第30話

 他の研究員たちだけで一旦会議を進めてもらうことにして、ヴィクトルたちは場所を本棟のミーティングルームに移した。

 室内に置いてある長机を挟んでヒオリとヴェロニカは、ニールとクロードに詰問されている。


 ヴェロニカは優雅に、ヒオリはやや不機嫌に自分の無実を訴えているが、彼女たちの言葉を証明するものはない。

 このまま魔法協会に自分が訴えれば、二人を学会から追い出すことは可能だろう。


(……しかし何故こいつらはリリアンの魔法にかからなかったのだ?何か理由が?)


 ただそれだけが気がかりで、ヴィクトルは厳しい目でニールとクロードに取り調べられている二人を睨みつけている。

 ぴりりとした己の空気を感じ取ったのか、ふとニールがこちらを振り返り、席を立った。


「ヴィクトル前所長、どうかしましたか?何かご質問が?」

「いや、何というか……ニールくんが今回の件にこれほど積極的とはね、少し驚いて。君はヒオリくんと行動をしていただろう?」


 こちらに近づいてきたニールに密やかな声で問われ、ヴィクトルは表情を和らげながら答えた。

 すると青年はその麗しいかんばせをさらに麗しく微笑み、肩越しに振り返る。


「ええ、美しいリリアンさんのためならば私も尽力させていただきます。ねえ、リリアンさん」

「あ、……ニールさん」


 クロードの隣に立ち、いまだに泣きじゃくっているリリアンとニールが見つめ合う。

 青年の青い目はうっとりと恍惚に光っており、ずいぶん彼女に心酔しているのだと一目で理解できた。


(この小僧、リリアンに操られているな)


 有能ぶって調査にも乗り出していたが、他愛ないものだ。リリアンもこの男を気にかけていて、人形を作っていたのでそのせいだろう。

 所詮は若造と静かに嘲笑うヴィクトルだったが、ふいにリリアンに視線を転じた瞬間、はらりと小さな葉が落ちたのを目撃してしまった。


 刹那、ヴィクトルの心臓は嫌な音をたてる。

 その瞬間に、今一度はらり。リリアンの白衣のすそから落ちたそれは、足元に二枚重なっている。

 いまだ誰も気が付いていないが、ここには人が多すぎる。いつ自分以外の目に留まるかわからない。


 ───まさか、魔法の調子が悪いから情緒不安定になっているのか?

 冷や汗を背中に浮かべながら、平静を装いヴィクトルはリリアンに声をかけた。


「リリアンくん、大丈夫かね?顔色が少々悪いようだが?」

「え?」

「別室で休んでいたほうがいいのではないか?」


 問いかけるとクロードがリリアンを振り返る。

 一同の視線を受けてびくりと体を震わせる彼女は、己の言う通り顔色が少々悪かった。

 愚かな息子もようやくその様子に気付き、「リリアン?」と椅子から立ち上がりかける。


「大丈夫かい、リリアン。まだ怖いのかい?いったん休むかい?」

「く、くろぉど、しょちょぉ……」


 名前を呼ばれ、堰を切ったようにリリアンの目から涙が溢れて来た。

 それを見てクロードは完全に焦ったようで、おろおろとその細い肩を抱く。しゃくりあげながらリリアンは、息子の胸の中に顔を埋めた。


「父さん。確かにリリアンの調子が悪いようです。ちょっと医務室へ行ってきます」

「いや、私が行こう。お前はここでヴェロニカくんから話を聞いていなさい」

「え、しかし……!」


 ヴィクトルはクロードから奪うようにリリアンの手を取り、ミーティングルームを出ようと急いだ。

 息子が戸惑いの視線をこちらに向けてついてくるが、構ってはいられない。


「クロードは残っていなさい。ニールくん、ヴェロニカくんとヒオリくんを頼んだよ」

「かしこまりました」


 ヴィクトルは震えるリリアンを連れて、急ぎ足でミーティングルームを後にした。

 ニールがぺこりと頭を下げ、ヒオリとヴェロニカが呆然とこちらを見ている様子が横目に見えた。


 廊下に出たヴィクトルは、さらにリリアンの手を強く引き、素早く廊下を渡る。

 その手首から伝わる小さな振動と鼻をすする音に、苛立ちながら乱暴に訊ねた。


「どうしたのだ、リリアン?何処か具合が悪いのか?」

「う、ううう……怖い、怖いわ、クロード所長……」

「リリアン!?」


 受け答えもまともに出来ない彼女は、やはり様子がおかしい。

 普段もわがままで子供のような言動を取るが、流石にここまで奇妙な状態は見たことがない。


(昨日の晩に何かあったのか?くそっ!手間をかけさせおって!)


 自らの研究室に行って、早急に調べて対処しなければ。

 問題ごとばかり起こしてくれる研究所のものたちにため息を落としていると、にわかに背後から足音が聞こえて来た。


 肩越しに振り向いて、ヴィクトルはちっと密かに舌打つ。

 こちらに向かって廊下を駆けてくるのは、己の愚かな息子であった。


「父さん!どうしたのですか!?リリアンが怯えています!やめてください!」


 クロードは戸惑いうろたえた様子で、ヴィクトルの背中に声をかける。

 リリアンが心配で追ってきたのだろう。相変わらず余計なことしかしない我が息子を殴りつけたくなったが、相手をしてやる時間も惜しかった。


「大丈夫だ。お前はヴェロニカくんのところへ戻りなさい」

「父さん、何処へ……!?」


 己の向かっている方向が医務室とは違うことに気付いたらしい、クロードがさらに慌てる。

 しかし構わず無言で廊下を進み、ヴィクトルはリリアンとともに所長室へ繋がる階段をのぼりはじめた。


§


 いつもの紳士さをかなぐり捨てて、ヴィクトルは乱暴な足音を響かせながら所長室のゲートをくぐった。

 手を引くリリアンは怯えて泣きじゃくるばかりで足が遅く、苛立ちは加速する。無理矢理引っ張るようにして、二人はようやく誰の目もない場所にたどり着いた。


 眉間に出来た深いしわを指で撫でつけながら、涙を流す女を振り返る。

 己の顔が怖かったのだろうリリアンは、さらに目を潤ませて鼻をすすった。

 これ以上怯えさせては話が長引くとヴィクトルは心を落ち着かせ、出来る限りの優しい声で彼女に問いかけた。


「リリアン、いったいどうした?昨日の研究室で何かあったのか?何をされた?」

「……うう、うううう」

「泣くばかりではわからんぞ。リリアン?何があった」


 さらに猫なで声を出すと、リリアンの泣き声は僅かに収まる。

 真っ赤な目でしばらくヴィクトルを見つめてしゃっくり上げていたが、じきに弱弱しく唇を開く。


「き、きのう夢で……ニールさんをぉ……」

「夢?お前の『魔法の世界』のことか?奴らを引き込んだのだろう?何があった?」


 思い出したのか彼女の目にじわりと涙が溢れた。

 しかし誰かに話したかったのか、リリアンは途切れ途切れながらもヴィクトルに訴える。


「うう、火を、つけられた。怖かった。あいつに、体を燃やされたのぉ……」

「何?」


 ヴィクトルは片眉を跳ね上げる。


 魔法で作り上げた夢の世界は精神世界とも言える。心の傷つきやすい部分をむき出しで晒しているようなものなのだ。

 そこで傷を負うと言うことは、心に傷を負うということと同等だった。


 かすり傷でさえ危険なのに、体を燃やされたとは……ヴィクトルは歯噛みしながら、リリアンにさらに問いかけようと口を開きかけた。

 瞬間、小さな電子音が響き渡り、所長室のゲートが開く。


「父さん!どうしてこんなところにいるんですか!?医務室へ行くのでは無かったのですか?」

「……クロード」


 忌々しく思いながらヴィクトルは、開いた扉から慌て入って来た男……クロードを睨みつける。

 息子は酷く焦った様子で二人に駆け寄ると、リリアンの顔をのぞき込み、そしてこちらに向き直った。


「リリアン、大丈夫かい?辛いのだろう?父さん、いったい何をしていたんです?」

「……ヴェロニカたちは?」

「すでに罪を認めたそうです!これから魔術協会に連絡をするとニールさんが」

「そうか……」


 本格的に魔術協会の調査が入る前に、脳実験に関するデータの消去、そして様子のおかしいリリアンを隠しておきたいとヴィクトルは考える。

 リリアンの能力は優秀だが人形を作るには時間がかかるため、調査員全員を操ることは不可能だ。


 奴らは足が速いから、早急に対処しなくてはならないだろう。

 リリアンも本調子ではないと言うのに、まったく頭が痛いものだとほぼ八つ当たり気味にクロードを睨んだ。


「次から次へと厄介ごとを……。お前も言うことを聞かんし、残っていろと言っていただろう」

「……父さん?」

「まあ この情報を持ってきてくれたことは感謝する。だが邪魔だ」


 感情のこもらない礼を口にし、ヴィクトルは戸惑う息子に右手をかざした。


「【ύπνος《ヒュプノス》】」

「……っ!」


 発するのは眠りを意味する『力の言葉』。

 驚きにかっと目を見開いた息子だったが、すぐに床に倒れ伏す。

 まぶたを閉ざした彼の胸がゆるやかに上下しているのを確認し、ヴィクトルは所長室のデスクへと速足で向かった。


「ちっ、まったく……、ぐ……ぅ!」


 舌打ちを漏らした瞬間、ぐらりと視界が強く揺れる。

 倒れる前にデスクの縁に手をつき体を支えるが、しばらく視界が真っ暗に染まっていた。

 貧血に似たその症状がどういうものか理解していたヴィクトルは、忌々し気に深いため息を落とす。


(薬が足りんか……補充を、いや、その前にデータを消しておかんと……)


 がんがんと痛みだした頭を押さえながら、ヴィクトルは認識証をデスクのパソコンにスキャンさせる。

 自分とクロードの認識証が無ければアクセスできない研究所のデータバンク……さらにその先、自分しか知らない場所へ移動し、ファイルを消去していく。

 黙々と作業をしていると、泣きじゃくっていたリリアンがふらふらとこちらに歩み寄って来た。


「リリアン、お前は治療してやる。そのあとはしばらく姿を隠して置け」

「く、くろぉどしょちょぉ、は……」

「こいつは放っておけ。しばらくすれば目を覚ますし、何か疑問に思ったところでお前の魔法があるからな」


 言いながらいまだ倒れているその体に視線を転じ、しかしぎょっとする。

 「……ヴェラ」と息子の唇が動いたのを見たのだ。その単語が何を示しているのかを知っているヴィクトルの背中に、幾度目かわからない冷や汗が伝った。


(……魔法が解けかけているのか?リリアンの精神に傷がついたからか?)


 早く魔法をかけなおさなければ、研究所に混乱が起こる。

 震える手でパソコンを操作し終え、ヴィクトルは痛む頭を押さえながら本棚へと歩み寄った。


 棚板の裏に手を伸ばし、装着していたスイッチを操作すると、何かが作動する音とともに壁が横へ動き始める。

 一分もしないうちに壁の裏から鉄製の重厚な扉が現れた。

 この研究所を建てるときに設置した、ヴィクトルの秘密の研究室への入り口である。


 ヴィクトルは再び泣きじゃくるリリアンの手を引き扉を開けると、その向こうに続く部屋へと入っていった。

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