第10話 妹の勘はとてつもなく鋭かったりする

 先週の金曜日以降、俺たちは一転して大人しい日々を過ごした。念のために例の教室に集まることも辞めて、ただ流れていく日々は。


 どうしてか、やけにゆっくりと過ぎていく。

 俺に向けられる通り名も視線も、別段大きな変化を見せることはなかった。


 そうして迎えたゴールデンウィーク初日。

 俺は数日前に東雲から届いた『ご自宅で待っていてもらえますか』という趣旨のメッセージ通りに家に居た。


 例の親睦会とやらだろう。親睦してどうするのか、そしてどこへ行くのかさえ、まだ知らされていないのだけれど。


 連休初日からぱたぱたとお出かけの準備に勤しむ妹の千秋を文庫本の向こうに眺めつつ。適当に身だしなみを整えた俺が、のんべんだらりとリビングのソファに腰掛けている所で。

 ふと、気づく。


 ……あれ? 東雲、俺の家知らなくね?


 振り返ってみるが、教えた記憶は一切無い。

 高嶺が知るはずもなく。では、一体どうやって彼女たちは俺の家に来るつもりなのだろう。


 壁に掛けられた時計を見る。

 指定された時間は十一時だったはず。

 あと、十分もないが。


 ……まあ、気にしても仕方ない。じきに知らなかったことに気づいて連絡でも来るだろう。

 俺は深くソファに座り直して伸びをする。目の前をまた千秋がぱたぱたと通り過ぎて。


 ――ピンポーンと、チャイムが鳴った。

 

 ばかな。

 俺は住所なんて教えていないぞ。


「はいはーい」


 千秋がそのままの流れで玄関へと向かう。


「ちょっと待て」


 慌てて身体を起こし、千秋の背中を追う。いや、でもやっぱりそんなはずはない。きっと荷物でも届いたのだろう。住所も知らずに他人の家に辿り着けるはずが――


「あ、は、はじめまして。えっと、春馬さんいらっしゃいますか?」


 ――あったわ。

 千秋のポニーテール越しに二人の姿が見えて。がちゃん、と扉が閉められた。


 扉に手をかけたまま、わなわなと震えた千秋がこちらを振り返った。真剣な表情で妹は言う。


「…………ギン兄。美人局つつもたせって知ってる?」

「ギン兄やめろ。絶対に扉の向こうの二人の前でそれ言うなよ。そしてそいつらは美人局じゃない。俺の、と、友達だ」


 自分で言っておいてむず痒いが、あれだけの秘密を共有しているのだから、そう表現してもあながち間違いではないはずだ。

 千秋は目を見開いてこちらを見つめた。


「絶対、何かの勘違いだ。こんな可愛い人たちがハル兄の友達なわけない。騙されてるんだ。私がしっかりしなくちゃ」


 どれだけ信用ないんだよ俺。

 ぶつぶつと独り言のように呟いた千秋は、おそるおそる扉を開ける。驚いた表情の二人と目が合った。


「あの。お二人はお兄ちゃんとどういったご関係ですか? ……友達、なんですか?」 


 その質問に東雲と高嶺は顔を見合わせる。

 そよそよと吹いた風が彼女たちの髪を踊らせて、五月の木漏れ日のように二人が微笑む。


「「違います」」


 違ったわ。

 

「そうでしたか。ようこそです。どうぞ中へ」


 おい妹。当然のように招き入れるな。



 ***



「今紅茶淹れますね。ダージリンでいいですか?」

 

 リビングの席についた俺たちに向けて、にこにことよそいきの顔で微笑む妹の千秋。

 何言ってるんだこいつ。俺の家にそんな洒落たものはない。せいぜいティーバッグだろうに。


「は、はい」

「ありがとうございます」


 背筋を伸ばしたまま、緊張した様子で答える東雲と高嶺。そもそも何素直に家に上がって来てるんだ。


 親睦会だかなんだか知らないが、まさか俺の家でやるわけでもあるまいし。

 というかなんで住所が分かったんだよ。


 お湯を沸かしたりかちゃかちゃカップを出したり忙しない千秋を横目に見つつ、俺は訊ねる。


「東雲さん。なんで住所分かったの」

「だーじりんってなんですか」

「私も分かんない」

「しかし、ギン木さんにこんな可愛い妹さんがいらっしゃったとは……」

「めちゃカワなんだけど」

「いや聞けよ。てか今ギン木って言った?」


 ほんと毎回人の話聞かないなこの子ら。

 俺はため息をひとつついて。


「……親睦会、だったっけ? やるならこんなとこでゆっくりしてていいのか」

「大丈夫です。ここでやりますので」


 なるほど。それなら大丈夫か。

 俺は改めて二人を見る。東雲は襟付きの深い藍色のワンピースにいつものショートボブ。

 高嶺はだぼっとした薄手のスポーティなパーカーに短めのスカート。髪を少しアップにしている。


 制服の時と全然雰囲気が違って、なんだか変な感覚だ。


「お待たせしました」


 かちゃかちゃとカップやらなんやらを載せて運んでくる千秋。ふんわりと紅茶の良い香りが広がる。………………ん?


 慣れた手際で皆の前に見たことのない白のティーカップを置くと、茶漉しを使って陶器のポットから紅茶を注いでいく千秋。


 なんでこんな洒落たもんあるんだよ我が家に、と言いたい所だがちょっと待って欲しい。


「……東雲さん。どこでやるって?」

「はい?」

「親睦会。どこでやるって?」

「どうしたんですか枯木さん。さっきから言ってるじゃないですか。ここですよ。枯木さんの家です」


 当然のように東雲は言った。

 そんなこと俺は聞いていないぞ。


 隣に座る高嶺に視線を送ると、彼女はきらきらと目を輝かせながら紅茶と並べられた高級そうなお菓子に心奪われていた。だめだ全然役に立ちそうにない。


「お口にあうといいんですけど」


 千秋は席に着くと、控えめにはにかむ。

 

「千秋、ありがとな。後は大丈夫だ。ほら、出かける予定があったんだろ? 友達待たせてもよくないしそろそろ」

「今日、私すごく暇だったのでお二人のお話し聞きたいですっ」


 すごく暇らしい。

 じゃあなんのために準備してたの? 妹?


「そんな大した話ないから。な、二人とも」

「そう、ですね。何も……」

「無い、よね。無いよほんとに……」


 もじもじと俯く二人。

 誤魔化すのが下手すぎる。

 千秋に感づかれる前になんとかしなければ。

 そして、親睦会とやらをここで開催されるのだけは絶対に阻止しなければ。


「あのな、千秋」

「えー、そうなんですか? じゃあ、お二人のどちらがうちのお兄ちゃんとラブホに行ったと噂になってるんですか?」


 脈絡のないその発言に、俺は絶句した。

 震える手でティーカップを掴み、湯気の立つ紅茶をすする。おかしいな、全く味がしない。


 こてりと首を傾げていた東雲と高嶺の顔がみるみるうちに赤く染まっていく。

 そして、殺意のこもった目でこちらを睨みつけてくるのが分かった。


「ふ、二人とも、なんですか……?」


 逃げるように逸らした視線の先、窓の外に広がる五月の空はやけに青くて。

 俺の妹の勘は、とてつもなく鋭いらしい。


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