第23話

 公平で正義を愛するリリアンは覚悟を決めました。

 みんなに正しいことを教えていくために、魔法の力を手に入れる事にしたのです。

 リリアンに魔法を授けてくれると言った紳士は、目を細めて大きく節くれだった手を差し出してきます。


『さあ行こう!可愛らしいお姫様!君は全てを凌駕する魔法の力を手に入れ、やがてその望みは叶えられるだろう!この魔法博士、ヴィクトルが保証しよう!!』


 そうして正しいリリアンはヴィクトルに連れられて、大きな建物へとやってきました。

 生まれ育った街の中心地に建てられていた目立つ存在でしたが、リリアンはこのかた縁がなく、いつも遠目で眺めるだけだった建物です。


 【ディアトン国立魔法脳科学研究所】


 今日初めて間近で見た建物の真っ白な門。そこに掲げられた金属の大きな看板にはそう記されています。

 脳と言う文字と研究所と言う場所に妙な恐ろしさを感じ、リリアンの体はぶるりと震えました。


『脳の研究所?いったい何をすれば魔法の力を手に入れられるの?』


 問いかけるリリアンに紳士は少し笑って『すぐにわかるよ』と、己の手を引きました。


 紳士とともに中に入れば、研究所は病院のように清潔で、独特のにおいがあたりを漂っています。

 お医者様にも見える白衣を着たたくさんの大人が廊下を歩き回っており、紳士とリリアンをちらりと見て嬉しそう目を細めました。


『やあやあ、ヴィクトル博士!この少女がそうなのですかな!』

『まあ!ヴィクトル博士!ついに見つけたのですね!』


 彼らはこちらへ歩み寄ると、喜ばし気にヴィクトルと手を握り合います。

 とても楽しそうな彼らの様子に、リリアンの緊張は和らいでいきました。


 場の空気に流されるようにリリアン自身もにこにこ笑っていると、『良かった!』『これで成功する!』と声をかけ合っていた者の一人がやって来ます。

 彼女は女性で、顔には輝かんばかりの笑顔が浮かんでいました。


『ああ、ありがとう!貴女がいてくれればきっと私たちの目的は達成されるわ!貴女は私たちの希望よ!』


 それを聞いてリリアンは嬉しくなりました。

 姉妹や同級生、父も母も担任教員たちも冷たく、これほどの賛辞の言葉を貰うことはここ最近無かったからです。


『やっぱりわたしはここに来て間違っていなかったんだわ!』


 自分の決定に自信を持ったリリアンを、白衣の人間たちは皆ちやほやしてくれました。

 『準備が終わるまで待っていて』と案内された部屋でたくさんのお菓子をもらい、大人たちはリリアンの話を否定することなく聞いてくれました。


 両親や先生、姉妹がとても酷いのだと言うリリアンの味方もしてくれます。

 リリアンは悪くない、リリアンが正しいと、皆にこにこと頷いてくれます。

 自分を肯定されるだけで、リリアンは満足でした。


 そうしてお菓子を食べ終えたリリアンは、皆に促されるまま別室に移動し、台の上に寝ていました。

 自分の真上には大きなライトがあり、周りにはドラマでよく見るような緑色の手術着をまとったヴィクトルたちもいます。


『次に目が覚めた時、君は魔法の力に目覚めているはずだからね。安心して眠っていなさい』


 にこにこと微笑むヴィクトルが、リリアンの口に大きなマスクを被せます。

 『何?』と問いかけようとした瞬間、意識は遠のき、いつの間にか深い眠りへと落ちていきました。

 それからしばらく、記憶はありません。


 ───次に目覚めたときには、病院で見るような清潔で真っ白なベッドの上にリリアンは眠っていました。

 体が上手く動かせません。頭がぼんやりとします。


 目だけは自由だったのできょろきょろとあたりを見回していると、ベッドのかたわらには白衣を着た男が立っていました。

 ヴィクトルです。彼は爛々と目を輝かせて、満面の笑みを浮かべながらリリアンに言いました。


『やあ、リリアン!手術は成功だ!君は立派な魔術師第一号なのだよ!』


 おめでとう!おめでとう!と何処からか声がします。

 体は動かずとも、それを聞いてリリアンはにっこりと笑いました。


『これでわたしは正義の味方よ!皆わたしの言うことを聞くといいんだわ!』


§


 映像が終わりシアタールームの照明に明かりが灯る様子を、ヒオリは席に座ったまま呆然と見ていた。

 いつの間にか喉も口の中もからからだった。唾液を飲み込みたかったが、ほんの少しの水分すら滲み出てくることもない。


 せめて落ち着くべく、早鐘を打つように高鳴っていた心臓を荒い呼吸で整え、ヒオリは呻く。


「これは、本当のことなんですか?」

「昨日までの映像はエレメンタリースクールの彼女でしたわ。私が調べた彼女の学生時代と大まかには一致していましてよ」


 もちろん主観で固められ、かなり歪んだものでしたがと言うヴェロニカに、思わず頭を抱えたくなった。

 ここがリリアン女史の作り出した世界だと言うならば、恐らく先ほどの演劇は真実なのだろう。


 だとしたらヴィクトル前所長はリリアンと初めから繋がりがあったのだ。

 しかも少女だった彼女を口車に乗せ、恐らく同意も取らずに手術を施行している。


「ヴィクトル前所長は、リリアン女史に何をしたんでしょう?」

「彼の専門は脳医学。それに劇に出て来た脳科学研究所という場所から察するに、彼女は恐らく脳をいじられたのではなくて?」


 口元に手を当てて考えながら、何のこともないような冷静な口調でヴェロニカは言う。

 顔を歪めて彼女に視線を転じたヒオリは、唸る獣のような声で訊ねた。


「リリアン女史は自分が何をされたかわかっていないでしょう。彼女の心の隙をつきその脳をいじるなど、鬼畜の所業なのでは?」

「それでも望んだのは彼女だわ。もちろん14歳という不安定な時期の少女をたぶらかしたのは事実だけど」

「……家族はこのことを許したのでしょうか?」


 ヒオリが尋ねるとヴェロニカはしばらく目を細めて何事かを思考している様子だった。

 やがて彼女の艶めいた唇が「だから引っ越したのかもね」と動くのを見て、さらに頭が痛くなる。


(家族から見捨てられたのかもしれないと言うことなの……?)


 14にもなって誰かを陥れ、自分を悲劇のヒロインに見せるリリアン女史に、家族は疲れていたのかもしれない。

 引っ越しに置いて行かれたか、もしかしたらヴィクトル前所長に売られたのか。

 あまり考えたくなくて首を横に振ると、隣に座っていたヴェロニカがにわかに立ち上がる。


「そんなことは大きな問題ではないわ。この劇で大事なのはお義父様が魔術師を作り出したと言っていることよ」

「……それが、何です?」

「調べる価値はあると思わない?彼がどんな発見をし、どんな魔法をリリアンさんにかけたのか」


 言いながら彼女は振り返り、唇に薄っすらと笑みを浮かべ目を細めた。

 炎のように鮮やかな赤毛ときらめく金色の眼が相まって、その立ち姿は優雅で美しい。場所が場所なだけに、歌劇に登場するプリマドンナのようにも見える。


 だがその麗しさの下に、何か燃えるような激しい感情が隠れているような気がヒオリにはした。


 いつまでも子供のような願望を持っているリリアン女史、そんな彼女を騙し脳をいじったヴィクトル。

 もちろん彼らはおぞましいが、ヴェロニカはそれ以外の何かを二人に感じている。

 いったい彼女は何を思ってここで行動しているのだろう?それが理解できなかった。


 視線は鋭いままに口を閉ざす己をどう思ったか、ヴェロニカは笑みを深めると出口に向かって歩き出す。

 かつりかつりと響くヒールの音の合間に「どちらへ?」と訊ねると、彼女は振り返らずに告げる。


「もう少しここを調べようと思いますの。もっと興味深いものが見つかるかもしれませんわ」

「恐ろしいもの、の間違いでは?」

「あら、そうかも」


 くすくす、と笑い声を薄暗い劇場に溶かしながら出入り口に歩み寄ったヴェロニカは、引き手に手をかけた。

 刹那───鼻孔をあの甘い香りがくすぐった。


「見つけたわ」


 一瞬遅れて聞こえてきた声に、ヒオリはぎょっと上を振り仰ぐ。

 先ほどまでただの暗がりだった天井は、いつの間にかびっしりとあの植物の蔦で埋め尽くされていた。

 青々とした葉と実に埋もれるように、プラチナ色の髪の毛とぎらりと光る緑の目が見える。


 背筋が凍ったと同時に、ヒオリは出入り口に向かって駆け出す。

 見れば目を見開いたヴェロニカが、引き手に手をかけたまま立ち止まっているのが見えた。


「ヴェロニカ女史、逃げ、……っ!!」


 言い終わる前に、ヒオリの鼻先をかすり何かが落下してきた。

 どちゃり!と粘性の液体にまみれた何かが激突する音と、むせ返るほどの甘い香り。


 あの人形だと見なくてもわかった。

 下を見ずに後ろに跳ね飛べば、体勢を崩してぐらりと軸がぶれて足がもつれる。

 転ぶ───!そう思って体を固くした瞬間だった。


「ヒオリ殿!避けてください!」


 清廉な声が、吐き出さんばかりに甘い香りの中を貫いた。

 ぐるりと回転する視界の中、ニール、とヒオリは無意識にその名の形に唇を動かす。


 体勢を立て直せなかった体は倒れ、強か床に打ち付ける。同時に、再び近くで何かがどちゃりと落ちる音を聞いた。


 視界の端で粘液にまみれながら立ち上がる魔法人形の姿を見た。腕を伸ばせば触れられる距離である。

 はっと体を強張らせる己の耳に、切りつけるような男の声が届いた。


「【φλόγαフロガ】!!」


 刹那目の前を通り過ぎたのは、灼熱の突風。

 それが横向きに発射された炎の柱だと気付くのに時間はかからない。

 

 呆然と見守る中、炎の柱は渦となり、こちらにやって来ようとしていた人形を巻き込んだ。

 粘液もろとも燃やし尽くされる姿にはっと我に返ると、ヒオリは慌てて立ち上がって出口に向かい駆け出す。


「ヒオリ殿!こちらへ!」

「ニールさん!!」


 開け放たれていた扉の前には、上等なスーツをまとった美貌の青年……ニールが必死な顔でこちらに手を伸ばして立っていた。

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