第29話灯里の一日

 


 ――ピリリリリ、ピリリリリ。


 スマホのアラームで、パッと目覚める。朝は強いからスヌーズなんかいらない。

 スマホの時刻は6:00。私の一日は、この時間から始まる。

 起き上がって身体をほぐすと、掛布団を畳んでパジャマから私服に着替える。カーテンを開けると、眩しい朝日に目を細めた。


 ドアをそっと開け、足音を立てず忍び寄り、士郎さんの寝顔を盗み見る。

 彼は寝つきがよく、物音を立てても全然起きない。寝相も良いから、掛布団が全然動いていなかった。すぐに蹴っ飛ばす私とは大違いだ。


「ふふ、可愛いなぁ」


 つい綻んでしまう。士郎さんの寝顔は子供のように可愛い。元々童顔気味だし、生え始めてる髭さえなかったら二十六歳には見えない。

 いつからか、士郎さんの寝顔を盗み見るのが朝の日課になってしまった。彼の顔を見ると、何故だか元気が湧いてくるのだ。

 寝顔を堪能した私は、部屋から出て顔を洗う。手間がかからない程度のケアをした後、お気に入りのエプロンをかけて料理を開始した。


「今日は何にしようかな~」


 冷蔵庫の中身を開けながら、献立を考える。朝ごはんと、士郎さんのお弁当だ。

 彼は好き嫌いが全くないから、作るのは難しくない。それに出した料理は全部綺麗に食べてくれて、美味しそうに食べてくれるから作りがいがある。


 早速料理に取り掛かる。朝ごはんと並行して、お弁当のおかずも作っていく。

 一人で生きていけるように料理の腕も磨いたから、自分で言うのもなんだけど手際はいいほうだ。


(一人で生きてくかぁ……甘かったなぁ)


 愛媛にいた頃は、一人暮らしをしながら冒険者になろうとしていた。

 お金も貯めたし、自分なら出来ると思っていた。だけどそれは、社会を知らない子供の戯言だったのだ。

 やれない事はなかったかもしれない。だけど、安いアパートで節約しながらひもじいご飯を食べ、バイトをしつつ冒険者になって、ギリギリやれていたかもしれない。


 けどギリギリの生活をしていたら、あっという間に破綻していたと思う。多分、一か月も持たなかったんじゃないかな。

 両親を救い出したいっていう想いは本物だ。だけど、一人でやっていけてたかどうかは分からない。


(士郎さんに会えて……本当に私はラッキーだったなぁ)


 ラッキーというと最低に聞こえるけど、そうとしか言いようがなかった。夕菜のお兄さんが優しい人で、協力してくれなかったらこんな贅沢な生活を出来なかっただろう。ダンジョンでもそうだ。士郎さんがいなかったら、私は冒険者になれていたかどうかさえ分からない。

 私は彼の善意と優しさにつけこみ、家に転がり込んだ最低な女で、所詮一人では何も出来ない子供なのだという事を絶対に忘れてはいけない。それだけは胸に留めておかなきゃならないんだ。


「おはよう、灯里」


「おはようございます、士郎さん」


 眠そうに挨拶してくる士郎さんに、私は笑顔で返す。彼は意外と朝が弱く、顔を洗わないと頭が起きないタイプの人だ。そういう所も子供みたいで可愛い。朝ごはんの準備をしていると、スッキリしてきた士郎さんがやってくる。出会った頃の印象は暗くて根暗でくたびれている感じがしたけど、今は全然そんなことない。童顔も相まって凄く好青年に見える。


 士郎さんと一緒に朝ごはんを食べる。テレビをつけたりスマホをいじる事もなく、美味しそうにご飯を食べてくれる。それが凄く嬉しかった。

 食べ終えて少しゆっくりすると、士郎さんはスーツに着替え鞄を持った。そんな彼にお弁当を渡す。


「はい士郎さん」


「いつもありがとう」


「いえいえ、いってらっしゃい!」


「いってきます」


 士郎さんが会社に向かうと、私は洗濯物や掃除と家事を行う。けど、いつもしているからそんなに手間もかからず、すぐに終わってしまった。

 冷蔵庫の中身を確認して、近所のスーパーに買い物に向かう。ここのスーパーは都会の割りに安い。まあ、愛媛と比べたら全然高くて最初は驚いたけど……。

 因みに生活費や食費は全て士郎さんが出している。住まわせてもらうんだから私も出しますと強く言ったのだが、家事をやってくれるだけで充分だからと断られてしまった。詳しくは聞いてないけど、士郎さんは意外とお金には困ってないらしい。車も持ってないし趣味とかもないから、貯金もまあまああるし余裕だと言っていた。

 自動車会社に勤めてるから、お給料もいいのかな。


(そういえば、五十嵐さんも同じ会社なんだよね……)


 二日間一緒に冒険した女性をふと思い出す。

 五十嵐楓さん。美人でかっこよくて、大人な感じの女性。それでいて士郎さんの後輩。そんな人が来るなんて偶然だろうかと最初は疑ったけど、多分本当にたまたまだったんだろう。だけどなんか、あの人から少し危険な臭いがする。女の勘というか、私を見る目に敵意があった気がする。中学高校とそういう同性の視線は結構見られたことがあるから、なんとなくわかったのだ。


 五十嵐さんは、冒険者として凄く優秀だった。

 女性で盾役をやれるのもヤバいけど、瞬時に的確な指示も出来るし、戦いやすかった。だけど純粋に喜べなかった。士郎さんが五十嵐さんの事を褒めるのも胸がムカムカするし、あんなに強いのも悔しかった。

 醜い嫉妬だなとは分かるけど、だからといって素直に受け止められない。そういう所も、自分は子供だなと感じて嫌になってしまう。


 でも五十嵐さんは凄く良い人で、戦い方とか教えてくれるし、焦る私達を諭してくれた。ダンジョンから帰って一緒にご飯を食べたけど、本当に楽しかったし、やっぱり素敵な人だなって思った。


 そんな事を考えてると、昼時に士郎さんからラインでメッセージが来た。内容を確認すると、私は何故だか胸が苦しくなった。


『今日五十嵐さんと飲んできてもいいか?』


 そのメッセージに五分考え、私は淡泊に『いいですよ』と返す。絵文字もつけてないし、これじゃあ拗ねてるみたいだと思った。まあ、文字通り拗ねてるんだけど。


「今日はご飯作らなくていっか」


 飲みに行くというのなら、何かしら食べてくるだろう。

 一人で食べるのも虚しいし、私はカップラーメンでも食べればいいか。なんか、凄く心が荒んでいる気がする。こういう時は運動して発散するに限る。

 私は運動服に着替えて、ランニングをしに行った。


「はぁ……はぁ……久ぶりだったけど、結構走れたな」


 ランニングを終えて家に帰ってきた私は、シャワーで汗を流す。

 その後は、YouTubeのダンジョン動画で弓術士の立ち回りを勉強していた。魔法矢でド派手な人もいれば、正確な攻撃をする人もいる。私も最近、【炎魔術2】にレベルを上げてから炎矢フレイムアローという技を出来るようになったけど、これはMPを消費してしまうので連発はできない。やっぱり純粋な技術で倒せるようにならないと。


 夢中になって動画見ていると、もう辺りは真っ暗だった。

 そんな時、ぐぅ~とお腹が鳴る。この音のせいで、私は士郎さんから腹ペコキャラだと思われてる。なんだかすごく嫌だけど、お腹が鳴るのは自然現象なのでどうにもならない。


 カップラーメンを食べていると、士郎さんからメッセージが来た。それは、私達の事情を五十嵐さんに話してもいいだろうかという内容だった。私は嫌だったけど、士郎さんにも何か考えがあるのだろうと思って、悩んだ末に仕方なく了承した。


「はぁ~、士郎さんのバカ……」


 自分達だけの秘密を教えることに、抵抗があった。

 私は士郎さんのベッドで横になり、枕に顔を埋める。なんだか凄い寂しい。士郎さんを五十嵐さんに取られたみたいで、心が苦しくなってくる。

 嫌だなー、私ってこんなに弱かったっけ。


 自分の弱さに呆れていると、ガチャリとドアが開いた。私は急いでベッドから起き上がると、玄関に向かう。そこには、ほんのりと顔を赤くしている士郎さんがいた。


「ただいま、灯里」


「お、お帰りなさい……もっと遅いかと思ってました……」


「なんだか無性に灯里に会いたくなって、すっ飛んで帰ってきちゃった」


 ――ッ!!

 その瞬間、私は士郎さんに抱き付いていた。多分、ほとんど無意識だった。


「あ、灯里?どうしたんだ?」


「ごめんなさい……ちょっと、寂しくなっちゃって」


 か細い声音でそう言うと、士郎さんは私の背中に手を回した。

 彼は自分からは私と接触しないようにしている。多分、私が高校生だから凄く気を使っているのだろう。だけどこういう時は、優しく抱きしめてくれる。それが嬉しくて、甘えてしまうのだ。


「心配かけてごめん」


「ううん、大丈夫」


「色々と話すこととかあるけど、まずは風呂に入っていいか?あと、出来ればご飯も食べたいな」


「食べてこなかったんですか?」


「うん。居酒屋だと思ったら、バーだったよ。だからお酒一杯だけしか飲んでないんだ」


「じゃあすぐに用意します!」


「ありがとう」


「いえいえ、料理は私にお任せください」


 さっきまであんなに落ち込んでいたのに、士郎さんの顔を見ただけで元気が出た。

 彼に求められることが、何かをしてあげられることが、凄く嬉しかったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る