魔法博士ヒオリは青い瞳と夢を見る~香り中毒の魔法博士、研究所で巻き起こる謎を追ったら、悪役令嬢と所長の婚約破棄騒動に参加することになりました〜

天藤けいじ

プロローグ

 おっとりとした白衣の青年が、それでも精いっぱい強い眼差しでこちらを睨みつけている。

 金色の髪の毛に赤い瞳、すっきり通った鼻筋で背の高い美青年である。


 しかし険しい顔をしているせいか、目の下に浮かんだうっきりしたくまのせいか、年齢よりは老けて疲れて見えている所が欠点だった。


「魔法道具部門部長ヴェロニカ。君はこの魔法研究所の研究員として相応しくない。今日を持って魔法学会を追放、そして僕との婚約は解消させてもらう」


 青年が意を決したようにぎゅっと拳を握りしめて告げたのは、目の前にいる同じく白衣をまとう女性に対してだった。

 すっと背筋が伸びた、燃えるような真紅の長い髪と金色の切れ長の目を持つ美女である。


 人の目を射抜くほどの美貌だが、奇妙なほどの威圧感があった。

 それは彼女自身から溢れ出る自信のせいか、冷ややかな瞳のせいか。

 ───強い口調で追い詰められているというのに、艶やかな赤い唇に笑みすら浮かべているせいか。


 そんな独特の存在感を持つ彼女……ヴェロニカと呼ばれた女性は、浮かべた余裕をいっさい崩さずに青年に返す。


「それは本気で言っていますの?クロード様。わたくしがこの研究所にどれほど貢献したのかをお忘れで?」

「本気だ。例え貴女が優秀だとしても、リリアンに対して行った嫌がらせ、研究所にもたらした被害は看過できない」


 彼の背後にかばわれるように立っている、怯えて様子のおかしい女性に目を向けて彼は言う。

 ぱっちりした緑の瞳と長いまつ毛、ふわふわのプラチナブロンドをお団子に結んでいる幼い顔立ちの女性である。


 妖精じみた美人だが儚げで、ヴェロニカを見て目に涙を浮かべ小刻みに震えている。

 庇護欲をかきたてられるような仕草だが、少々うろたえすぎのようにも見えた。

 彼女も当たり前のように、清潔に洗濯された白衣をまとっており、ややぶかぶかの袖をきゅっと握っている。


 否、この場で白衣をまとっていない者などいなかった。

 ここはディアトン国立魔法研究所。魔法を研究する博士たちが集まる会議室にて、罪の追及は行われている。


 周りを囲む博士たちは、不安げに事の成り行きを見守っていた。


 ヴェロニカは目を細め、彼らを面白そうに一瞥する。

 その後、ぎらりとリリアンを見、そしてクロードを見た。


 口元に笑みは浮かんでいても、彼らを見る眼差しは変わらず冷たい。

 刃のような金色の光に真っ直ぐ射抜かれた二人は、びくりと肩を震わせた。


 真紅の髪の令嬢はクロードの怯えをことさら愉快そうな顔で見て、唇を開く。


「クロード様。まさか嫌がらせ程度で追放、というわけではありませんわよねぇ?」

「……っ、嫌がらせにも限度がある。貴女はリリアンの研究を妨害しただろう。証拠もあるんだ」


 震える声できっぱりと告げ、クロードは視線を背後へと投げる。

 それを合図にして、成り行きを見守っていた研究員たちの中から一際背の高い男が進み出てきた。


 南の地方の血を引いているとわかる褐色の肌と濃い黒色の髪を持つ青年である。

 すっと通った鼻筋と青色の目、落ち着いた印象の美人だった。


 彼が穏やかな笑みを浮かべてクロードの隣に立つと、初めてヴェロニカの表情が変わった。

 口元に手を当てて、意外そうに目を瞬かせている。


「あら……ニール様。ごきげんよう」

「ごきげんよう、ヴェロニカ殿。よいお日柄ですね」


 ぴりりとした空気に似合わず、二人の会話は呆れかえるほど穏やかだった。

 少し苛立った様子のクロードが「ニールさん!」と小さな声で叱責し、名をよばれた青年はほがらかに謝罪して話始める。


「早速ですが、こちらをご覧いただきたい。監視カメラの映像です」


 ニールが取り出したのは小型のタブレットであった。

 長い彼の指が画面を操作すると、ぱっと映像が映し出される。


 何処となく薄暗くぼやけているそれは、どうやら研究所内に設置されている監視カメラのもののようだ。

 デスクと機械類の配置から見覚えのあるものが、「あ」と小さく声を上げる。


 青年はちらりとそちらを一瞥し、口元に浮かんでいる笑みを深めた。


「5月10日、魔法道具開発部門、玩具研究室の映像です。だいたい……夜3時くらいなんですが」


 言いながらニールは映像の速度を速めた。

 しばらく置いて彼の言った深夜3時を過ぎたころ、研究室のドアが音もなく開く。


 基本的にこの時間は研究所員たちは自宅や宿舎に帰っているはずだが……開け放たれたドアから入ってきたのは、白衣をまとった赤毛の女性だった。

 見守る研究員たちに動揺が広がり、タブレットをまじまじと見ていたヴェロニカが「まあ」と声を上げる。


「これは間違いなく私ですわね」

「ええ、そして映像の貴女はリリアン殿の研究資料が入っていたパソコンに触れています」


 場違いなほど穏やかに語るニールが映像に目を向けたと同時に、ヴェロニカはデスクの一つに近づきデスクトップパソコンを起動させる。

 彼女の長い指がコンソールをいじり、何かのファイルを開いた様子が映し出された。


 そのファイルが何なのかは、監視カメラの映像からは確認できない。

 ヴェロニカの金色の目はその様子をじっと見つめてから、黙り込んでいたリリアンへと動く。


「……パソコンに入っていた資料というのは、大事なものですの?」

「ひっ……!クロード所長ぉっ!助けてぇ……!」

「貴女が知らぬはずないだろう、ヴェロニカ。この資料は翌日のプレゼンで使うものだったんだ。リリアンの研究の成果だったのに、何もかも無駄になってしまった!」


 戸惑い震え、寄りかかるリリアンに変わり答えたのは、彼女を受け止めたクロードだった。

 気弱な彼にしてはきっぱり言い切る様に、ヴェロニカは特に反論せず「なるほど」と肩を竦める。


 ヴェロニカとクロードの周りに、敵意ともとれる緊張感がさらに高まった。

 ひりつく空気の会議室で、ただ一人穏やかなニールが朗らかな口調でまた一歩彼女に近づく。


「もう一つ、ヴェロニカ殿。貴女には研究所を危険に晒した容疑がかけられています。それには共犯者がいるようですね」

「共犯者?」


 すっと敵意をおさめて、ヴェロニカがニールを見る。

 彼が再びタブレットを操作し、別研究室の映像を表示する。

 時間は戻って同日の深夜2時。しかしその時間にも関わらず、室内にはたくさんの研究者が働いていた。


「……こんな時間に何を?……あっ!」


 誰かの疑問の声が急に悲鳴へ変わる。

 映像の中で博士たちが急に何かを見つめて動きを止め、ふらついたと思ったら倒れだしたのだ。

 そのまま時間が過ぎるが彼らは起き上がることはない。一応胸は上下しているから生きてはいるようだ。


「彼らは今病院に緊急入院しています。そしてこの騒動を起こした犯人は……」


 そう告げてニールはタブレット画面を指で触れ、映像を拡大させる。

 一同はその時、画面の端に倒れていない人影があることに気が付く。


 それは床に伏せる同僚たちをぼんやり見下ろす女性、小柄な研究者であった。

 黒髪をボブカットに整え、おっとりした青い瞳を呆然と瞬かせている。


 彼女の姿を見た一同が再びざわめき、ヴェロニカの背後にいる研究者へと顔を向ける。


 彼女は先ほどからずっとヴェロニカのそばにいたが、誰も気にする様子は無かった。

 今日初めて注がれる好奇心をむき出しにした視線に、その人物は僅かに肩を竦める。


 かつかつと靴音を響かせて近づいてきたニールは、真っ直ぐにその人物を見据えると落ち着いた様子で告げる。


「魔法薬開発部員ヒオリ殿。同じくリリアン殿への研究の妨害、そして魔法薬品部一同の身を危険に晒した罪により身柄を拘束、貴女も研究所を追放させてもらいます」


 穏やかだがどこか機械的なニールの声に、彼女……ヒオリはふっと小さく息を吐いて瞬きした。

 深い海のように青い彼の瞳と、晴天の空のような彼女の瞳が見つめ合う。


 ヒオリとニール。お互いの視線は、あまりにも複雑で様々な思惑が入り混じっていた。

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