第20話

 家に入ってきたのはリザリーの予想通り、エルンスト・ローゼンだった。

 彼は額に汗を浮かべ、こちらの姿を見て愕然と目を見開いている。


 友人は己の顔を見つめしばし何事か考えていた様子だったが、次第に顔が険しくなっていく。


「リザリー、退院をせがんだと聞いたぞ。電話が来てびっくりしたんだ」


 珍しく怒りをあらわに眉間にしわを寄せ、エルンストは己を見据えた。

 恐らく消えたリザリーを心配して、ここまで来てくれたのだろう。


 以前の己だったら彼の苛立ちに反応して、慌てて謝罪をしていたかもしれない。

 もちろん言い訳をするつもりもなかった。


 エルンストの視線を真っすぐに受け止めて、リザリーはその青い目を見つめ返す。


「ごめんなさい、居てもたってもいられなくて。ミモザさんのことを思うと落ち着かないの」

「リザリー……」


 ミモザ・マーティンの名前を出すとエルンストの表情が変わった。

 苦い物を噛み締めたようにぐっと唇を結んで、一歩こちらに近づくと彼は己の顔を覗きこむ。


「彼女のことは、君のせいじゃない。僕たちがもう少し早く到着していたら君たちは……」

「ううん、私のせいだよ。私がミモザさんを守れなかったんだ」


 慰めようと優しい声を出してくれたエルンストに、リザリーはゆっくりと首を横に振る。

 友人の顔に悲し気な色が混ざった。何事か言いかけて彼が唇を開く前に、リザリーは彼が近づいたぶん後ろへ距離を取る。


「エルンスト。私、調べたいの。この事件のこと、犯人のこと。それに何で私たちに『ファンレター』が送られて来たのか」

「駄目だ、リザリー。危険だと言ったろう。犯人はこれからどういう行動をとるかわからない。もしかしたら君の命すら奪うかもしれない」

「それでもいい」


 きっぱりと言い切ったリザリーに、エルンストは目を見開いて「なにを…っ」と叫んだ。

 彼が己の言葉を失言として叱ろうとする前に、睨みつけるように見据えてリザリーは叫び返した。


「それでもいいの、エルンスト!私はミモザさんが死ななければならなかった理由を知りたい!そのためなら私がどうなっても、どんな罰を受けても構わない!でも真実を知らなきゃ、死んでも死にきれないの!」


 普段穏やかなはずの己が声を荒げることで、エルンストは愕然とした表情を見せる。

 リザリー自身気づいていないことだが、いつの間にか心が決壊せんばかりに追い詰められてしまっていたのだ。


 目をつむれば血にまみれたドレスが浮かぶ。血液の臭いも、離れていく手のぬくもりはいまだ覚えている。

 彼女の背中を押さえ、止めようとした鮮血の生々しさ。それでも消えていく体温。


 やがてミモザの心臓が脈打たなくなったときの絶望感を、リザリーは永遠に忘れることは出来ないだろう。

 ぐっと拳を強く握り、うつむく。

 そして消え入りそうなほど静かな声で、エルンストに懇願した。


「エルンスト、お願い……二人の指示通りに行動するから、私に事件のことを教えて」

「だが、しかし……」

「私ももう当事者だよ!少しは知る権利があるでしょう!」


 再び叫ぶと、友人は口ごもった。

 心優しく責任感の強い彼のこと、騎士団としても一般人の己をこれ以上危険な目に合わせるべきではないと思っているに違いない。


 しばらく二人の間で、緊張感のある無言の時間が流れた。

 エルンストは身動き一つせずこちらを見つめ、リザリーはうつむいたまま。

 やがて意を決したように先に口を開いたのは、騎士団の友人だった。


「それは許可できないよ、リザリー。僕は君に深く事件に関わらせるつもりはない」


 静かな部屋の中、ぽつりと彼の言葉が響く。


 ショックは受けていない。断られることは予感していた。

 だがそれならリザリーは……一人でも犯人に近づくべく行動することを誓っていた。


 そしてそのことをエルンストも気づいていただろう。

 何より己を事件から遠ざけても、いつか『ファンレター』差出人の魔の手は伸びてくるだろうと予想していたかもしれない。


「だが確かに……今は僕たちと一緒に寝食をともにした方が一番安全かもしれない。保護という名目なら、行動を共にできるだろう」

「じゃあ……」

「ああ。……、……っ!」


 顔を上げたリザリーの前で、ふいにエルンストの表情が凍った。

 違和感に己が首を傾げる前に、彼はばっと背後を振り返り、身をかがめて窓際へと移動する。


 唐突な行動にぎくりと肩が跳ねた。

 硬直する己の前でエルンストは手鏡を取り出して、窓の外を映すように角度を変えて様子をうかがいはじめる。


「エルンスト?」

「リザリー、身を低くしろ。窓から姿を見せるな」


 低く静かで、だがぴりりとした彼の口調に、嫌な感覚が背筋を撫でる。

 彼の言葉で何者かがこちらをうかがっているのだと言うことを理解し、彼に続いてさっと身を低くした。


 外の景色が映る鏡を睨み舌打ちしながら、エルンストは唸るように呟く。


「リザリー、じっとしていろ。どうやら君に客人らしい」

「誰?誰がいるの?」

「……『ファンレター』の送り主だ」


 その言葉の意味を、一瞬理解出来なかった。

 はっと呼吸を止めて目を見開く。ばくばくと心臓の音が速く大きくなっていく。


 身を起こして窓の外をうかがいたい衝動と戦いながら、リザリーは胸を押さえてエルンストに問う。


「犯人、もうわかっていたの……?いったい、誰が……」

「君たちが誘拐された工場で気になるものを見つけてね。それを証拠に誘拐犯たちを問い詰めたんだ」


 証拠。一体それは何だろう?

 疑問を口にする前にしかし、エルンストは「しっ」と人差し指を唇に当ててリザリーを制す。


「近づいてくる。声を低くしろ」

「……電気を消したほうがいいかな?」

「いや、気付いたことに気付かれるのはまずい。玄関の他に移動できそうな場所はあるか?」

「寝室に大きな窓が……」


 リザリーが答えると彼は「案内してくれ」と頼み込む。

 承諾し、二人は外から見えないように這いながら、だがなるべく素早く床を移動した。


 やがて寝室へ続く扉にリザリーが手を伸ばした時である。


 ぱりん!とガラスが割れる音が聞こえる。何か固く重いものが投げ込まれたのだ。

 ───まずい。反射的にそう思って振り返るが時すでに遅し。


 ごう!と目の前に真紅が広がる。じりりと肌が熱に晒され、油臭さと焦げた嫌な臭いが鼻孔に入った。

 投げ込まれた何かを中心に、見慣れた部屋を炎が舐めるように燃え盛っていく。


「うっ!」

「火炎瓶か!?」


 熱さと勢いに思わず右腕で顔を覆ったリザリーの耳に、エルンストの声が届く。


「立って歩くしかない。だが身を低くして煙を吸うな!」

「わか、った……!」


 頷いた瞬間、今一度窓が割れる音。同時に炎の勢いはさらに増していく。

 もはやリビングは全て炎に包まれており、玄関から外に逃げ出すことは不可能だった。


 袖口で鼻と口を塞ぎながら、リザリーは中腰でドアを開けてまだ炎の気配がない部屋へと入る。


 急いで窓へと駆け寄ると鍵を開け、まずはエルンストが様子を確かめながら降りていく。

 危険がないことを確認し、続いて彼はリザリーの手を取って地面へと降りる補助をしてくれた。


 己の部屋は一階である。飛び降りて足の骨を折る心配がないのは助かった。

 二人は無事に外へ出たが、もはや人力で消火できぬほど炎の勢いは強くなっている。


 燃えていくリザリーの家の壁を見つめながら、エルンストは眉間にしわを寄せた。


「僕はほかの住民に避難を誘導する。リザリーは消火隊を呼んでくれ」

「でも!大丈夫なの!?」


 火炎瓶を投げ込んだ犯人はいまだ近くにいるのだ。

 迂闊に姿を見せるのは危ないのではないかと問う己に、エルンストは真剣な眼差しで首を横に振る。


「炎の勢いが強い。このままでは無関係の人たちも火災に巻き込んでしまう。それにあいつをここに連れてきたのは僕の責任だ」

「……!」

「大丈夫だ。後は頼んだぞ」


 引き留めたい衝動がリザリーの胸中に渦巻く。

 しかし己が手を伸ばす前に、エルンストは民家の方へ向かって走り出してしまう。


 こうなってはもう迷っている暇は無かった。

 不安を振り切って、リザリーは前を向く。


「行かないと……!まずは電話があるところに……!」


 先日電話を借りたパブに今一度お世話になることにしよう。

 この時間はまだ営業時間外かもしれないが、店は住居も兼ねていたはずだ。

 店主が中にいてくれることを祈りながら、リザリーはパブへと向けて走り始めた。

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