第10話
アロマ研究室で室長に今日の調査の予定を報告すると、さっそくクロードに連絡を取ってくれた。
「玩具研究室に行く頃には許可は下りているはずだ」と言われ、ヒオリはニールとともに魔法道具部門のある棟へ急ぐ。
人気のない廊下を二人連れだって歩く中、ニールが後ろから静かに耳打ちしてきた。
「あの時温室でリリアン殿を囲んでいたのはほとんど魔法道具部門の方のようですよ。彼女が配属される前からの付き合いの者もいるとか」
「ふうん。あの調子で仕事になるのかしら?ヴェロニカ女史も苦労しているでしょうね」
ヴェロニカ女史もまた魔法道具部門の所属であり、責任ある部長と言う立場だ。
赤毛の博士がどんな気持ちで研究室にいるのか想像すると、他人事ながらげんなりしてくる。
対立しているようにも見える彼女らが近くにいて上手くやっていけるとは思えないし、何より研究がはかどらないだろう。
彼らに会うことが何となく憂鬱になってくるが、道具部門棟に入るとすぐに玩具研究室へ続くゲートが見えてきて嘆息する。
入室するべく認証ゲートに認識証をかざすが……、低いブサー音とともに扉はエラーの文字を画面に映し出した。
「ん……?」
「おや?おかしいですね。登録されていないみたいだ」
試しにニールの認識証をゲートにかざすが、こちらもエラー。
自分たちがゲートに登録されていない、つまり魔法道具部門へ連絡が行っていない可能性があり、ヒオリはニールとともに顔を見合わせる。
廊下の向こうから何者かの足音が聞こえてきたのは、今一度試してみようかと認識証をかざしたすぐ後だった。
「ちょっと、貴女たち。ここで何をしているの?」
足音の主はゲートで再度エラーを出した自分たちを見とがめたのか、厳しい声をかける。
振り向くと、40代半ばほどの何処となくきつい顔立ちの女性が、胡散臭げな眼差しでこちらを見つめていた。
スクエア型の眼鏡をかけておりおでこが広い知的な印象で、白衣姿である。彼女も恐らくこの研究室の博士だろう。
首から下げられている認識証を確認すると、『魔法道具部門玩具研究室・キリノ』と所属と名前が見えた。
ヒオリは背筋を伸ばし、出来るだけ警戒されないような口調と笑顔で「どうも」とあいさつをして歩み寄る。
「薬品部門の者です。温室に雑草が生えていた件で聞き込みをすると連絡が来ていませんか?私たちはその役目を請け負ったのですが」
「いいえ、聞いていないわ。本当に調査なの?」
疑いの表情のままきっぱりと言い切られて、ヒオリはやはりと眉間にしわを寄せた。
ハオラン室長は間違いなくクロード所長には話を通したと言ったはずだが、まだ道具部門には連絡が来ていないのだろうか?
疑問に思ったがだからと言って素直に帰ることも出来ず、ヒオリは丁寧な口調を心がけて頼み込む。
「所長に確認していただけないでしょうか?調査も、皆さんにお手間をかけないように配慮します」
「いいえ、駄目よ。他の部門の人間を入れるわけにはいかないわ。皆仕事中よ」
取り付く島もなく、キリノは首を横に振った。
二度手間だが今一度ハオラン室長話を聞きに行くべきか?そうヒオリが静かにため息をついた時、ニールが「失礼」と一歩前へ出る。
何だ?と首を傾げる己と女性の前で、彼は柔らかな微笑を口元に浮かべて彼女を見つめた。
「困りましたね。事態が事態ですから、なるべく早急にお話を聞きたいんですよ。何とかなりませんか?」
「……。まあ、確認くらいなら取ってあげてもいいけど」
明らかにキリノの態度が変わり、ヒオリはつい眉間にしわを寄せ彼女からニールに視線を転じる。
眉目秀麗なこの男の顔に、彼女がほだされたのは間違いない。
まさかと思っていると、ニールは少しだけ目を細めてこちらを見た。確信犯か。
───こいつ自分の顔の価値をわかっていやがるな、とヒオリは思う。
だが自分に備わったものを武器にし、使えるものは何でも使おうとする気概は嫌いではなかった。
「少し待っててね。今所長に連絡するから」
ニールに微笑みながらキリノは自分の認識証でゲートを開け、中にいた若い男性博士に声をかけて何事か言いつける。
彼は頷きながらも、ちらりとヒオリたちに視線を転じた。その目に敵意があるような気がして、首を傾げる。
彼の顔をどこかで見たような気がした。
が、その正体がわかる前に男性博士は、足早に部屋を出て廊下を歩いていく。恐らくキリノに所長を呼ぶように頼まれたのだろう。
(……はて、誰だったかな?)
記憶を探ろうとするが、すぐにキリノも戻ってきたので思考を中断する。
「こっちの部屋で待っていてくださる。準備はすぐにするから」
格段に愛想が良くなった彼女に苦笑いしながら、ヒオリはニールとともにその背を追った。
§
キリノはヒオリとニールを別室に案内して、二人に席を勧め、手早くコーヒーを用意しはじめた。
やや小さいがソファとテーブル、小型のキッチンがついている、日当たりのいい部屋である。
薬品部門のヒオリは利用したことは無いが、道具部門の博士が休憩室として使っている場所だろう。
「取り合えずこっちの部屋で待っていてね。今所長を呼びに行っているから」
先ほどよりも愛想良くキリノは二人に湯気の立ったカップを差し出し、向かい側に腰かける。
「まずは私から話を聞くわ」と微笑みながら、己の隣に座る男へ視線を向けた。
どうやらニールをメインに話を聞いた方が早いらしい。
ヒオリが目配せすると、彼は「かしこまりました」とでも言いたげに微笑み、口を開いた。
「道具部門ではあまり植物を使った研究はしていないようですが、リリアンさんはかなり頻繁に温室へ入退室を繰り返しているようなんです。何かお心当たりは?」
「え?リリアン。ああ、彼女ね。そうねえ」
予想外の名前を言われたのかキリノは数回目を瞬かせると、悩まし気に頬に手を当ててふうと短い息を吐き出す。
「あの子は多分クロード所長とお話をしているのだと思うわ。リリアンは彼になついているから」
「そのお話は温室の中でする必要があるのですか?」
ただの面談や相談ならこの休憩室のような別室を使えばいいのでは?
言外にそう問いかけるニールに、キリノは悪びれることも無く「そうよ」と頷いた。
「植物のある場所の方が落ち着くのですって。あまり褒められたことじゃないとはわかってるけど……リリアンはね、可哀想な子だから」
「可哀想な?」
首を傾げると、キリノは悲し気に眉毛をたれ下げる。
「リリアンはここに配属されてからずっと怯えた顔をしていたわ。家にいたころから苦労していたらしいのよ」
「苦労、ですか?」
「ええ。ご家族と上手くいっていない……いいえ、ずいぶん辛く当たられたみたいでね」
深刻そうな彼女の口調からどうやらデリケートな話題らしいと気付き、ヒオリはつい声を潜めて聞いてしまう。
「それは、……虐待されていた、と言うことでしょうか?」
「いいえ。そんなわかりやすいものでは無くて」
キリノは首を横に振り、悲し気な顔をして目を伏せた。
そして何かを考えるようにため息を数回つき、ゆっくりと顔を上げる。
「暴力とか食事を抜かれるとかは無かったらしいけど。でも姉妹間で明らかな差をつけられていたみたいで……」
聞けばリリアンは三人姉妹の真ん中で、姉と妹は幼いころから学校で優秀な成績を納めていた才女だったらしい。
対してリリアンに目立った才能はなく、両親が彼女を見限るのは早かった。
明らかな格差が家の中にはあり、彼女は魔法学の才能に目覚め、博士の仕事につくまでずいぶん苦労を強いられたようだ。
「だからリリアンが温室を使うからと言って責めないでちょうだい。それに今回の……植物だっけ?あの子は絶対関係ないわ」
途端に鼻息荒く断言するキリノに、ヒオリとニールは「はあ」と気のない返事をするしか出来なかった。
例え彼女に辛い過去があろうと仕事以外で温室を使うなど咎められても仕方ないし、今回の件に関係ないとは言い切れない。
しかし反論すれば何となく面倒なことになりそうだと感じたヒオリは、「なるほど」と頷き話題を変えた。
「ところでリリアン女史は今何の研究をなさっているのでしょう?すみません、魔法道具は専門外なもので」
「あの子の研究?本人に許可を取っていないから、あまり言いたくないけど……」
本人に許可も取らずプライベートや過去を語るのはいいのだろうか?気になったがツッコむことはしなかった。
「すでに発売されているものだと魔法人形ね。知ってる?魔法でしゃべる子供向けのお人形。あの子の作った製品は評判がいいのよ」
「すでに市場に出回っているものもあるんですね」
リリアンが魔法博士となりこの研究所に配属されて、まだ一年も経っていないはずだ。
それなのにもう商品化されているものがあるとは……期待されて博士号を取った実力は伊達ではないということか。
感心して目を見開くヒオリに、何故かキリノが得意げに胸を張った。
「ええ、凄いでしょう。あの子は天才だわ。苦労してきたぶんこれから報われるのね」
我がことのように語る彼女に、ヒオリもニールも苦く笑う。
どうやら随分リリアンに肩入れしているようだ。心酔とも言うのかもしれない。
魔法道具部門は皆こんな様子なのだろうか?
(これは……ヴェロニカ女史は絶対に苦労しているわね)
その苦労を慮り、ヒオリは一人静かに顔を歪める。
彼女が研究室内でどういう立場なのかも聞いておくべきだろうか?そう思って口を開きかけたとき、にわかにドアの向こうが騒がしくなる。
ドカドカとこちらへ向かって大股で歩くような音が聞こえる。
一体なんだと一同が視線を転じた瞬間、壊れんばかりの音を立てて扉が開いた。
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