第12話
たどり着いた所長室のゲートにクロードが認識証をかざし、ヒオリたちは彼に続いて入室した。
一歩踏み入れたと同時に感じた、無機質な廊下とは違う明るさと穏やかな空気に目を細める。
過去に数回所長室には入ったことがあるが、幾度見てもここが研究所内部だという事実が信じられない。
所長室は研究所本棟の一番真上に設置されており、間取りは六角形になっている。
外観から見てもその特徴的な屋根の形は目立っており、遠目で見てもすぐにそこが所長室だとわかるほどだ。
天井にはステンドグラスが貼られた窓が取り付けられており、柔らかに色づいた光はさらさらと降り注ぎ、部屋の中央にあるアンティーク調の机を包み込んでいる。
壁周りには観葉植物が飾られ、デスクと同じメーカーの資料棚が連なっていた。中には魔法学関連の書籍が並んでおり、表題を見るとヒオリの専門外だと言うことがわかる。
その小難しさこそ研究所であるが、差し引いたとしてもここは所長室ではなく居心地の良さを追求した趣味の部屋と言われた方がしっくりくる。
───初めて見たときからその印象が変わらぬ所長室の中に、白髪交じりだが若々しい雰囲気を持つ男が立っていた。
髪型もしっかり整え清潔感があり、仕立てのいいスーツをまとっている。彼がそこに立っているだけで、所長室はさらに高級感ある憩いのスペースに変化していた。
そんな独特のハイソサエティの魅力を持つ彼は、ゲートが開く音に振り返りヒオリたちを見て「おや」と目を瞬かせた。
「クロード、どこに行っていたんだ。うん、そちらの方たちは……?」
「父さん、来ていたんですか……」
途端にクロードの眉がたれ下がり、体が縮まった。
その表情からは彼が緊張していることが感じ取られ、この人物を畏怖していることが伝わって来た。
だがそれにはヒオリも情けないとは思わない。
ヒオリ自身もまたその人物が誰であるか気づくと同時に、思わず背筋が伸びてしまったからだ。
この人物こそがクロードの父にしてディアトン国立魔法研究所前所長、魔法医学のスペシャリスト。
今もなお衰えぬ名声と、魔法協会に対して多大な貢献をしている博士、ヴィクトルなのだから。
年齢は50半ばになるはずだが、体からは活力が溢れ、目にはいきいきとした気力がみなぎっている。
同時に年代を重ねた人間独特の貫禄も兼ね備えているので、気弱なクロードは前に立っているだけで怯えてしまうだろう。
ヒオリもまた感じた緊張が簡単に解けることはなく、姿勢を正して礼をつくした。
「はじめまして。薬品部門所属のヒオリと申します。そしてこちらは……」
「先日こちらに配属されました、ニールと申します。今日は温室の件についての調査でクロード所長にお聞きしたいことがありまして」
「ああ、温室に妙な植物が生えていた件だね。よく来てくれた」
すっと目を細めて紳士は快く二人を迎え入れる。
どうやらヴィクトル前所長の方が、クロードよりも研究所で起こっていることを把握していそうだ。
その息子と言えば、ばつが悪そうに顔を歪めている。自分が頼りないことに改めて気付いたのだろうか。
「私もそのことで今日は久しぶりに足を運んだんだよ。研究に必要な植物に問題があっては困るからね」
「そんな……。父さん、あとは僕がやるから」
「何を言っている。この研究所に関わるものとしてじっとしているわけにもいくまい。手伝わせてくれ」
前所長として立派な心掛けであるヴィクトルに、しかしクロードの顔は渋いままだ。
父親に首を突っ込んで欲しくないことが丸わかりである。
苦虫を嚙み潰したような息子を置いてこちらに顔を向けた老紳士は、「まず私に何が出来るかな?」と二人に問いかけた。
「温室に出入りした方々の最近の研究を知りたいと思いまして。見つかった植物にも関わりがあるかもしれませんので」
「なるほど。それならこの部屋のパソコンからアクセス出来るよ」
促されてヒオリとニールは普段クロードが座っているのだろう、重厚なデスク……その上にある最新型パソコンを見た。
先にヴィクトルがそのパソコンに触れ、接続しているICカードリーダーに自らの認識証をスキャンしてから、操作しはじめる。
一同の見ている前で、彼は何処かのネットワークに入りファイルを開いた。
「どうぞ、ここに入っているデータが今年この研究所の博士たちが世に出した発明品たちだ」
「拝見してもよろしいですか?」
「もちろん。私と息子は休憩室にいよう。その方がやりやすいだろうからね。終わったらそこの電話で呼び出してくれたまえ」
デスクの上に置かれている電話子機の短縮番号を教え、老紳士はいまだ不機嫌そうな顔をしている息子を連れ、朗らかに外へ出て行こうとする。
信頼と気遣いに礼を言おうとヒオリが口を開きかけた瞬間、にわかに紳士の背中がぐらりと傾く。足から力が抜けたようだった。
危ない、と思わず声を上げかける。が、一同の心配をよそにヴィクトルは体勢を立て直して、近くにあった壁に手をついた。
「父さん!?」
「大丈夫ですか?」
慌てて駆け寄ろうとするヒオリたちと顔を覗きこむクロードを手で制し、ヴィクトルは額に浮かんだ汗をぬぐう。
「大丈夫だ……。最近眩暈が酷くてね。薬があるから心配しないでくれたまえ」
言いながらヴィクトルは懐に手を入れて、銀色の光沢を持つ筒状のピルケースを取り出す。
その動作が弱弱しくて手を貸すかを訪ねるが、老紳士はゆっくり首を振った。
「君たちは調査に集中してくれ。さあ、クロード、行こうか」
「はあ……」
よろよろとヴィクトルは不安そうな息子を伴い、所長室を後にする。
妙な空気の中取り残されてヒオリはニールと顔を見合わせていたが、こうしていても仕方ないと、データを調べることにした。
§
ファイルの名前は、日付、商品名、製作者の所属と本名となっており、それが各部門ごとにフォルダでわけられている。
予想はしていたが量が多く、二人はまず温室に出入りした人物の研究から見分していくことにした。
近い年代から開いて上からざらりとファイル名を流し見ていくが、温室に入った人物の名前はそれほど多くない。
記録されている研究も植物とは無縁のもので、何かの拍子に種や花粉が付着する可能性は限りなく低いと思われた。
「研究には関係ない……どこかに出かけたときに種が付着したんでしょうか?」
「そっちの可能性の方が低いと思うけど。一応調べるか……ん?」
魔法道具部のフォルダの中、ずらりと並ぶファイル名にリリアンの名前を見つけ、ヒオリは片眉を跳ね上げる。
一度ちらりと隣にいるニールと目配せし合い、ヒオリはそのファイルをクリックした。
ファイルは商品として売り出されている最終決定案の設計図、大まかな研究過程が入っている。もちろんリリアン女史の発明も同様だった。
その中に資料として完成商品の写真があり、開いてよくよく見たところ、ニールが「おや?」と首を傾げた。
「この人形知っていますよ。私のいたところでもかなり評判が高かったんです。大人でも買い求める人がいましたよ」
感心したように彼は呟き、ヒオリは改めて写真を見つめる。
映し出されていたのは綺麗なドレスを着たお姫様や剣を持った勇者、意地悪そうな魔女などのファンタジー風の人形であった。
資料を見れば全身が20cm前後ほどらしく、5体1セット。
一目見た感じでは、キンダーガーデンからエレメンタリースクールの子供が喜びそうなデザインだとしか思わなかった。
大人目線で見れば値段は少々張るが、子供の記念日や誕生日のプレゼントにちょうどいいだろうか。
「ふうん。普通の人形にしか見えないけど、そんなに凄いものなの?」
「確か動画サイトにCMが上がっていたはず……ええと、これです」
言いながらニールは携帯端末を取り出して何やら操作したのち、画面をヒオリに向ける。
開かれていたのは有名動画サイトで、アップテンポの音楽とともに、人形たちがくるくると踊りを踊っていた。
お姫様がフリルを揺らし、勇者は剣を振り、魔女は魔法を使う。
もちろん上から糸でつっているわけではない。動かしているのは人形に込められた魔法の力である。
しかしただの人形がここまでしなやかに動くものなのか。
流石のヒオリも驚き、しばらく食い入るように動画を見つめていた。
ニールの言う通り、小さな画面の映像だけを見てもクオリティが高いことが伺える。
指先の動きまでなめらかで、それが20cmの大きさでなければ、本物の人間ではないのかと疑ってしまうほどだった。
数秒で動画は終わりニールが端末を閉まったが、ヒオリは動けないでいた。
やがて小さくため息をつき、唸りながらあごに手を当てる。心から凄いと感じたのだ。
「なるほど、これは天才の所業ね。リリアン女史の噂は過剰なものじゃないわ……」
「確かこの人形、しばらく入手困難だったはずです。今後シリーズ化されるという噂も聞きましたよ」
「ということはリリアン女史は今もこの人形を作っている可能性が高い、か」
言いながらヒオリは人形の研究に使われた素材を見たが、植物の種や花粉が混ざりそうなものは無い。
やはり研究内容は関係ないのだろうか?と考えながらマウスを操作し、パソコンのデスクトップを表示する。
ニールが不思議そうにこちらを見る前で、研究成果外のフォルダへアクセスしようとする……が、画面に「認識証をスキャンしてください」と警告が出た。
ふ、と小さく吐息を漏らして肩を竦める。
「ほかのファイルへは……アクセスできないか。まあ当たり前よね」
「所長と前所長の持っている認識証が無ければ無理でしょう。そうでなければ私たちを置いて部屋を出て行きませんよ」
まったくその通りである。
しがない一般研究員に観覧させられないようなデータへのアクセス権限とて、このパソコンにはあるはずだ。例えヴィクトルが協力してくれているとは言え、そこまで観覧許可がでるわけがない。
ヒオリは諦めて再び研究成果の調査をしはじめるが、かんばしい成果は得られなかった。
フォルダを閉じて、眉間にしわを寄せながらニールと顔を見合わせる。
「やっぱり直接温室に入った博士に話を聞いた方が早いかもね。所長に頼んで道具部の博士たちを呼んでもらおうか」
「それが良さそうですね。しかし、あの方が素直にリリアン殿を出してくれるかどうか」
確かに問題はそこである。道具部の連中は自分たちをよく思っていない者も多いだろう。
頭を抱えてヒオリは、ニールとともにパソコンの前をあとにした。
(だけど、人形か。リリアン女史はあの夢でも人形を作っていたわね。何か関係あるのかしら?)
ふとそんな疑問が痛くなりつつある頭の中を過った。
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