第19話五十嵐 楓




「士郎さん、やっぱり私……」


 今にも泣きそうな声に振り向くと、申し訳なさそうに眉尻を下げる灯里。

 彼女が何を言おうとしているのかを察しようとしたその時、彼女の後ろに一匹のホーンラビットを見つけた。そいつは屈伸し、勢いをつけてジャンプしてくる。


「――危ない!」


「え――」


 咄嗟に灯里を突き飛ばそうとするが間に合わず、ホーンラビットの角は灯里の胸に突き刺さる。ぴちゃっと血飛沫が俺の顔に飛び散り、灯里の口からぽこっと吐血が零れた。

 そのまま灯里は崩れ落ちるように俺に倒れる。俺は彼女の身体を抱き締めながら、今にも目を閉じそうになる灯里に必死に声をかけた。


「灯里!灯里!死ぬな!灯里ーーーーーーー!!!」


 ――はっと目を覚ます。


「はぁ……はぁ……はぁ……夢か……夢で良かった……」


 目を開けると、視界は白い天井で埋め尽くされる。

 ここがダンジョンの中ではなく、灯里が死んだのも夢だと分かり、安堵の息を大きく吐いた。身体は汗まみれで、前髪が額にべっとりくっついて気持ち悪い。人ってなんで嫌な夢や恐い夢を見ると、こんなに汗が出るんだろうな。


「んん……士郎……さん」


(そっか……昨夜は一緒に寝たんだっけ)


 すぐ側で寝ている灯里に気付き、一緒のベッドで寝たことを思い出す。

 それにしても……本当に灯里って可愛いよな。こんなに間近で顔を見たのは初めてで、改めて実感した。

 さらさらな髪に、長い睫毛、すっと高い鼻に、桜色の唇。子供の可愛らしさを残しつつも、大人の女性に変わりつつある美しさ。こんな可愛い子が、俺の隣で寝ていることが信じられない。


 これだけ可愛いのだから、相当モテていたんだろうな。中学でも付き合っていたのだろうか。高校でも付き合っていたのだろうか。ほんの少しの嫉妬が芽生えるが、大人目線の気持ちもある。

 本当なら学校の友達と遊んだり、かっこいい恋人と青春を謳歌しているはずなのだ。ダンジョンに両親を奪われなければ、そんな未来があったはずだ。そう思うと、不憫でならなかった。


(この子を守らないと……)


 今回死んだのは俺だったけど、次は灯里かもしれない。

 だけど俺は、あんな苦しくて恐い思いを灯里にさせたくなかった。だから、大人で年上の俺が、灯里を守るんだ。


 静かな決意を胸に秘める。

 起こさないようにゆっくり起き上がり、ベッドから降りる。毛布を肩までかけ、気持ち悪い汗を流そうとシャワーを浴びにいった。



 ◇◆◇



 ダンジョンで死のうが、現世の俺は生きててピンピンしている。

 メンタルを除けば、身体は健康そのもの。だから“ダンジョンで死んだので会社を休んでいいですか”なんて会社には言えないため、今日も今日とて出勤しなければならない。


 カタカタカタカタ。

 キーボードを打つ音があちらこちらから聞こえる。俺の部署は車の開発部で、プログラミングを担当している。なので基本はパソコン仕事だ。出来上がったプログラミングを試すのは、また別の部署が行う。俺は誤作動の修正や、プログラムの追加などをしている。

 最初から開発などはしたことがない。そういうのは頭もよくバリバリに出来る人がやるものだ。


「腹減ったー」


「今日はどこで食べるか。食堂か、外にするか」


「今日は外の気分だなー」


 昼になったのか、同僚達は作業を止めて各々ご飯にありつく。うちの会社の食堂で食べてもいいし、近くにあるラーメン店や丼もののチェーン店でさくっと食べたり、女性はカフェなんかで食べている人もいた。

 俺も今までは食堂で日替わり定食を頼んでいたのだが、ここ最近は違う。


 なんと灯里の手作り弁当だ。無理しなくていいと遠慮したのだが、灯里は朝ごはんを作る時と一緒にしているから手間はかからないと言っていたので、厚意に甘えることにした。実際彼女の弁当は美味しく、仕事での唯一の楽しみになっていた。


 弁当箱を持って、食堂の端の席を確保する。自分のデスクで食べてもいいのだが、周りに見られたくないのと、書類やデスクの上を汚したくないからだ。食堂には色々な部署の人がいるが、端にいけば一人で静かに食べられる。俺みたいに一人で食べている人もちらほらといるし。


「今日も美味しそうだ」


 二段弁当の蓋を開けると、ご飯とおかずに分かれている。ご飯には海苔があって醤油の香りがするし、おかずの方はミニトマトやウインナーや卵焼き、ミニハンバーグなどが入っている。本当にどれも美味しそうだ。

 俺は今まで弁当というものを食べたことがなかった。小学生の時は給食だったし、中学は売店のパンで三年間を過ごし、高校は食堂。母親からはお金だけを渡され、弁当なんて作って貰ったことがない。

 だから灯里に作って貰った弁当が嬉しくて、そして美味しくて、小さな幸せを感じられる。


(もう、灯里なしで生きていけないかも……)


 そんなアホなことを考えながら食べていると、不意に前の席に女性が座った。


「ここ、いいでしょうか」


「えっ……は、はい」


 許可を求められたので、反射的に言ってしまう。でもそういうのって普通、座る前に尋ねるものではないだろうか。座ってから聞く意味なんてあるのか?

 そもそも何でわざわざ俺の目の前に座るんだ?まだ他にも席は空いてるのに。


(この人確か……)


 目の前に座った女性に見覚えがあった。

 マーケティングとか販売の部署だった気がする。直接喋ったことはないけど、部内の噂で知っている。なんでも、大学を出て入社したばかりの新人なのに、相当出来るらしい。たった一年で、販売の業績にかなり貢献した期待の新星だとか。

 しかも背が高くて見た目も綺麗なために、噂が広がるのも早かった。何度か廊下ですれ違っているが、確かに綺麗な人だなーと思ったことがある。

 キリリとした目に銀縁眼鏡をかけているから、男性職員たちは美人秘書みたいだって言ってたっけ。


 名前は……だめだ、思い出せない。

 まあいいや、気にせず灯里の弁当を楽しもう。そう思ってウインナーを口に運ぼうとすると、突然話しかけられる。


「許斐さんって、最近お弁当ですよね」


「……へっ?」


 急に話しかけられたぞ。これ、俺に話しかけてるんだよな?許斐って俺の名字だし。というか、何で俺なんかの名前を知っているんだ?

 不思議に思いつつ、とりあえず返答する。


「そ、そうですね」


「今まで食堂のランチだったのに、どうして急にお弁当を作ろうと思ったんですか?そのお弁当はご自分で作られたのですか?」


 ぐ、ぐいぐいくるなぁ……。なんだか詰問されているみたいで凄く居心地悪いんだけど。

 でもどう答えればいいんだ。まさか同居している女子高生に作って貰ってますなんて言える訳ないし。


「実はそうなんだ」


「そうですか。可愛らしいお弁当ですが、ご自身で作られているんですか」


「そ、そうですね。最近作ってみようと思ったら、意外とはまっちゃって」


「なるほど。それと敬語は結構です、私の方が年下で後輩ですので」


「……」


 なんだか凄い話しづらいな。質問もそれだけで、自分が買ったであろう冷やしうどんを啜ってるし。なんだか食べづらいけど、俺もさっさと食べちゃおう。

 黙々と食べ、お弁当を片付けた後、また女性が話しかけてくる。


「因みに、許斐さんは私のことを知っていますか」


「う、うん。開発部の人だよね」


「名前は?」


「ごめん、名前までは……」


 謝ると、女性は小さなため息をつく。

 申し訳なく思っていると、彼女は表情をきりりとして自己紹介した。


「販売部マーケティング担当の五十嵐いがらしかえでです。許斐さんとは、新人歓迎会で一度お会いしています」


「そ、そうだっけ?」


 新人歓迎会か……行きたくもなかったし毎年参加しなかったんだけど、昨年は有望そうな新人が沢山入ってきたからって倉島さんに無理矢理連れていかれたんだよな。

 それで普段飲まない酒を飲んで酔っちゃって、途中から記憶がなくなったんだ。変な噂は立ってなかったから悪酔いとかやらかしたりはしなかったけど、もしかして俺……五十嵐さんに何かしてしまったのだろうか?

 セクハラとかしてて訴えられでもしたらどうしよう。灯里に合わせる顔がないぞ。


「はい。私が他の部署の上司に絡まれているのを助けてもらいました。もしかして覚えていないですか?」


「ごめん……そん時俺、結構酔ってて記憶があまりないんだ」


 そう謝ると、五十嵐さんは再び小さなため息を溢した。

 つーか俺、新人歓迎会の時そんな事してたのか。どの上司だろう……粗相とかしてないよな?なんだか怖くなってきだぞ。


「まあいいです。では、これで失礼します」


「あ、うん」


「また会いましょう」


 そう言って、五十嵐さんは食器を乗せたお盆を持って立ち去ってしまった。

 どういう意味なのか分からず、俺は首を傾げたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る