エピローグ

 


「ふぁ~あ……八時半か……よく寝たな」


 スマホで時間を確認すると8:30と表示されている。


 今日は祝日だからいつもより多く寝てしまったようだ。虚ろ覚えだけど、二度寝をしてしまった気がする。

 灯里に悪いことをしたな、朝ご飯をまた温め直させてしまうし。


 身体を伸ばしながら起き上がり、階段を下りてリビングに向かう。


 リビングにいた灯里におはようと声をかけると、灯里は「あっ」と声を漏らして、なにかマズいものでも見てしまったかのような表情を浮かべた。

 その反応を怪訝に感じていると、ソファーに座っている大柄な男性が手を上げて挨拶してくる。


「おはよう許斐君、お邪魔しているよ」


「え……あ……合馬大臣?」


 いるはずのない人がいたことにより、思考がショートしてしまう。

 瞼をパチパチさせ、目をごしごしする。うん……何度見てもダンジョン省の合馬秀康大臣だ。


 何で合馬大臣がウチにいて、ソファーにくつろぎながら優雅にモーニングコーヒーを楽しんでいるんだ?


 全くもって意味がわからないぞ。今日会う約束なんてしていたっけ?

 ちょっと待て、今俺ってパジャマだよな……大臣相手にこんな格好やばくない?

 失礼にも程があるぞ。


 と脳内が考えごとでパンクしていると、合馬大臣はイタズラが成功したような笑みを浮かべて灯里に話す。


「どうだい星野君、やはり面白いことになっただろう?」


「あはは……そうですね」


「さて、流石にその格好で話をさせるのは酷だろう。悪いが準備をさせてあげていいかな? それとメムメムも起こしてきてもらえると助かるよ」


「わかりました」


 合馬大臣に頼まれた灯里は、未だに状況が掴めていない俺の背中を押して洗面所に向かわせる。

 俺は慌てて灯里に問いかけた。


「あ、灯里、なんで合馬大臣がウチに来てるんだ? というか、なんですぐに言ってくれなかったんだよ」


「八時前に合馬大臣が来たんだけどね、士郎さんは寝てるから起こしてきますって言ったら、驚かせたいからそのまま寝かせてあげてくれって頼まれちゃって。帰すわけにもいかないから家に上げて、コーヒーを出しておいたの」


「えぇ……」


 驚かせたいってなんだよ……そりゃ誰だって起き抜けに合馬大臣を見たら驚くって。


 あの人、元は異世界の魔王なのに意外とお茶目なところがあるんだよな。見た目からしてもっと恐いイメージというかとっつきにくい感じがあるが、話しやすいというか懐が深い感じがある。

 イメージとしては、元上司の倉島さんと同じ雰囲気がある人だ。


「なんか士郎さんとメムメムに用があるみたい。だから士郎さんは顔洗っておひげ剃って、スーツに着替えておいて。私はメムメムを叩き起こしてくるから」


「う、うん」


 そう説明すると、灯里は踵を返してメムメムを起こしに二階に向かう。

 俺は顔を洗い、生え初めの髭を電動髭剃りでしっかりと剃って、歯を磨きながら考える。


(俺とメムメムに用って……政治絡みのことだろうか)


 多分そうだろうな。

 わざわざスーツに着替えさせられるんだから、偉い人たちと会う可能性の方が高い。そういえば今の今まで、合馬大臣が連絡を寄越してくることはなかった。


 俺としてはもっと早い段階で声がかかってくると思ってたんだけど。

 あと家に来るのはいいとしても、事前にアポイントを取っていただきたい。せめて心の準備ぐらいさせてくれ。


 心の中で愚痴を吐きながら、部屋に戻ってスーツに着替える。

 部屋を出ると、ちょうどメムメムと灯里も部屋から出てきた。


「ほらメムメム、しゃきっとして。合馬大臣が来てるんだから」


「なんだい気持ちよく寝てたのに……アイツのことなんていくらでも待たせてしまえばいいんだ」


「そんなこと言ったらダメでしょ」


 メムメムは最初に会った時と同じ魔術師の服装を纏っていた。どうやらこの格好が彼女の正装らしい。まだ寝ぼけていることから、多分灯里が頑張って着せてあげたんだろうという努力が窺えた。


「おはよう、メムメム」


「おはようシロー。どうやらアイツが来てるみたいだね」


「うん。だからいつまでも寝ぼけてないでくれよ」


「わかったわかった。ボクは子供じゃないんだ、何度も言わないでくれるか」


 やれやれとため息を吐きながら首を振るメムメムと一緒に一階に降りる。

 そして合馬大臣に、改めて挨拶をした。


「やあオウマ、元気にしてたかい」


「まぁな。お前こそ、随分と楽しんでるようじゃないか。全く自由で羨ましい限りだよ」


「おはようございます。先ほどは見苦しい姿をお見せして申し訳ございませんでした」


「気にしないでくれ。寧ろあれは私がいけないんだからね。すまなかったよ、ちょっとしたでき心だったんだ。さぁ、二人とも立ってないで座りたまえ」


「あっはい」


 まるで家主のように接してくる合馬大臣に恐縮してしまう。

 あれ……この家の主って俺であってるよね?


「はいコーヒー。合馬大臣も淹れ直したのでどうぞ」


「ああ、悪いね。ありがとう」


 灯里がテーブルに三つのコーヒーを置いてくれて、合馬大臣が飲んでいたコーヒーカップを下げる。

 合馬大臣は灯里の背中を横目に、ニヤリと親父臭い笑みを浮かべた。


「気が利く娘だ、きっと良い奥さんになるだろう。そうは思わんかね、許斐君」


「ええ、はい。そうだと思います」


 なんだろう……もしかしてからかわれているのか?

 どう返事をしていいかわからず無難に返していると、メムメムが横からご機嫌斜めな感じで注意する。


「やめろよオウマ、この二人をからかっていいのはボクだけだ。他人は口出ししないでくれるか」


「おっと、それは悪かった。以後気をつけよう」


 ちょっと待って、何でメムメムは良いことになってるの?


「それで、今日はなんの用なんだい?」


「もう本題に入るのか? 折角だし少しは世間話でもさせてくれよ。こっちはここ最近お前のことであちこち飛び回ってたんだからな」


 カチャリとカップの取っ手を持ち、コーヒーを飲みながらそう告げる合馬大臣。


 やっぱりメムメムの騒ぎから忙しいんだろうな。合馬大臣はなるべく俺たちに負担がかからないようにしてくれるって言ってくれたけど、その分彼に負担を押し付けてしまっているのかもしれない。

 そう思うとちょっと申し訳ないな。


「お前とどんな世間話をしようってんだい」


地球こっちでの生活はどうだ、もう慣れたか?」


「はん、ボクを誰だと思ってるんだい。聞いて分かる通り日本語だってもうペラペラだし、アマ○ンで買い物だって出来るんだぜ。余裕のよっちゃんだよ」


 いつの間にか随分と古いネタまで覚えてるしな。

 でもメムメムの環境の順応力には舌を巻くよ。知らない土地と場所で、一か月も満たない間にもう普通の暮らしをできているんだからさ。


 もし俺が異世界の住人でいきなり日本に飛ばされたら、とても同じような真似はできないと断言できる。


「それはなによりだ。やはりメムメムを許斐君と星野君に預けて良かったよ、ありがとう」


「いえ! 俺なんか別に、メムメムに何かやったわけでもないですし」


「謙遜しないでくれ。こいつが自由気ままに好き勝手できるのも君たちがいるからだろう。知らないだろうが、エルフという種族は他種族と壁を作りやすい。気を許した相手以外には絶対に近づかないんだよ」


 そうかなぁ……メムメムは誰とでもこんな感じに接してると思うけど。

 実は距離を測っていたりするんだろうか。


「ふん、ボクをそこら辺の陰キャエルフと一緒にしないでくれ。ボクはエルフの中でもユニークでウイットに富んだスーパーエルフなんだぜ」


 その後も世間話をいくつかしたのち、合馬大臣が本題を告げてくる。


「今日来たのは、許斐君とメムメムに会って欲しい人がいるんだ。だから一緒についてきてくれないか」


「ふん……そういうのはボクの所に極力持ってこない約束だったじゃないか」


「どうしても必要な時は協力するはずだったぞ」


「ぐぬぬ」


 二人の間でそんな約束を交わしていたのか。

 でもそうだような、合馬大臣はできる限り政治は俺たちに関わらせないようにしてくれているけど、彼も役人としての立場がある。

 あれも無理、これも無理はとはいかないだろう。

 俺は気に入らなそうにしているメムメムに頼む。


「いいじゃないか。合馬大臣は俺たちに協力してくれているんだから、俺たちも恩を返さないと」


「おお、許斐君は分かってくれるようだね」


「はぁ……仕方ない。面倒だが行ってやろう」


「よし、では早速行こうか」


 そう告げると、合馬大臣は残りのコーヒーを飲み干して立ち上がる。


「星野君、この二人を少しの間借りていくよ」


「灯里、ちょっと行ってくるから頼むな」


「はい、行ってらっしゃい」


 灯里に家のことを頼んで、俺とメムメムは合馬大臣について行ったのだった。



 ◇◆◇



「合馬大臣……もしかして俺たちに会わせたい人って」


「ああ、まだ言ってなかったか。今から君たちが会うのは日本のトップである総理大臣だよ」


(聞いてねーよ!)


 家の外に止まっていた黒い車に乗り連れて来られた場所は首相官邸だった。

 テレビでしか見たことないが、間違いないと思う。まさかこれから会う人が総理大臣だとは思わず、吃驚してしまった。


 緊張で早くも頭が真っ白になりかけている中、合馬大臣の後についていく。

 とある部屋にたどり着くと、合馬大臣はコンコンとノックをする。どうぞと許しが出たので、俺たちは静かに入室した。

 部屋には老人が一人、俺たちを待ち侘びていたかのように佇んでいる。


「許斐さん、メムメムさん。こうして会えるのを心より楽しみにしておりました」


 その老人は背が小さく、柔らかい雰囲気を醸し出している。

 朗らかに微笑んでいる姿からは、とても日の丸を背負っている人には思えなかった。

 だが、対面することで体感する。その小さな身体からは、息を呑むほどの重圧プレッシャーが迸っていることを。


「私、総理大臣の菱形鉄心ひしがたてっしんと申します。よろしくお願いしますね」


 小さな総理大臣――菱形鉄心は、俺とメムメムにそう挨拶したのだった。

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