した。それが、豊田弘樹が告白の相手を選ぶ、くじ引きの当たりくじを引いたような気分がしてうんざりした。豊田弘樹のせいで、最後の一本を、美味しく食べられなかったのが嫌だった。
「それよりも今日、数学の宿題出たでしょ。ここでやっていかない。私、よく分かんないから教えてよ」
岸本夏希がおしぼりで手の油を拭って、早速鞄から教科書とノートを出した。
「じゃあ、一緒にやろう。どうせやらないといけないんだから、早く済ませておいた方がいい」
島田仁絵も鞄を探った。
「どれどれ?」
渡瀬里奈は、岸本夏希のノートに顔を近づけた。誰が見ても読みやすい、お手本のように綺麗に書かれたノートだった。文字はイタリック体に似て、少し斜め右に傾いていた。
「里奈も私の見ていないで、早くノート出しなよ」
「うん、分かった」
彼女は教科書とノートは出さずに、リモコンを手に取ってボタンを押した。
幾ら居心地が良くても、彼女はあまり長い時間同じ世界には居続けられない。未来を大きく変えてしまうからだ。
「村瀬。そのボタンだけは、絶対に押さないな」
「そこが、お前のいた場所だろ」
「そこから逃げてきたということか」
仮面から覗く世界は、景色を切り取ったみたいに視界が少し狭かった。渡瀬里奈は、繁華街の通りを歩いていた。
「今、学校の帰り?」
誰かが、彼女に明るい声を掛けた。振り向くと、白い仮面をつけた肉屋の店主が、彼女を見ていた。濃淡のない白い仮面で、目だけがぎょろっとしていた。
「あっ、はい。今帰りです」
「ねえ、お肉買っていかない?」
肉屋の店主は、冗談のように言った。本当に彼女が肉を買い求めるとは、思っていないのだろう。
「今日は間に合っているから、また今度」
それも、ただの社交辞令だった。彼女は肉屋の店主に頭を下げて、先を急いだ。通りには人が多かった。みんな同じ白い仮面をつけていた。ときどき立ち止まって、決まったように挨拶を交わした。仮面をつけているから、互いに誰だか分からなかった。だから、誰構わずに挨拶をするのだ。
電気店のショーウィンドーには、最新テレビが陳列されて、スポーツやニュース、ドラマを映し出している。渡瀬里奈はテレビの画面にリモコンを向けて、ボタンを押した。彼女は小さなパン屋の前に立っていた。扉を開けて店内に入った。店の中はパンの香ばしい香りに包まれている。それぞれ形の違ったパンが、陳列棚に並んでいた。どれも美味しそうだった。が、彼女の目当ては、パンではなかった。パン屋の店員は、彼女を夢中にさせるような端正な顔立ちの青年だった。名前は知らない。ただ一目見るだけで、心が弾んだ。
店内に客は渡瀬里奈一人だったから、あまり長居はできない。パンを選んでいる振りをして、そっと店員を見た。店員は忙しく働いていた。彼女は、クリームパンとメロンパンをトレーに載せると、レジに持っていった。店員と何か気の利いた世間話でもしたいが、彼女にはそんな事はできなかった。代金を支払って、袋に詰めたパンを受け取った。さっき散々フライドポテトを食べたから、お腹は減っていなかった。それでも満足だった。パンを買ったことが嬉しかった。
「ありがとうございます」
店員が笑顔で言った。渡瀬里奈は顔を赤くして、頭を下げて応えた。このままここにいたかったが、恥ずかしさで体が急いで店を出るように動いてしまう。彼女は人通りに押し流されて歩き始めた。慌ただしい夕方、足を止めている人は少ない。
渡瀬里奈はリモコンのボタンを押した。塾の席に座っていた。
「何でテレビのリモコン持っているの?」
近くにいた男の子が、彼女をからかった。彼女は不機嫌になって、リモコンのボタンを押した。
「村瀬。それ、本当に別の世界に行ける装置なのか?」
「なんだ。ただのお前の妄想だったのか」
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