第22話

 燃え盛るアパートメントを、リザリーは必死に駆け抜けた。

 開け放たれたままになっている扉を潜り、腕にしっかりと少年を抱きながら外階段を落ちないように降りていく。


 リザリーが現れたことにより、野次馬たちから「わあ!」と歓声があがる。

 それに誘われるように階下に目をやると、既に消火隊は到着しており、ポンプによる消火作業は開始されていた。


 だが一向に火の勢いは弱まらないことが、感じる熱の熱さが教えてくる。

 肌が焼け付きそうな感覚を耐えながらようやく地面に足をつけると消火隊が二人、慌てて駆け寄ってきた。


「この子を、病院に!まだ息はあります!」

「わかった!」


 頷いた消火隊員はリザリーの腕から少年を抱き上げると、人込みの後ろにいた白衣の一団の元へ駆けていく。

 既に待機していた、近くの開業医と看護婦たちらしい。

 地面に敷いた布団の上に少年を寝かせ、数人で彼の状態を確認し始めた。


 ひとまず彼は安心だ……しかし、とリザリーは背後の業火を振り返る。


「エルンストは!?」


 憂いを込めて彼の名前を呼んだ時だった。

 ばちん!と大きく弾けるような音とともに、燃えていた外壁が崩れる。

 それはレンガが一つ落ちただけにとどまらず、次々に炎に包まれた破片がこちらに向けて降り注いできた。


「危ない!下がれ!」


 もう一人の消火隊の叫び声とともにリザリーは腕を引かれ立ち上がった───瞬間だった。

 背後で一際大きな音がする。隊員とともに逃げながら、ぞっと背後を振り返った。


 リザリーの目の前で、アパートメントは轟音を上げて今まさに崩れ落ちんとしている。

 まるで地獄をこの世に持ち込んだかのような光景に、「ひっ」と己の喉が鳴った。


「エルンスト!!」

「駄目だ!行くな!!」


 慌ててアパートメントに戻ろうとする己の体を、消火隊員が抑え込む。

 安全なところまで引きずられながら、友人の名を叫んで手を伸ばした。


 だがそれは結局無駄な抵抗であった。

 リザリーの目と鼻の先で、最後に地鳴りのような音を響かせ、炎の中に見えていた建物の影は崩れ見えなくなっていく。


「あ、ああ……」


 眼前にあるそれはもはや建築物ではない、巨大な真紅の塊であった。

 この中で人の営みが繰り返されていたなど誰も信じない……灼熱の煉獄と化してしまっている。


 火の粉がちりりと髪の毛を焼く。

 もはや届かぬ手のひらが、だらりと力なく落ちていった。

 ぺたりとその場で座り込む。ただぼんやりと煙が天に昇っていくのを見つめていた。


 どのくらいそのまま呆然と炎を見上げていたのか、ふと野次馬のざわめきが大きくなる。


「リザリー!」


 聞き覚えのある声にゆるゆると振り返る。

 人ごみをかき分けてこちらに向かってくる騎士団の制服……カトレア・モリスの姿が見えた。


 酷く焦った様子の彼女は地面に座り込む己を見つけると、はっとして駆け寄ってくる。


「リザリー!大丈夫?エルンストは?」

「か、とれあ……」

「ええ。どうしたの?リザリー?」


 憔悴しきったリザリーに、カトレアは目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。

 その表情と仕草に懐かしささえ感じてしまい、ぐっと顔を歪めて彼女の胸に飛び込む。


 友人は驚いた様子だったが、慌てて己の体を支えてくれた。

 彼女の腕が頭を覆い隠すように抱いたのを感じ、リザリーは炎の中に消えた友人の名を呟く。


 「え?」と首を傾げたカトレアは耳を澄ませ、そして目を見開いた。だがじきに何かを察したようでそっと己の頭を撫でる。

 ───炎の勢いはいまだ弱まることは無い。



 アパートメントの火事によって行方不明になった騎士団、エルンスト・ローゼンの噂はたちまちエンドル中を駆け巡った。

 市民は彼の生還を願い、騎士団たちは必死に捜索をしたが、その金色の髪の毛の一本すら見つけることが出来ない。


 あの炎の勢いでは仕方ないのかもしれない。

 しかしエルンストが再び元気な姿で現れることはないと、皆は認め切れずにいたのだ。


 バートン新聞社でもこの事件をセンセーショナルに書きたて、新聞は飛ぶように売れていた。

 記者全員が忙し気に仕事をこなす中、リザリー・クラントンは久しぶりに出社していた。


 とは言っても記事の作成に加わるつもりではない。慌ただしく駆け回る同僚たちを尻目に、資料室へと急ぐ。

 扉の前に立って一拍置くと、ゆっくりとノックをした。


「……入りたまえ。鍵は開いているよ」


 重々しく聞こえてきた声に、リザリーは「失礼します」と断りを入れてドアノブを回す。

 以前来た時と寸分変わらぬ埃っぽい資料室が、己を出迎えた。


 数多の本棚が並ぶ部屋の一番奥には、やはりデスクが置かれている。

 ライトに照らされ、そこに腰かけているのはロジャー・バートン編集長だった。


「編集長。リザリー・クラントンです。今日はお話を聞きに来ました」

「ああ、うん。来ると思っていたよ」


 ゆっくりと椅子から立ち上がり、バートンはこちらを振り返る。

 リザリーを見つめるその目には、いつもの穏やかさは一切なかった。


 機械的で冷徹で冷淡な印象がある、まるで別人のような男がそこにいる。

 その変わりように恐れをなすべきなのかもしれないが、リザリーは構うことなく一歩彼に近づいた。


「聞きたいのは先日貴方が言った『転生者』という言葉です。あれはいったいどういう意味だったんですか?」

「そんなことを聞いて、どうするつもりだい?」

「答えてください」


 問い返された、がリザリーはきっぱりと跳ねのけてバートンを睨みつける。

 真っ直ぐな己の視線を受けて男は一つため息をついたあと、ゆっくりと眼鏡のふちを持ち上げた。


「転生者……転生、と言うのはね、外国の宗教観だよ。死んだ人間は天国に行くんじゃなくて、別の生命に生まれ変わる。魂の巡りがあると信じられているんだ」

「魂の巡り……?」

「この国にはない考え方だよね。わかるかい?」


 小首を傾げるバートンに、リザリーは頷く。

 薄っすらとだが、話の輪郭は理解できている。


「それで死んで転生する前の記憶、前世というんだが……の記憶を持って生まれたものを『転生者』という」

「死ぬ前の記憶を持った……そんなことがあるんですか?」


 問いかけるとバートンは瞳を閉じて「さてね」と肩を竦める。


「僕のいた国ではよくそういう物語が書かれていたよ。現実では、まあオカルトの分野かな。好きな奴はそういう話をよく集めていたよ」

「……?編集長はこの国の生まれでしょう」


 不思議に思って首を傾げるリザリーに、編集長はシニカルに笑い「そうだったそうだった」と言った。

 その言葉の裏にまだ秘密の匂いを感じ取り、彼を睨みつける眼差しを強くする。


「先日どうしていきなり『転生者』の話をしたんですか?編集長は何を知っているんです?」

「……さてね。僕はたまたま何かの本で他国の宗教の話を読んだだけだよ」


 また表情を消したバートンは、抑揚のない声でそれだけ告げた。

 彼の言うことはとても信じられない。先日この資料室で告げられた言葉は、事件と関りの深い物だということは明白だった。


 リザリーは臆せずさらに一歩バートンに近づくと、その目を見据えて伝える。


「編集長。カトレアから私たちを誘拐した犯人たちの取り調べの様子を聞きました」

「ほう……」


 興味深げに、編集長の眉が動く。

 やはり彼もその動向に興味があるらしいことを察しながら、リザリーは続けた。


「誘拐犯たちも貴方と同じことを言っていたんです。彼らは『転生者』のことを知っていた。その人に支持を受けていたと」


 瞬間、バートンの顔色が変わった。

 冷徹な無表情から驚愕へ。目が見開かれ、薄い唇がぶるりと震える。


「彼らはまた『自分たちは物語の背景で役立たず』と、『物語を作り替える』のだと言われていたらしいです」

「……」

「これも先日、編集長は同じようなことをおっしゃいましたよね。もしかして貴方は彼らと何か関係があるんですか?」


 語り終え、リザリーはバートンの表情、動きを見逃さぬように凝視する。

 男はしばし虚ろな目でここではないどこかを見つめ……やがて観念したように深く息を吐いた。


 それから少しだけうつむくと、唇にかすかな笑みを浮かべる。


「クラントンくん。いや、リザリー・クラントン。私は君を侮っていたよ。もう少し活躍させてあげるんだったな」

「え?」


 どういう意味ですか?と問う前に彼は顔を上げ、奇妙に悲しそうな様子でリザリーに笑いかけた。


「私も転生者なんだ。それもこの世界の物語……『ローゼンナイト』を描いた作者さ」

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