第142話 灯里の一日

 


「ん~、私もそろそろ肌のケアとかした方がいいのかなぁ」


 冷水で洗い終わった後の顔を鏡越しに見つめる。

 今のところ潤ってはいるけど、いつ衰えてガサガサになるか分からない。まだ十八歳だからと油断していると、ふとした時にガタがきてしまう。荒れてしまってからではリカバリーが大変だろう。


「でもなぁ……」


 今までお化粧とかケアをした事がなく、何から始めたらいいのかが分からなかった。

 両親がダンジョンに囚われてからは、毎日助けることばかり考えていて自分磨きについては無頓着だったし。普通の女子学生が髪を弄ったり化粧をしている中、私はひたすら身体を鍛えてたからなぁ。


 けど、いつまでもそんな事は言っていられないよね。最近士郎さんの周りに綺麗な女性が増えているみたいだし、誰にも負けないよう私も頑張らなくちゃ。とりあえず今度、楓さんにお化粧とかのやり方を色々と聞いてみようかな。


 濡れた顔をタオルで拭くと、私は階段を上がって士郎さんの部屋に向かい、そ~っと扉を開ける。忍び足で中に入り、大好きな彼の寝顔を盗み見る。


「すぅ~んん~」


「えへへ……可愛いなぁ士郎さん」


 勝手に頬が吊り上がる。普段とは違って士郎さんの寝顔は赤ちゃんのように可愛い。この寝顔を見てると心がほっこりして、母性というか庇護欲が擽られるんだ。それでいて、今日も一日頑張ろうと元気が湧き上がってくる。

 朝の日課を済ませて士郎さんエネルギーをチャージした私は、キッチンに行ってエプロンを掛けると、朝ごはんとお弁当の準備に取り掛かる。


「今日のお弁当には何を入れようかなぁ」


 ずっと前から気付いたことだけど、私は料理をするのが好きみたいだ。

 士郎さんのアパートにいる時もそうだったけど、新しい家に引っ越して広いキッチンを使うようになってからはもっと料理が楽しくなった。


 沢山の調味料や調理器具を置けるようになって、それを使って料理するのが兎に角面白い。レパートリーも前よりずっと多くなったと思う。

 でもまぁやっぱり一番嬉しいのは、自分が作った料理を大好きな人に美味しいって言ってくれるからなんだよね。


「うん、こんなもんかな」


 完成した料理の味見をしていると、まだ眠そうにしているパジャマ姿の士郎さんが挨拶をしてくる。


「おはよ~」


「士郎さんおはよう。もう朝ごはんできるから、顔洗って待ってて。私はメムメムを起こしてくるから」


「ありがと~」


 ふわぁと大きな欠伸を溢しながら洗面所に向かい士郎さんを見送りながらエプロンを外し、メムメムの部屋に向かう。扉を開けて中に入った瞬間、むわっと異臭が漂ってきた。


「もう……また散らかして」


 お菓子やらジュースが散乱している部屋の惨状を目にし、ついため息が出てくる。

 メムメムは余り物欲がない。アニメや漫画は基本的にタブレット端末で見ているし、服や小物にも興味がないから私物が無かった。

 その代わりスナック菓子やチョコ、ジュースが大好きみたいで、部屋には大量にストックがある。どうやら異世界のエルフは日本のお菓子文化にドハマりしたらしい。


 別にお菓子が好きなのはいいんだけど、ゴミを片付けないでそのまま放置しているのが問題だった。それでいて換気もしないから、部屋の中がいろんなお菓子が混ざった臭いがして臭い。

 それに加えてベッドの上で横になりながら食べているから、食べカスも落ちてるし。


 メムメムは毎日、部屋に閉じ籠ってお菓子を食べてジュースを飲みながらベッドの上でアニメや漫画を読んでいる。

 こう言ってはなんだけど、まるでニートみたいな怠惰な生活を送っているのだ。


「んがぁ~んがぁ~」


 暑くて蹴っ飛ばしたのだろう、毛布がベッドからズリ落ちている。寝相も悪い上に、鼾も五月蠅い。この酷い姿を見て、魔王を倒した勇者パーティーの魔術師だと誰が信じるだろうか。申し訳ないけどそんな偉大な人には到底思えない。

 私は床に落ちたゴミを踏まないように近づき、メムメムの身体を揺する。


「ほら起きて、朝ごはん食べるよ」


「ん……んん~まだ眠いんだ、寝かせておくれよぉ」


「だーめ。朝ご飯は皆で食べるって約束でしょ。それに眠いのは夜更かししてるからじゃない。もし朝ご飯食べなかったらお菓子抜きだからね」


「うあぅ……それだけは勘弁してくれぇ」


「なら起きて、行くよ」


 メムメムを叩き起こして一緒にリビングへ降りると、夏用クールビズスーツに着替えた士郎さんが朝食をテーブルに並べていてくれた。


「ありがと、後は私がやるから座ってて」


 そう言うと、士郎さんは椅子に腰かけて対面に座るメムメムにジト目を送る。


「また遅くまでアニメ見てたのか?」


「違うよ、今は楓に勧めてもらったアプリゲームをしてるのさ。これが中々に奥が深くてね、ついついやってしまうんだ。そうだ、シローも一緒にやらないかい? フレンドがいると助かるんだよね」


「お前なぁ……少しは加減を覚えろよ。メムメムみたいのを世間ではなんて呼ばれてるか知ってるか? 部屋に引き籠ってゲームばかりしてる奴のことをニートって言うんだよ」


 ありがとう士郎さん、私の代わりに言いたい事を言ってくれて。

 しかし士郎さんが注意するも、メムメムはニヤリと口角を上げて反論する。


「勿論知ってるさ。でも士郎も知ってるかい? ニートには『自宅警備員』という二つ名があることを。ボクは普段からこの家を守っている。という事はだよ、これも立派な仕事の内なのさ。言うなればエリートニートと言ったところか。ボクをそんじょそこらのニートと一緒くたにされては困っちゃうね」


「またそういういらん知識を覚えて……」


 はぁ……駄目だこいつ。

 同時にため息をつく私と士郎さんは、きっと同じ事を考えているだろう。

 朝食の準備を終えて、私もメムメムの隣に座る。手を合わせて、


「「いただきます」」


 皆揃って口にして、ご飯を食べていく。

 士郎さんと他愛もない話をしていると、メムメムがミニトマトを皿の端に寄せているのが目についた。


「こらメムメム、好き嫌いは駄目だよ」


「アカリ……頼む許してくれ。ボクはどうしてもミニトマトのぶにゅっとした触感が苦手なんだ」


「そっ。残してもいいけど、そのかわりお菓子は駄目だからね」


「そんなぁ……堪忍だよぉ」


 好き嫌いをしているメムメムを叱っていると、突然士郎さんが「ふふっ」と微笑む。


「なにかおかしかった?」


「いや……灯里は良い母親になるんだろうなぁと思ってさ」


「えっ……」


 急にそんな事を言われると、顔が熱くなってしまう。

 それってどういう意味なのかな? 士郎さんは母親になった私を想像してくれたのかな。そうだといいな。

 ふとした言葉に喜んでいると、ミニトマトを食べて顔を歪ませるメムメムがぽつりと呟いたのだった。


「朝っぱらからイチャつかないでくれるかなぁ」



 ◇◆◇



「じゃあ、行ってきます」


「うん、行ってらっしゃい」


 士郎さんが会社に行くのを見送ってから、私は家の掃除に取り掛かる。

 この家は前に住んでいたアパートより大きいから大変ではあるけど、そこまで苦ではない。

 メムメムの部屋はスルーだ。掃除しても次の日には元通りになっているし、自分でやらせないと駄目だ。


 掃除を終えて一休みをした後は、買い物に出かける。

 以前は近場にスーパーがあったけど、今は無いので商店街に足を運ぶ。私が犯罪組織に拉致られてしまってからは、士郎さんに一人で出掛けて大丈夫なのかと心配されたけど、メムメムが前よりも強固な防護魔術を施してくれているし、認識阻害もあるため一人での外出も平気だった。


 それに、私自身あの時より強くなってるし、常に警戒を解いていない。まぁ、メムメムが言うにはもう私達を害そうとする連中はいないだろうとの事らしいけど。


「灯里ちゃん、今日は良い魚入ってるよ」


「おっ灯里ちゃん、今鶏肉が安いから買ってきな」


「いつもありがとね、おまけつけといたからメムメムちゃんに食べさせてやんな」


 商店街での買い物は、人との繋がりを感じられて好きだった。

 皆良い人達ばかりで、旬の物や食材の目利きを教えてくれたり、こうして食べると美味しいんだよと私の知らない料理なんかも教えてくれる。他愛のない話をするのも楽しい。遠慮はしているけど、多めにくれたりおまけをくれたりするのも非常にありがたかった。

 たまに連れてくるメムメムは、いつの間にか商店街の人気者になってるし。


 買い物を終え、帰宅する頃には昼頃になっている。

 朝の内に作っておいたおかずを温め直して、ゲームに夢中になっているメムメムを部屋から引っ張り出して一緒にお昼ご飯を食べる。

 少し休憩してから、広い庭に出てメムメムに魔術や戦闘の訓練に付き合ってもらう。


「いくよ」


「うん、いいよ」


 地面からボコボコと土が盛り上がり、二体の土人形ゴーレムが現れる。機敏に駆動するゴーレムが接近してくると、私は全身に強化魔術を施して応戦した。


「はっ!」


 打撃によってゴーレムの身体を粉砕する。倒してもすぐに新たなゴーレムが作られ、息つく間もなく戦闘が継続していく。

 私は属性魔術が苦手だった。属性魔術というのは、ダンジョンで例えるとフレイムやウインドといった自然エネルギーに干渉して放つ魔術のこと。苦手な理由としては、想像力が足りないらしい。


 その代わり、私は肉体を強くさせる身体強化魔術が得意だった。元々身体を動かすのが好きだったし、私としてはこっちの方が性に合っている。逆に士郎さんは身体強化が苦手で、属性魔術が得意だった。


「ほら、目の前の敵ばかりに意識を割かれていては駄目だよ」


「ぐっ」


 ゴーレムと格闘している中、時々メムメムが横槍を入れてくる。攻撃方法は主に土塊の砲弾だ。良いタイミングで放ってくるので、避けられず被弾してしまうことが多い。本当にメムメムは敵にしたら嫌なタイプの性格をしている。

 因みに、メムメムが結界を張っているので周りに被害は出ない。荒れた庭も、魔術によってすぐに修復してくれるから、全力で訓練する事ができた。


 訓練を終えて、二人で縁側に座りながら休んでいる中、気になったことを聞いてみた。


「ねぇメムメム、異世界のレベルだと私はどれくらいの強さなの?」


「どうだろうね~、強さというのは一概に表せられるものではないから。相手との相性もあるしね。でもまぁ、冒険者で例えると駆け出しを卒業したあたりかな~」


 ズズッと熱いお茶を啜るメムメムが、目を細めてほんわかした口調で告げる。それを聞いて私は「えっ」と驚いた。


「まだそれくらいなんだ……異世界の人達って強い人たちばかりなんだね」


「それは仕方ないさ、環境が違うんだからね。ボクがいた世界では、命を脅かす魔物や悪党が身近にいたりする。周辺国との戦争もザラにある。そうなると、生きていくには必然的に強くならないといけないだろ? だから皆、必死に強くなるんだよ。まぁ、皆がみんな強い訳じゃない。村人や商人には力がないからね」


 そっか……そうだよね。異世界にいる人達は、常に死と隣合わせなんだ。日々平和に暮らしている私たちとは、生きていく上で環境や考え方が違うんだもんね。


「でもね、僕はこっちの世界の方が好きだよ。争いなんてするべきじゃないんだ、悲しみしか生まれないからね。アニメで感動して、ゲームして遊ぶ、それでいいじゃないか」


「良いこと言ってるようだけど、アニメとゲームはほどほどにしてね」


「ぅぐ……ねぇアカリ、ちょっとだけでいいから課金させておくれ。課金アイテムが無いと強くなれないんだよぉ、あいつらに勝てないんだよぉ」


 瞳をうるうるさせながら懇願してくるメムメム。

 たった今、争いなんかしなくてもいいと言ったのはどの口だろうか。私は肩を落として大きなため息を吐きながら、


「ちょっとだけね、あんまり使い過ぎちゃ駄目だよ」


「ありがとう! 愛してるぜ~アカリ~」


「全く、調子良いんだから……」



 ◇◆◇



「なぁ灯里……」


「なに、士郎さん」


「なんか近くないか?」


「えっそうかな」


 その日の夜。

 会社から帰ってきた士郎さんと夕ご飯を食べ、順番にお風呂に入った後、リビングのソファーに座ってテレビを見ながらくつろいでいた。

 私と士郎さんの距離は0。肩と肩がぴったりとくっついている。彼の体温が伝わってきて、とても心地良かった。士郎さんは身体を強張らせてるけど。

 彼はぽりぽりと気まずそうに頬を掻きながら、


「いや、いいんだけどさ。なんか最近すっごく近いなぁと思って。どうした? 何か不安なことでもあるのか?」


「ううん、違うの。私がこうしたいだけ」


「そ……そっか」


 士郎さんの言う通り、私は意図的に距離を近づけている。それには理由があった

 自分の手を彼の手の上にそっと置きながら、言葉を紡ぐ。


「ルークとメーテルの話を聞いてね、ちょっと考えることがあったの」


「へぇ、どんな?」


「お互いに愛し合っていても、いつどんな時に離れ離れになるか分からない。いざその時になって、もっとああしておけばよかったなぁと後悔しても遅いんだよね。だからね、“今”をもっと大切にしようと思ったんだ」


「今……か」


 ルークとメーテルの件は、私に色々な事を気付かせてくれた。

 あんなに愛し合っていた二人でも、結ばれずに悲劇で終わってしまった。私たちの手で二人を巡り逢わせることができて、最後に二人が抱き合うところを見て本当に良かったと思うと同時に、ふと考えたんだ。


 今の幸せが、ずっと続くとは限らない。何かが起こって、士郎さんと別れる可能性もあるんだってことを。

 その時になって後悔したくない。だから私は、士郎さんとの時間をもっと大切にしたい。


「もう遠慮するのはやめたんだ。これからは、いっぱい士郎さんに甘えようと思ってるんだけど、士郎さんは嫌?」


 そう聞くと、士郎さんは真剣な表情を浮かべ、真っすぐな眼差しで見つめてくると、


「嫌なわけないじゃないか。俺だってもっと灯里と一緒にいたいよ。けど俺は年上だし……歯止めが効かなくならないように我慢してるんだ」


「なら、私が士郎さんに甘える分にはいいよね?」


「灯里……」


 瞳が重なる。

 顔の距離が段々近づき、唇が触れようとした刹那――


「うおっほん」


「「…………」」


「イチャつくのは結構だが、そういうのは自分たちの部屋でやってくれ。見せつけられるこっちの身にもなってくれよ、胸やけで死にそうだ」


 いつの間にかいたメムメムは、悪態を吐きながら冷蔵庫からプリンを取り出すと、何食わぬ顔で階段を上がっていった。

 私と士郎さんは再び顔を合わせると、おかしくなって笑ってしまう。


「メムメムの事をすっかり頭から抜けてたよ」


「ふふっ、私も」


「確かに、場所と節度は弁えようか」


「そうだね」


 そう言って笑い合う私たちの手は、ぎゅっと握り締められていたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る