第13話
所長室から休憩室に内線を入れると、所長と前所長はすぐにやってきてくれた。
ヒオリは彼らに礼を言ったのち、やはり温室に入った研究員たちの動向と様子を聞いた方がいいだろうと報告する。
だが途端にクロードの顔は険しくなり、咎めるように睨みつけられた。
何を……誰のことを考えているのかは非常にわかりやすい。二人は特に追及することもしなかったが、青年所長は眉毛をつり上げながら精一杯威圧するようにヒオリたちに告げる。
「さっきも言ったがリリアンは駄目だ。他の研究員たちなら構わないが……」
「ならリリアン殿には貴方が聞き取りをしてください。他の方の聞き取りはこちらで手分けをしますので」
ニールの提案にクロードは一瞬ためらい視線を彷徨わせていたが、やがて「いいだろう」と承諾する。
好感度はすでに地に落ちていたが、呆れと言う感情は幾度でもやってくるらしいと、ため息がヒオリの口からもれる。
不躾にならない程度の半眼で所長を見つめながら、低い声で問いかけた。
「……クロード所長、リリアン女史は最近も同じ魔法人形の研究をなさっているのでしょうか?」
「ああ、あれは大好評だったからな。もっとクオリティの高いものを作るとリリアンははしゃいでいたよ」
彼女の名を出すと途端に頬をほころばせるクロードに、げんなりしつつ「そうですか」と適当に返答した。
研究所の繋がりを強めるための婚約があるというのに、彼はこの調子でいいのだろうか?
リリアン女史に心酔するうちに、いつかとんでもないミスを犯しそうだとヒオリは思った。
(そういえば……ヴィクトル前所長は息子の移り気のことについて何も思わないのかしら?)
ヴェロニカが言った通り、一時の気の迷いと軽く受け止めているのだろうか?
クロードの隣に立っているヴィクトルにこっそりと視線を向けるが、彼はにこにこと微笑むだけで息子を咎める様子はない。
何だかそれが厳格な前所長の印象と大きく違っていて、ヒオリは首を傾げざるを得なかった。
「それではまずクロード所長にお聞きしたいことがあるのですが、いいでしょうか?」
「ああ、わかった。だが、手短に済ませてくれ」
ニールが切り出した言葉で四人は応接間に移動し、聞き取りは開始された。
だが彼らのここ数日の行動にはヒントになるようなものもなく、何かを隠している様子もない。
件の植物の写真も見せたが、クロードはもちろんヴィクトルも見たことが無いようだった。
「ただ道のどこかに生えている雑草だったら覚えていないだけかもしれんがねぇ……」
「僕もだ。どこかで触ったとしても気にしていないと思う」
「そうですか……」
何か思いだしたことがあったらお教えください、と告げて再度明日の聞き取りのことを頼み込み、ヒオリとニールは立ち上がった。
もうずいぶん時間が経っており、そろそろ昼時のチャイムが鳴りそうである。
老紳士も自分たちを見送るように立ち上がり、慌てた様子でぼんやりしていたクロードも立ち上がる。
「私たちに何か出来ることがあれば言ってくれたまえ。なんでも協力しよう」
「聞き取りは時間がかかると思います。信頼のおける方を調査員に加えたいのですが」
「おお、もちろんだ。君が頼りになると思う人間と行動しなさい。後で連絡を入れてくれれば構わないよ」
これに答えたのもヴィクトルで、父親の現所長である息子は背後で気弱そうに立ちすくむだけだった。
どちらがここのトップかわからない。そんな感想を抱きながら、ヒオリたちは再度礼を言って彼らの元を後にした。
所長室から研究室棟に繋がる階段をくだる最中、昼休憩が訪れた。
まだ半日しか経っていないのに疲れを感じている。眉間に出来たしわをもみほぐしながら、ヒオリは呟いた。
「話には聞いていたけど、思っていた以上ね。あれじゃあポンコツなんてもんじゃないわ」
「確かに。研究所を率いる人物としては問題があるようですね」
ニールの返答も冷ややかだ。
見ればその端正な顔に笑みは浮かんでおらず、彼もまたげんなりしているのだと察する。
「ヴィクトル前所長は頼りになる方だけど……息子の所業をどう思っているのかしら」
「さて。所長として頼りないのはともかくとして、あれほどわかりやすく婚約者以外の女性に心酔しているのを見て何も言わないのは奇妙かと」
どうやらニールもまたそのことが気になっていたらしい。
これが肩書のない男女の惚れた腫れたならばヒオリたちも何も思わないが、相手は国立研究所の所長と職員である。
生涯を共にすると誓っている女性がいるのに、他へ目移りするクロードに外からも批判が来るだろう。
そうなれば立場が危うくなるのは親であるヴィクトルも同様なのでは?その疑問が二人の頭の中をぐるぐると旋回していた。
§
前所長はどうしてクロードを、そしてリリアンを放置しているのだろう?
ハイソサエティなお偉い方の考えなどよくわからないが、ヒオリはそれらしい理由をひねり出してみる。
「リリアン女史は優秀だから、前所長としてはあまり機嫌を損ねたくないかしら……?」
「ヴェロニカ殿の機嫌を損ねるのも悪手だと思いますがね。あちらから婚約を破棄されたらどうするつもりなんでしょう」
「そうね。彼女の家の太いパイプを無くすどころか、関係者各位にそっぽを向かれる可能性も高いわ」
婚約が破断になれば、魔法学会でクロード所長は……否、このディアトン国立魔法研究所そのものが窮地に立たされることになるかもしれない。
そうなれば彼ら一族だけでなく、ここで働くヒオリたちの名にも泥が付くだろう。
職員が二度と研究の世界に戻れなくなったら、あの親子はどう責任をとるつもりなのか?
「ヴィクトル前所長はリリアン女史にそれ以上の可能性を見ているのかしら?私たちは泥船に乗っているんじゃないでしょうね」
「……そこも気になりますが、クロード所長はリリアン殿に対するガードが固すぎると感じますね」
「流石に彼女らの関係に、今回の件は関係ないでしょうけど」
確かに好奇心はうずくが、自分たちは首を突っ込んでいい立場ではない。
そう言って苦笑すると、ニールも目を瞬かせて「そうでしたね」と頷いた。
言葉に毒を持っている上に、案外下世話なスキャンダルを好む性格なのだろうか?
相変わらず胡散臭い笑みを浮かべる男の横顔を観察しながら、ヒオリは今日何度目かわからないため息を落とした。
(だけど保身を考えるなら、船が沈む前に新たな職場を見つけた方がいいのかもしれないわ……)
この職場は変わり者の己を受け入れてくれた、数少ない場所だったのだが。
退職届を書いて面接の練習をするかなどと他人事のように考えながら、ヒオリはニールとともにカフェテリアに向かった。
昼を少し過ぎていたので既に店内は職員で溢れていたが、何とか窓際の席を確保してカウンターで注文を取る。
ヒオリはサーモンとチーズのサンドイッチ、ニールは鮭のクリームパスタを注文した。
「サンドイッチがお好きなんですね」
こちらの皿を覗き込んで呟くニールに、ヒオリは軽く笑ってサンドイッチを食む。
「便利でしょう。忙しいときは片手で食べられて手も汚れにくいし」
「……お行儀が悪いですよ」
「簡易栄養食を片手に報告書をまとめるよりいいわよ」
締め切り間際の研究室を思い出して肩を竦める己に、男はちょっと難しい顔をしたあと無言でパスタを食べ始めた。
研究職に身を置いていれば、一分一秒が惜しい慌ただしさに疲弊したことがあるものだが、ニールにはいまいちわからないのだろうか?
温室の出入りに関する資料をまとめた腕を見るに、もしかしたら優秀過ぎて修羅場を体験したことが無いのかもしれない。
締め切りとかきっちり守りそうだもんな───などと考え、ヒオリももう一口サンドイッチを食べる。
塩気の聞いたサーモンと酸味のあるチーズの味わいが、口の中いっぱいに広がった。
そのまま二人は食事のあいだ、会話をすることが無かった。
先ほどのクロードとのやり取りで疲れていたせいかもしれない。美味しい食事に舌鼓を打ち、カロリーを取って、受けたダメージを癒したいとただただ思っていた。
黙々と目の前の食事を食べ続け……やがてパスタを平らげたニールがコーヒーを飲み干し、ようやく口を開く。
「ヒオリ殿。もしよろしければ、香水を試してみませんか?」
「香水?」
ヒオリもまた好物を完食して、ニールの問いかけに首を傾げる。
彼はすでに柔らかな表情に戻っていた。機嫌よくこちらを見つめながら、まるで内緒話をするように口を開く。
「私が作った魔法パフュームです。ローズを入れた、寝香水にも使われるものなのですが」
「ああ、なるほど」
確か彼は香水研究室に配属されたのだったなと思い出しながら頷く。
この場面で言い出すと言うことは、リラックス効果のある香水だろう。確かに今は心地よい香りに囲まれていなければ、やっていけない気分である。
それに魔法香水は、香り中毒のヒオリとしても興味がある品物だ。
ちょっと考えて、うかがうようにこちらを見るニールに「うん」と頷く。
「じゃあ頂こうかな。もうブレンドしたものがあるの?」
「はい。仕事終わりにお届けしますよ。私が個人的に楽しむために作ったので、市場には出回っていません」
「そうなのね。専門家の香水なんて楽しみだわ」
そう言って少しだけ笑うと、ニールは頬を僅かに染めて花がほころぶように微笑んだ。
心からの喜びがそのまま表情に出たような笑顔に、少しだけ驚く。そこまで嬉しがることなのだろうか?
何となくむず痒く、しかし気持ちは好調になってきたヒオリだったが───それはまたすぐに降下することとなる。
午後から魔法道具部門の聞き取りをしてもいい、とクロードから連絡が来たのである。
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