第34話
ヒオリがナビをしてニールが移動していくが、蔦に邪魔をされてなかなか香りの中心地にたどり着けなかった。
こちらを見上げていた研究員たちの悲鳴が聞こえる。異変に気付いた者たちが慌てた様子で外に逃げ出していた。
このままでは大きな混乱が起きて事故に繋がりかねない。いや、それより前に研究所ごとリリアンに取り込まれてしまうだろう。
あたりの騒がしさに焦りが加速していく中、ヒオリの嗅覚は匂いの濃い場所が移動していることを伝えた。
彼女は自分たちから逃げおおせる気だ。
破壊された天井の穴へと匂いの源が入っていくのを察し、ヒオリはニールに告げる。
「……っ、ニール、リリアン女史が穴に入ったわ!」
「まずいですね……、研究員たちを逃がす方が先か……」
リリアンの蔦は非常に殺傷能力が高く、生身で受けるのは危険だ。
研究所内にも植物を張り巡らされ、そこを隠れ家にされてしまえば場所がわかっても確保するのは困難になる。
ならばいったん他研究員とともに避難し、応援を呼んだ方が得策かもしれない。そうヒオリとニールがともに同じ考えに行きついた時であった。
ふと風の流れが変わり、ヒオリの鼻孔の中にふわりと甘い匂いが届く。
先ほどから感じている植物の香りと同じものであることは間違いない。
だが出所が違う。リリアン本体から香るそれよりも、僅かに薄いような気もする。
「……、なんだか、あっちからも同じ匂いがするわ」
「え?」
「リリアンさんのものより、ちょっと弱いけど。もしかしたら」
鼻をひくつかせるヒオリが視線を向けた先には、先ほどまでリリアンがいた所長室を象徴する六角形の屋根があった。
他と同様にうごめく植物に覆われている、が、一部が不自然に盛り上がっているようにも見える。
リリアンが去り、それを護る蔦たちも同時に移動したため、下に隠されていた何かの形が浮き出て見えているらしかった。
「あそこに行ってみて、ニール!何かあるわ!」
「了解しました」
青年が頷くと同時に体がふわりと舞い上がり、六角形の屋根の上へと着地する。
流石のリリアンも自分から離れた位置にいるものを攻撃できないのか、蔦がこちらに敵意を向けることは無かった。
匂いの場所までゆっくり歩いていくが、斜めになっている屋根と張り巡らされた蔦のせいで、足場が悪くよろけそうになる。
ニールに支えられながら、ヒオリは何かが隠されている場所を掘り返すように植物をかきわけていった。
◆
リリアンは悲しくて悲しくて吐息をもらす。
どうしてこんなに努力をし、悪い奴らと戦っている自分が指示されないのだろう。
酷い酷いと心の中で悪態をつきながら、自分が開けた天井の穴の中へとゆっくり降りて行った。
(酷いわ、ニールさん。私はヴェロニカさんの悪事を暴きたかっただけなのに……)
くすん、と鼻をすする。あの人は美しいから絶対に自分の味方になってくれると思っていたのに、酷い裏切りだ。
悲しかったけれど精いっぱい逃げ回ったおかげか、己の周りをぷんぷんハエのように飛んでいた邪魔者たちはもう追跡してこない。
ほっと胸を撫でおろしながら、リリアンは自分を護っていた蔦から体を出し、研究所内に降り立った。
(もっと私の言うことを聞いて、協力してくれる人たちはいないかなあ……)
クロードは魔法をかけたら素直になってリリアンの信条を理解してくれたけれど、結局最後は諸悪の根源をかばっていた。
だから彼はもう駄目だ。もっと頼りになって、心から己に賛同してくれる人物を見つけなければならない。
この研究所には己の協力者となってくれる人はたくさんいたけれど、クロードほど後ろ盾のある人はもういないだろう。
ならば、ここはもう用済みだ。
「……別の街に行こうかなあ。そうしたらもっとわたしに賛同してくれる人がいるかもしれない」
深くため息をついて天井を振り仰ぎながら、リリアンは崩れた研究室を出るべく蔦となった足を動かす。
夢の植物は研究所を包み、飲み込み続けている。ここにいる研究者たちを魔法で『説得』したあとは、自分のために動いてもらおう。
彼らに次の移動の地を探してもらうのもいいかもしれない。
だがそうなると、自分は何処に行けばいいのか。
「一旦、家に帰ろうかな。あそこにはわたしの味方をしてくれた人がいたし」
「いいえ、貴女をもう二度と何処へも行かせないわ」
にわかに声が聞こえ、花の香りが鼻孔に届いた───と思った瞬間、背後から何者かに腕を回され、首を拘束される。
細い腕が器官を圧迫し、「ぐえ」と潰れたような声を出してしまった。
あまりの苦しさに魔法の蔦でもって反撃をしようとしたが、それより前に首筋にじくりとした痛みが走る。
「い、いたっ!!!な、なにを……!」
「貴女はもう終わりですわ、リリアンさん」
冷ややかな声に視線だけで振り返ると、そこには金色の目を冷徹に光らせるヴェロニカがいた。
しかもその手には何かの薬品が入った遮光瓶が握られている。
それだけでも恐ろしいのに、首から感じる痛みがどんどん大きくなってきていて、顔から血の気がさあと引いていったことを自覚した。
ああ!やっぱりヴェロニカは、己を害する悪魔だったのだ!!!
焼けつくような首筋から全身に広がりを見せる痛みにもだえながら、リリアンは絶望の叫び声をあげた。
§
絡まる蔦を何とかほどきやがて姿を見せたのは、目を閉じぐったりとしたヴィクトル前所長であった。
ニールがそっと彼の腕を取り、脈と呼吸を確認する。前所長があまりにも青い顔をしているので不安になったヒオリは、低い声でニールに問いかけた。
「大丈夫?息は?」
「まだ生きているようですよ。まったく、悪運の強い方だ」
いささか不謹慎な言葉だが、ヒオリも同意見だったので特に咎めることはしない。
ヴィクトルの所業を思えば大きな罰が当たって然りとは思うが、彼にはまだ話してもらわなければならないことがたくさんある。
被害にあった者たちのためにも、法の裁きを受け、罪の所在をはっきりとさせる事が最善であろう。
納得しきれないものもあるがため息で押さえて隠し、ヒオリはヴィクトルを見下ろした。
「リリアン女史は後回しにして、この人の治療をしましょう。それより前に、研究所の避難誘導を」
「ええ、そうですね。……ん?」
頷いたニールがふと眉間にしわを寄せて、視線を階下へと転じる。ヒオリもまた首を傾げて、視線を屋根を通り越して下の方へと向けた。
何処かで叫び声のようなものを聞いた気がしたのだ。
逃げ出した研究員たちの悲鳴かとも思ったが、それにしては何処か奇妙だ。叫び声は二人の近くで、しかも長く尾を引いて聞こえる。
「いったい何が……、あっ!」
もっとよく見ようとヒオリが身を乗り出した途端、ぐらりと研究所が揺れた。
慌てたニールに体を支えられて、刹那、自分たちの下にあった所長室の壁に大きなひびが入る。
それのひびは瞬く間もなく大きくなり、音を立てて壁は崩れていった。
崩れた壁材を押しのけて太い蔦がにゅるりと顔を見せたとき、ヒオリはこれがリリアンの仕業であることを察した。
「くっ!リリアンさん!?今度はいったい何を……!!!」
「ヒオリ殿、あれを!ヴェロニカ殿が!!」
焦ったニールが指を刺した先……壁から突き出した太い蔦の先に、燃えるような赤毛の女性がしがみ付いている。
ヴェロニカ女史だと気付いたヒオリが声をかけようとした瞬間、再度甲高い悲鳴が崩れた壁の向こうから響いてきた。
「いやあああっ!!いやああああっ!!!!何をした、何をしたのよぉおおっ!!!体が枯れる!枯れちゃうよぉおおおっ!!!」
リリアンの悲鳴であった。
悲鳴の半瞬後にまた大きく壁が崩れ、そこから大量の蔦とそれに絡まるプラチナブロンドの女性が流れ出すように身を乗り出す。
「ヴェロニカぁああぁっ!あんた、わたしに、わたしに!!!」
怒りなのか恐怖なのか震えるその悲鳴を上げたリリアンの顔は、何と半分枯れた植物のようにしわがれていた。
水気を無くし、幾多も深いしわが寄り、髪の毛も花が散るようにはらはらと落ちて言っている。
妖精のような美貌が見る影もないその姿に、ヒオリは眉間にしわを寄せて呟いた。
「ヴェロニカ女史がアロマを使ったんだわ……」
先ほどはリリアンから離れた蔦だったせいかそれほど効果は現れなかったが、体に振りかけたのだろう。
無垢だった彼女の体はしわがれ、長い蔦は体に遠い部分からぼろぼろと枯れ落ちていく。
そんな状況にリリアンを追い込んだヴェロニカ女史は、蔦にしがみ付きじっと様子を眺めていた。
こちらから彼女の顔は見えない。もちろん声も聞こえない。
しかしヒオリはその赤い唇が「地獄に落ちろ」と動いたことを確信していた。
その声をリリアンは聞いたのか。苦痛に歪む顔をヴェロニカに向けて、渾身の力を振り絞り蔦を動かす。
危険を察したヒオリはニールを振り返った。
「ニール!」
「掴まって!」
それで意思疎通が出来たヒオリは彼の体に腕を回す。ニールは素早く飛行呪文を唱えて舞い上がり、ヴェロニカたちのもとへ向かった。
ヒオリの予感は的中し、リリアンは今まさに振り上げた蔦をヴェロニカに打ち付けようとしている。
鞭の如くしなるそれが赤毛の研究者を振り落とさんとした刹那、二人に近づいたニールは『力の言葉』を口にした。
「【
青年が練り上げた魔法は炎となり、茶色く変色しているリリアンの体に容赦なくぶち当たる。
瞬間、「あっ!」と悲鳴が聞こえた。同時に枯れかけた彼女の体はずるりと穴から滑り落ちる。
「ああっ!!あああああっ!!!!」
目を見開いたリリアンが甲高い悲鳴を上げて重力の手に引かれていく。
ヴェロニカ女史も彼女に引きずられ落下しかけたが、寸前でニールとヒオリがその体を受け止めた。
リリアンも助けを求めるように手を伸ばした。が、半瞬だけ遅い。
既に彼女の手はヒオリたちが届く範囲の外へ出てしまっていた。
「あ、ああっ!」
ぼろりと枯れたリリアンの目から涙が零れ落ちる。
とさり、と人間が直撃したには軽すぎる音が地面から聞こえたのは、その直後であった。
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