第50話 背中

 

 ミノタウロスを倒し、自動ドアを見つけた俺たちはギルドに帰ってきた。


 大広間に戻り魔石を換金する。ミノタウロスからドロップした中魔石は一つで十五万で買い取ってくれた。たったこれだけで約一か月分の給料が貰えるとなると、やっぱりダンジョンって儲かるなと実感する。他の小魔石を合わせると、全部で十七万円になった。


 その四分の一は島田さんに渡し、残ったお金は冒険用の通帳に入れておく。


 私服に着替え、装備一式をギルドに預けてエントランスに戻る。

 灯里がみんなでご飯を食べに行こうよと提案したが、島田さんは奥さんと約束があり、楓さんはこの後用事があるからと断られてしまう。残念だけど仕方ない、明後日なら二人とも平気そうだから、明後日一緒に食べる約束をした。


 因みに、楓さんのことは名前呼びになってしまった。

 いつも通りに五十嵐さんと名字で呼んだのだが、わざと無視をしてきて、どうしても名前で呼んでほしいと頼まれてしまい仕方なく名前で呼ぶことになってしまったのだ。

 大人な雰囲気がある彼女にしては子供らしい一面を見られた気がする。


 帰り際、楓さんが灯里に耳打ちすると灯里は目を開いてビックリしていた。その後灯里は楓さんをじっと見つめ、楓さんは不敵に微笑んでいる。何を言ったのか気になって島田さんに話を振ってみたのだが、彼は「モテる男は辛いですねぇ」とにやつきながら頓珍漢なことを言っていた。


 こうして見ると、楓さんはどこか吹っ切れたような気がする。

 大人ぶるのをやめたというか、かしこまっているのが柔らいだというか、初めて出会った時よりも雰囲気が明るくなった。やっぱりダンジョンでの出来事がきっかけなのだろうか。

 なんにせよ、心を開いてくれて嬉しくない男はいないだろう。あまり甘えてこられるのも困るけど。


 解散した後、俺と灯里は寄り道せず帰宅する。

 どこかで夜飯を食べて行こうかと聞いたのだが、彼女には自分が作るから大丈夫だと断られてしまう。灯里も疲れているから無理しなくてもいいよと伝えたのだが、頑なに自分が作ると言って聞かなかった。まあ本人が作りたいというなら別にいいか。

 俺的にも、お店の料理より灯里が作ってくれたご飯の方が美味しいし。


「美味い! 灯里はなんでも作れるな~、それに全部美味しいし」


「えへへ、おばあちゃんに色々仕込まれましたから」


 今日のおかずは唐揚げと串カツにトマトサラダにおひたしと豚汁。


 揚げ物は時間がかかると思っていたけど、事前に下準備をしてあったから揚げるだけだった。そんな風に謙遜しているけど、それをできる高校生がこの世の中にどれくらいいるだろうか。このおひたしや豚汁だって手間はかかるだろうし。


 美少女女子高生にこんな美味しい料理を作ってもらえる俺ってもしかして日本一の幸せ者ではないかと思ってしまう。


「ごちそうさま! いや~食った食った、もうお腹一杯だよ」


「ちょっと作り過ぎちゃいましたか?」


「全然平気だよ。なんか最近食欲が増えてるんだよな。身体の調子も良いし、きっと灯里の料理を食べてるお蔭かな」


「えへへ、そう言ってもらえると嬉しいです。そうだ、お風呂入れますから入ってください」


「うん、ありがとう」


 何からなにまで甲斐甲斐しくしてくれる。

 やばいな……もう一人の生活に戻れなくなる。いやいやいや、灯里は一時的に同居してるだけなんだから、いつかは家から出ていくんだ。あんまり甘えきってはダメだろ。自分でできることは自分でやらないと。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」


 湯舟に浸かり、濁声を発する。つい出てしまうのだけど、こういう所がおっさん臭いなと自分でも思う。だけど出ちゃうんだから仕方ないよね。


 ダンジョンから戻ってくると身体の状態は戻っているけど、モンスターとの死闘で精神的なものはごっそりと抜け落ちている。それを温かい風呂に入ることで回復し、生き返った感じがする。

 やっぱり日本人は風呂が大事だよなぁ。


「よく、勝ったよなぁ」


 ミノタウロスとの戦いを振り返り、言葉が零れる。

 本当にギリギリの戦いで、いつ死んでもおかしくなかった。まるで薄氷の上を駆け回り、生と死の境を行ったり来たりするような戦い。もう一度やれと言っても多分できないだろう。

 灯里と楓さんと島田さん、みんなの力が合わさり歯車みたいに噛み合ったから倒せたんだ。


 それと、全ての感覚が研ぎ澄まされたあの感覚。

 あの状態にならなければミノタウロスの攻撃を躱し続けられなかっただろう。目に映るものがクリアになり、頭の中で次の行動を考えると同時に身体が勝手に動く奇妙な感覚。ミノタウロスの攻撃をも予測して、未来さえ見通せる気がした。


 その時は無我夢中だったけど、今になって思い出すとあの感覚は凄く気持ちよかった。また成りたいと思うくらいに。


「なんか俺……性格も変わってきてないか?」


 思い出してみれば、凄く恥ずかしいことを口走っていた気がする。

 楓さんに対してもっと曝け出せと言ったり大声を上げたり、ダンジョンに入る前の俺では考えられない発言をしていた。

 いや……言葉だけではなく行動もそうか。もしかして俺も、ダンジョン病になりかかってしまっているのかもしれない。気をつけなくちゃな。


「士郎さーん、湯加減どうですかー?」


「あ、ああ……いい感じだよ」


 風呂の扉の奥から突然灯里に尋ねられ、動揺しながらも答える。

 すると、信じられないことにガララと扉が開き、バスタオル一枚を巻いた灯里が入ってきた。


「うわああああああああ!?」


 つい絶叫を上げてしまった。タオル一枚で隠されている灯里の身体は線がくっきり見えてしまっている。白く透き通る肌が艶めかしく、目が奪われた。


 って、俺は何をジロジロ見てるんだ!!

 顔を背け、まだそこに立っている灯里に注意した。


「なんだよいきなり!? は、早く出ていくんだ!」


「士郎さんの背中を流してあげようと思ったんですけど、ダメですか?」


「ば、馬鹿なことを言うんじゃない! 大人をからかうなよ」


「もしダメって言ったら一緒にお風呂に入っちゃいますけど、それでもいいですか?」


 な、なんて究極の二択なんだ!

 というか灯里はいったい何を考えているんだ?こんな大胆なことをするような女の子じゃなかったのに。彼女の悪戯に動揺していると、片足がちゃぽんと湯舟に入ってきた。


「ほらほら~、早くしないと入っちゃいますよ~」


「分かった! 分かったからせめてタオルを一枚くれ!」



 ◇◆◇



「力加減はどうですか~?」


「うん……いい感じ。気持ちいいよ……」


 断り切れず、結局背中を洗ってもらうことになった。

 ザラザラとした表面の泡がついたタオルで、背中をゴシゴシされる。本音を言ってしまうと、マジで気持ち良かった。自分で洗うには手が届かない所も摩ってもらうこともそうだけど、他人に洗ってもらうってこんなに気持ちいいものなんだな。


 妹の夕菜が幼稚園の時までは一緒に風呂に入ってやってもらったことがあるけど、力もまだなくて撫でてるような感覚だったし。まあ可愛い妹にやってもらってるだけで兄としては超嬉しかったけど。小学生になってからは一度も入ってなかったなぁ。まあ当たり前だけど。


「で、急にどうしたんだ」


「何がですか?」


「いやいや、とぼけないでくれよ。急に背中を洗いたいなんておかしいじゃないか。なにか欲しいものでもあるのか?」


「やだなー、もう子供じゃないんだからそんな真似しないですよー。純粋に、今日頑張った士郎さんを労いたいと思っただけです」


 ――本当にそうか?


 そう尋ねると、灯里は口を閉じてぴとっと手を背中に当ててくる。黙っている彼女に「灯里?」と聞くと、彼女は静かに口を開いた。


「ごめんなさい。実はちょっと焦っちゃいました」


「焦る……? 何を焦るんだ?」


「ミノタウロスとの終盤戦、士郎さんと楓さんは息ピッタリで、ハマってるように見えました。言葉を交わさなくても考えが通じあっているように見えました。それが羨ましかったんです。士郎さんの隣で戦ってる楓さんが羨ましかった。私は安全圏で攻撃してるだけだから……」


「灯里……」


「島田さんも凄いし、士郎さんもどんどん強くなってるし、私なんかいらないって、必要じゃないって思っちゃったんです」


 最後の方は声が小さくなってギリギリ聞こえるようだった。


 そうか……そういう風に考えていたのか。そう言われると、帰宅してからの灯里の行動にも納得できる。疲れてるから外食で済まそうと言っても自分で作るからと言うし、その後もかいがいしく世話をしてくれたり、風呂に入って背中を洗うなんて行動にも及んでしまったのだ。


 灯里は弓術士で、剣士の俺とは距離が離れてしまっている。それを不安に感じてしまったのではないか。

 だけどそれは、大きな間違いだ。俺は自分の気持ちを、はっきりと灯里に伝える。


「確かに楓さんとは最後の場面で噛み合った気がするよ。でもその前は、灯里と通じ合っていたと思う」


「えっ……」


「楓さんがいなくなって俺は一人になったけど、一人じゃなかった。灯里がいたんだよ。灯里がいるから恐くなかったし、ミノタウロスにも突っ込めたんだ。きっと守ってくれるって信じていたからできたんだ。灯里がいなかったら何回死んでいたか分からなかったよ。でも俺は、灯里がいるから無茶な真似もできた」


「そう……だったの?」


「そうさ。それに、援護が欲しいと思った時にドンピシャでやってくれた。まるで灯里と考えていることがリンクしているようだったよ」


「私も……士郎さんの考えがなんとなく分かった……と思う」


「だろ?だからそんなことで焦らなくてもいいんだ。俺が背中を任せてるのは、一番頼りにしているのは灯里なんだから」


 そう告げると、灯里は少しの間言葉を発さなかった。

 やがて彼女は「えへへ……」と嬉しそうに笑って、


「なんか、凄く嬉しいです。士郎さんにそう言ってもらえて、気持ちが晴れました」


「もっとちゃんと言っておけばよかったな。いつもありがとう、灯里」


「もう! あんまり褒めないでくださいよ! 照れちゃいますから! あっ、もう背中は終わったので次は前にいきますね!」


「いやいや、前は自分でやるから!」


「そんな遠慮しなくていいですから!」


 灯里が俺の腕を引っ張って強引に振り向かせようとしてくる。

 耐えようとして踏ん張ったのだが、意外と力強く負けてしまった。しかも踏ん張ってしまっていたせいで勢いがついてしまい、灯里を押し倒してしまった。


「「~~~~~!!」」


 灯里の顔が目の前にある。風呂場にいるせいかわからないけど、頬が紅潮していた。

 しかも右手は大きな胸を押し付けてしまっている。初めて触った女性の胸は、タオル越しでも凄く柔らかかった。


「ご、ごめん!」


 謝りながら慌てて立ち上がり、ガララとドアを開けて這いずるように風呂場から出て、再びドアを閉めた。

 ドアに背中をつけて、もう一度謝る。


「あ、灯里……ごめんよ。わざとじゃないんだ」


「はい……大丈夫です。私こそ、引っ張っちゃってごめんなさい。それよりも、背中流さなくていいんですか」


 灯里の言うとおり、洗っている途中で出てきてしまったから背中には泡がべったりついている。でも、心臓が破裂しそうなぐらいに鼓動している今の状態でもう一度風呂に入れるほどメンタルは強くない。


「今はタオルで拭くよ。後でもう一度入るから大丈夫」


「そうですか……ごめんなさい」


「気にしなくていいよ。灯里はそのまま入ってて」


 そう言うと、俺はタオルで自分の身体を拭く。


(やっちまった~~~~)


 不可抗力とはいえ、女子高生の胸を触ってしまった。

 罪悪感に、心の中で深いため息を吐いたのだった。


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