ぼくのいない物語

つばきとよたろう

第1話 木崎華子1(きさきはなこ)

 知らないうちに無くしてしまった物、どこかへ置き忘れてしまった物、誰にも一つや二つ、心当たりがあるものだ。そう言った紛失物を見つけることは案外難しい。どこで無くしたのか、いつ無くしたのか、それさえ分からないのだから、手の打ちようがない。ひょっとすると、最初からそれは筋書き通りに失うことが決まっていたのかもしれない。そう疑わしくなるくらい、何の手掛かりも残さず消失してしまった物なのだ。


 もし、それが運命だと言うなら、ぼくは何も信じない。そういう失せ物は、ふと知らない町に迷い込んだときに、どこに忘れてきたのか思い出すことが多いからだ。


 その時には、全く自分の手の届かない所にあって、店先のショーウィンドウを見つめる子供みたいに、物欲しそうな眼差しで、ただ黙って眺めるしかできないでいるんだ。それは、すっかり他人の物になったり、忘れられない過去の思い出さえも霞んでしまったりするほどに、遠く離れた場所からしか見ることができない。そうして、何もできない自分を情けないと責めて、恨みもするんだ。


 いいじゃないか。情けなくたって、自分を責めなくたって、それが運命だって諦めたって。でも、それは誰の運命なのだろう。ぼくの運命か、それとも彼女の運命だったのかは、結局のところ誰にも分からない。だから、ぼくは運命を信じない。信じようがないからだ。


「なあ、木崎。運命線って、どれだっけ?」

「お前、長生きしそうだな」

「いいや、ぼくは占い師なんかじゃないよ。木崎。お前、運命をどう思う?」

「お前、欲深いな。何も宝くじに限ったことじゃないだろ。ちょっとした幸不幸が重なることだってあるだろ。そうすると、誰だってすぐに運命を持ち出して、こう言う時があるだろ。私、運が悪いんだって」

「最悪か。確かに自分のちょっとした不注意であっても、誰にも防げないことが多いからな」


 失うことが当たり前のことで、無くさないってことが特別なのかもしれない。無くして当然だと言ってしまうと、とんだ体たらくな人間だと軽蔑されてしまうかもしれないが。それはまあ、仕方ないとしてだ。


 結局、どんなに大切に保管していたとしても、絶対なんてことは有り得ないのだから、そんな不確かなことは、単純に記憶の中へ留めておくだけで十分だと思っている。一生色あせない物なんて、この世に存在しないのだから。むしろ思い出にしておいた方が、時間が経つと共に、自分の都合よく美化されて、いいじゃないか。


 火曜日の学校で木崎華子は、ちょっとした不注意から、一番大切にしていた物を無くしてしまった。どこに忘れたのか、全く見当も付かない。だから、捜しようがなかった。ちょうど火曜日は、数学の授業から始まって、英語の授業で終わる日だった。


 別に木崎華子が、うっかり屋さんというわけではなかった。至って真面目で、優秀で、学校の机やロッカーの中は、いつも綺麗に整理整頓されている女の子だった。


 木崎華子の大切にしていた物とは、何なのか。ぼくはそれよりも、どうしてそんな物を無くしてしまったかの方が気になった。


 木崎華子は、それをいつも肌身離さず持ち歩いていたわけじゃない。全く都市銀行の巨大な金庫くらいに、大切に自室の机の引き出しにしまっておいたのだ。それを火曜日に限って、ちょっと背伸びして、大人になった気分に浸りたいからと思い立って、学校に持ち出したのだ。それが運悪く、紛失してしまった。無くしたのは、特別教室に行った後だったか、それとももっと後だったか、それさえも分からない。学校に不要な物を持ってきた手前、おおやけに捜すわけにもいかなかった。


 木崎華子は、その日に行われた授業を追って、特別教室を回ってみた。教室の床を丹念に捜してもみた。窓からの景色を眺め、運動場に持ち出すはずはないと訝った。あるとすれば、この教室の中だ。だとすると、もう誰かに拾われている。誰が拾ったのか分かれば、大切な物だと断って返してもらう手段はあるのだが。木崎華子には、それを四十名近くいる生徒一人一人に確かめる勇気はなかった。


「木崎、どうしてそんな大事な物、学校に持っていったんだ? 無くしたら困ることを考えなかったのか?」

「まあ、今更それを言っても仕方がないだろうがな」

「で、見つかったのか?」

「そうか。それは残念だったな。でも、まだ諦めるのは早いんじゃないか。誰かに拾われている可能性だってあるんだし」

「どうして? そんなに価値のある物なのか?」

「ますます学校に持っていったのは、失敗だったな」


 それ以来、木崎華子には忘れ癖が付いてしまった。が、それは彼女のせいだけではない。忘れ癖という妖怪の仕業なのだ。それは、どこかに何かを忘れてしまったときに取り憑く厄介な奴だった。


 木崎華子はそれ以来、ちょっとした忘れ物をしたり、宿題を忘れたり、時には靴下の片方を履き忘れたこともあった。成績もぱっとしなくなった。この妖怪を追い払うには、忘れた物を手に入れるしかなかった。木崎華子の忘れた物、大切な宝物を見つけ出すのが、一番の方法だった。だがその方法は、不可能に近かった。


「それだけ必死に捜して、見つけられないところを見ると、お前の大切な物は、既に誰かの手によって拾われたか、捨てられたかしたのだろう」

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