第131話 サイン

 


「日下部部長、資料できたのでご確認お願いします」


「おっ、仕事が早いね。どれどれ……」


 宣伝部の部長である日下部部長に完成した資料を渡す。受け取った彼は凄い速さでパラパラと資料を読み込んでいくと、にこりと微笑んだ。


「うん、よくできてるよ。お疲れ様」


「ありがとうございます」


「作業が早くなってきたね。大分仕事にも慣れてきた感じかな」


「いえ、そんな……まだ全然です」


 褒められて恐縮してしまう。俺なんか楓さんや他の社員に比べればまだまだだ。

 元々製造のプログラム作業をやっていた俺は数字だけ見ていれば良かったけど、宣伝部に配属されてからは畑の違う内容に四苦八苦していた。同じデスクワークではあるんだけど、宣伝用の資料を整理したり作成したりしなければならない。


 だけど最近、徐々にだがコツは掴んでいる気がする。資料を纏めたり作成する時間が短縮されるようになっていた。それは当たり前だって思われるかもしれないけど、少しずつ成長してることが自分的には手応えを感じていたのだ。


 まぁその仕事は宣伝部では比較的簡単な作業なんだけどね。本来はHPの更新とか市場調査とか雑誌に掲載する文章を書いたり編集したりと様々なPRの仕事がある。楓さんなんてもう企画プロジェクトに参加してるしな……。


「まぁ、許斐君のことは倉島君から聞いていたからね、心配はしていないよ。人付き合いは苦手だけど、真面目で努力家だってね。彼は君のことを気に入っていたみたいだよ」


「倉島さんが……」


 倉島さんは製造部の時の直属の上司だ。体育会系だったり面倒な仕事を押し付けてきたりと正直苦手だったけど、あの人にお世話になったこともある。冒険者の副業の件では俺のために頭を下げてくれたり、社会人としての心構えを説いてくれたり。


 そんな倉島さんが、俺のことを日下部部長にそんな風に話していたなんて……驚いたというより、なんだか凄く嬉しい。


「君のペースでいいから、頑張ってね。徐々に新しい仕事も任せるだろうから」


「はい、頑張ります!」


「あっ、それと話は変わるんだけどね……」


 日下部部長は突然口調がしどろもどろになりながら、鞄から色紙とサインペンを取り出して俺の前に出してくる。

 えっと……これは一体どういうことだろうか。


「どうやら私の息子が許斐君のファンみたいでね……ちょっと口を滑らしてしまい君と知り合いだと言ってしまったら、サインを貰ってきてくれと頼まれてしまったんだ。それはもう期待に満ちた顔でさ、無理だと断れなかったんだよ。ということで、お願いしてもいいかな?」


 えへへと申し訳なさそうに頼んでくる日下部部長。

 部長の息子さんが俺のファン? それでサインを書いて欲しいって?

 突然すぎて困惑してしまう。ファンっていうことはダンジョンライブを見ているのだろうか。なんか恥ずかしいな……それもサインを頼むほどのファンだなんて。


「はぁ……俺なんかのサインでいいなら」


「息子の名前も入れてくれると有難いな~なんて」


 そう言いながら色紙とサインペンを受け取る。

 どうしよう……生まれてこの方サインなんて書いたことないぞ。無難に名前を書けばいいか。

 俺は上の方に名前を書いた後、「○○君、いつも見てくれてありがとう」と書いて色紙とサインペンを部長に返す。


「おお、ありがとう! きっと息子も喜ぶよ」


「あ~部長だけズルいっすよ~!」


「そうですよ~、私たちも冒険者関連のことは気を使って聞かなかったのに~」


「ていうか部長から注意してませんでしたっけ~」


 突然、室内で作業していた社員たちが立て続けに抗議の声を上げてくる。

 注意ってなんのことだろうと気になって近くにいた社員に聞いてみたら、どうやら俺と楓さんが宣伝部に配属される前に、日下部部長が冒険者関連のことはデリケートだから聞かないよう皆に注意していたらしい。


 その理由としては、俺がダンジョン被害者であったり政府と色々関係性があるから、聞き出しても嫌な思いをするだろうからといったものだった。部長は俺や楓さんが気楽に仕事をできるように配慮してくれていたという訳だったのだ。


 なるほど、だから冒険者について話題を避けられていたのか。

 宣伝部に配属されてから、他の社員は冒険者の話題を一切聞いてこなかった。ぶっちゃけメムメムの件で俺は時の人になったから、冒険者とかメムメムのことを聞かれると思っていたけど、全然そんなことはなくて肩透かし感を味わっていたのだが、遠慮してくれていたんだ。


 なんだろう……凄く良い人たちだな。

 駄目と言われてもこっそり話を聞こうとする人だっているだろうに、ちゃんと守ってくれていたんだ。


「俺も許斐さんに聞きたいことがありま~す」


「私も楓さんに色々聞きたいで~す」


「私は聞かれても話しませんが……」


「ハイハーイ、ワタシも知りたいデ~ス!」


「ちょっと君たち、今は仕事中だから……」


「え~それ部長が言っちゃ駄目ですよ~」


(なんか……明るい人たちだな)


 和気藹々と部長に詰め寄る同僚を眺めながら、俺は誰にも気づかれないように少しだけ笑顔を零したのだった。



 ◇◆◇



「それにしてもシローはモテモテでしたねぇ、妬いちゃいましたよ」


「いやいや、別にそんなんじゃないよ」


「というより、何でスミスさんがここにいるんですか?」


 昼休憩でいつもの食堂で楓さんとご飯を食べていると、いつの間にかエマが一緒にいた。本当に自然だったから全然気にもしなかったよ。まるでいつも三人で食べているような空気感があったし。

 ややジト目で追及する楓さんに、エマはチッチッチっと指を振って、


「そんなことどうでもいいじゃないデスか。それよりお二人は今晩空いてますか?」


「う~ん、別に用事がある訳じゃないけど」


「私も特には」


「なら三人で食事に行きませんか? ワタシヤキニク食べてみたいデース」


「一人で行けばいいじゃないですか」


「え~、日本人ってヤキニクは一人で行くものではないと聞きましたよ? 特に女性はあり得ないって」


 日本人にそんな文化はないよ。でも気持ちはわかる。焼き肉って一人じゃ行き辛いよね。周りの目線を気にしちゃうし。「なにあの人、一人で焼き肉来てるw友達いないのかなw」とか思われてそうで……。


 実際はそんなこと思う人はいないんだろうけど、一人焼き肉はハードル高いよな。

 う~ん、エマには仕事面でも色々助けてもらってるし、前々からの誘いも全部断ってたし、一回ぐらいなら付き合ってもいいかもな。

 そう思った俺は、ちょっと聞いてみると言って灯里にメッセージを送る。すると一分もしないうちにお許しの返事が返ってきた。家にはメムメムがいるから防犯面でも大丈夫だろう。


「うん、大丈夫みたい。行けるよ」


「センキューシロー! それで、カエデはどうしますか?」


 エマは何故かニヤニヤしながら楓さんに問いかけると、楓さんは眼鏡の縁をクイっと上げながらすぐさまこう答えた。


「行きましょう」

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