第18話一歩

 



 目を開くと、そこはギルドの中だった。


「ここは……確か俺は……」


 そうだ……灯里を助けようとして、俺はホーンラビットの角に突き刺されて死んだのだった。ブラックアウトする前の記憶が甦ると、胃から急になにかがこみ上げてきた。


「うっおえっ!」


「お客様!?」


 両膝をついて、口から嘔吐物を吐き出す。突然吐いた俺に驚いたスタッフや自衛隊の人が駆け寄ってくるが、そちらに意識を割くことは出来ず、精神を蝕む感覚に侵されていた。

 ホーンラビットの角が胸を貫いた感覚、焼き付くような痛み、呼吸が出来ない苦しみ、頭が真っ白になりブラックアウトしていく感覚。

 “死の体験”が振り返って、恐怖に身体が震える。


「はぁ……はぁ……し……死んだ……俺……し……」


「お客様!大丈夫ですよ!お客様は生きてます、大丈夫ですから!」


「初めての臨死体験だな。これはけっこう酷い、医務室に連れていこう」


 耳元で叫んでいる気がするけど、凄く遠くに聞こえる。背中を摩られているはずなのに、その感覚がなかった。“俺の背中は穴が空いているんじゃないか?” そんな錯覚が浮かんでくる。


 俺は生きているのだろうか?死んでいないんだろうか?

 そんな疑問が浮かんでは消えていく。今生きている実感がわかない。


「士郎さん!!」


 悲鳴のような声が僅かに鼓膜を揺らし、正面から抱き付かれる。

 触れている箇所から温かさを感じ、心臓の鼓動が伝わってくる。

 それを感じて、ようやく混乱していた意識が正常に戻ってきた。


「ごめんなさい!ごめんなさい士郎さん!私のせいでッ……私が我儘言わなかったら、士郎さんを死なせなかった!!」


「あ……灯里……」


「ごめんなさい!士郎さん!士郎さんっ!!」


 俺に抱き付いて大声を出しているのは灯里だった。

 うわんうわん泣きながら、俺の胸で泣いている。そうか……ダンジョンから生きて戻ってこられたんだな。

 良かったと、心の底から安堵する。こんな恐怖を灯里がしなくて、本当に良かった。


「灯里、生きてるよ……俺は生きてる」


「うわああああああああああん!!」


 灯里が泣き止むまで、俺達はその場にいたのだった。



 ◇◆◇



「ご迷惑をおかけしてすみませんでした」


「大丈夫ですよ。それよりも良かったです、回復して安心しました」


「気にするな。初めて死ぬ冒険者にはよくある事だ。君よりもっと酷いケースもある。立ち直れたのは、彼女のお蔭だろうな」


「ただ、いつ臨死体験がぶり返すか分からない。今は平気だからと言って、あまり無理はしないように」


「……はい」


 灯里が泣き止んだのは五分ぐらい経った後だった。

 その間、俺と灯里は通路の端に移動し、スタッフに俺の嘔吐物を片付けてもらっていた。俺と灯里は落ち着いてから、スタッフと自衛隊員に謝罪とお礼を告げ、その場を後にする。

 広場に戻り、装備を預け私服に着替える。面倒だったので、魔石の換金は今度にすることにした。

 灯里と合流し、ギルドを出て、夕日に見送られながら電車に揺られて帰宅した。その間ずっと、灯里は顔を俯かせながら、俺の腕を強く掴んでいた。



 ◇◆◇



「いやー、死ぬ時ってあんな感じなんだな!貴重な体験が出来て良かったよ!普通に生きてれば無いからな、死ぬ体験が出来るなんて!いやーラッキーだった!」


「…………」


「あはは……はぁ……」


 帰宅し、そのままソファーへ座ると、灯里は隣に座って俺の腕を掴んでくる。ずっと意気消沈している灯里を励まそうとボケてみたのだが、全く効果はないようだ。

 正直に言えば、今でもホーンラビットに殺された場面が脳裏をちらついて恐怖を抱いてしまうし、なんなら発狂してしまいそうになる。そうならないのは、俺よりも俺のことで動揺し、悲しんでいる灯里がいるからだ。

 自分よりも混乱している人を見ると、逆に落ち着いてしまうアレである。


 チクタク、チクタク。

 壁時計の針が規則的に動く音が、静かな部屋にやたらと響く。

 そのまま黙っていると、灯里の口からポツリと零れた。


「士郎さんが、ホーンラビットに刺されて倒れた時……どうしていいか分かりませんでした」


「……」


「胸からたくさん出る血を止めようと必死に塞ごうとして、でも血は止まらなくて、士郎さんはモンスターみたいに光って消えちゃいました」


 そっか、灯里は俺のためにそんな事をしてくれていたのか。

 なんとなく、今にも泣きそうな顔で必死な灯里の姿が浮かんでくる。


「本当に死んだのかと思いました。目の前からいなくなって、もう二度と会えないのかと恐くなって、必死にドアの中に入りました。そしたら、士郎さんがいて……生きてて、本当に良かった!!」


 腕を掴む力が強くなり、顔を肩に当ててくる。服が濡れ、冷たい。堪えきれずまた泣いてしまっていた。

 そんな彼女を、俺はそっと抱きしめる。二十六歳のおっさんが十八歳の女子高生にしていい行為ではないだろう。だけど、彼女を落ち着かせるには、こうするしかなかった。


「心臓の音……聞こえる?」


「……はい」


「ってことは、俺は生きてる。心配しなくていいんだ」


「うっうううっ!」


 灯里はまた泣き崩れてしまった。

 あーあ、泣き止まそうとしたのに、余計泣かしちゃったよ。

 こういう時、世のイケメン達は一体どう優しい声をかけるのだろうか。

 泣いている灯里を抱きながら、ふとそんなことを思った。



 ◇◆◇



 今日死んでも、明日には仕事がある。だから寝ることにした。

 俺も灯里も食欲がなかったため、風呂に入るとすぐに床につく。因みに灯里のベッドは届いているので、俺は自分の部屋のベッドに戻っていた。灯里はリビングの方で寝ている筈だ。


(ダメだ……全然寝れない)


 頑張って寝ようとしているのだが、中々眠りにつけない。

 目を瞑ると、死の体験をした恐怖が甦ってくるのだ。それと同時に、もしこのまま眠ったとして、明日には死んでいるんじゃないかという不安もあった。

 それほどダンジョンの死はリアルで、俺にトラウマを植え付けた。


 ――かちゃ。


 小さなため息を吐いていると、不意にドアノブが動く音がした。

 キーと音を立てドアが開くと、足が床を踏む音が聞こえる。

 おいおい待て待て……マジか?

 内心で驚いていると、布団がまくられ、もぞもぞとベッドに上がってくる。それが誰かといえば、灯里しかない。


(えええええ!?)


 突然の緊急事態に二十六歳のおっさんが驚いていると、灯里はひしっと俺の背中に抱き付いてくる。柔らかい胸の感触が伝わってきて、下半身が急激に熱くなった。馬鹿やめろナニおっ立ててんだ!と自分を罵るが、落ち着くどころかますます大きくなってしまう。多分自己最高クラスの大きさだ。


 どこかで聞いたことがある。

 人間は死の恐怖を感じると、種の保存欲求が心にあらわれ性欲が高まると。

 今日死にかけた――いや死んだ今の俺は、まさにその現象になっているのかもしれない。だって今まで、こんなに興奮したことなど一度もない。

 有り体に言えば、めっちゃムラムラしている。


「起きてますか……」


「……うん、起きてるよ」


 小声で聞いてくる灯里に、小声で返す。


「今日は一緒に寝てもいいですか?」


「どうしたんだ?」


「明日起きたら、士郎さんがいなくなってしまいそうで、恐いんです」


「……」


「士郎さん、私を庇ってくれてありがとうございました。士郎さんが庇ってくれなかったら、死んでたのは私でした」


「子供を守るのが……大人の役目だろ」


「士郎さんの言う通り、私……焦りました。ここで行き止まりなんじゃないかって、こんなんじゃいつまで経ってもお父さんとお母さんを助けられないって」


「そっか」


「でも、そんな馬鹿な考えをした私のせいで士郎さんを死なせてしまったんです。本当に、ごめんなさい」


「謝らなくていいよ。可愛い女の子を助けて死ぬっていう最高のシチュエーションを体験できたと思えば、死ぬのも悪くないって思ってたからさ。でも、そうだな……焦る灯里の気持ちも分かるけど、出来る範囲のことをやろう。今回はたまたま俺が死んだけど、次は灯里が死ぬかもしれない。だけど俺は、絶対に灯里を死なせたくない。一度死んで、その気持ちが強くなったよ」


「士郎さん……」


「一歩ずつ行こう。ベイビーステップでも、立ち止まりさえしなきゃ必ず灯里の両親と、夕菜を助けられるさ」


 そう告げると、灯里は「はい」と言ってさらに強く抱きしめてくる。

 身体の温度と柔らかな感触に今日は寝れないな、と思っていたのだが、触れている安心感からかいつの間にか眠ってしまったのだった。

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