第16話
ミモザ・マーティンは死んだ。
背中を貫いた弾丸が大きな血管を傷つけていたための、失血死だった。
そして彼女を撃った男も病院にて死亡が確認された。自ら頭を撃ちぬいて、即死だったらしい。
エルンストとカトレアは、彼女が捕らえられていた廃工場の捜査中に、両者の訃報を聞いた。
報告を持ってきてくれた新人団員の顔も曇っており、エルンストは「ありがとう」と言って彼のことを労う。
新人は無理矢理気味に微笑んで取り繕い、報告を続けた。
「リザリー・クラントンさんはまだ寝ているらしいです。目立った外傷は無いようですが……精神面が危ういと」
「そうか……」
ミモザとともに犯人グループに捕らえられていた友人の様子を思い出し、エルンストは顔を伏せた。
巻き込まれ、知人の死を間近で見てしまったリザリーも、病院で処置を受けている。
運ばれたときは取り乱した様子だったが、今は鎮静剤を打たれて大人しくなっているようだ。
新人に再度礼を言い捜査に戻らせると、隣でずっと話を聞いていたカトレアが頭を抱えて首を振った。
「結局守れなかったわ。マーティン女史も、リザリーも……」
「落ち込んでいる暇はない。捜査を続けよう」
冷徹と思えるほど淡々と告げたエルンストも、不甲斐なさに自分で自分を殴ってやりたい気分だった。
───倒れるミモザ、泣き叫ぶリザリー、頭を撃ちぬいた犯人。
目に焼き付いた光景が心を蝕む。
しかしいくら過去を悔やんでも取りこぼしたものは戻ってこない。
ならばせめて、自分たちに出来ることは真相を解明すること。
カトレアもそれがわかっているのか表情を切り替え、廃工場を見回している。
すでに騎士団や鑑識官たちが数名派遣され工場内は調査されているが、事件続きで人手が足りている様子は無い。
「もうずいぶん前に使われなくなった工場で、持ち主も管理はしていないみたいね」
「誘拐犯の隠れ家にはちょうど良かったと言うわけだ」
広くかび臭い工場内をエルンストは目を光らせながら歩く。
少し行ったところには犯人たちが根城にしていた部屋と、リザリーたちが捕まっていた倉庫がある。
使われなくなった機械類が置いてある工場内に目ぼしいものは無いので、次はそちらを調べてみることにした。
「こっちはまだ人が生活していたような気配があるな……」
もとは勤務者たちの休憩室として使われていたらしいその部屋の扉を開け、エルンストはぽつりと呟く。
古びた椅子が数個と大きなテーブルが一つ設置してある。
皆年期が入ってそうな傷み具合だが埃は払われており、床にも真新しい足跡がついていた。
屑籠にも入れられてまだ時間の経っていなさそうな紙類が詰まっている。
ぐしゃぐしゃに丸められたそれらには、乾きかけたソースが染みついており特徴的な匂いが漂っていた。
恐らくデリバリーされた食料が入っていた包みだが、ふと気になってエルンストは屑籠を覗き込んだ。
何の特徴も無い、恐らくここにずっと放置されていた屑籠である。その中にぎっしりと包み紙が押し込まれている。
「……鑑識官に調べてもらったほうがいいな」
「どうかしたの?」
「いや、気のせいかもしれないが。一応ね」
カトレアが不思議そうに首を傾げながら、工場を調査していた鑑識官を呼んだ。
彼とともに部屋の中をくまなく調べながら、エルンストはカトレアに話しかける。
「指の欠けた男……アルヴィン・ダンと今回の誘拐の犯人たちは仲間なんだろうか?」
「……?そうでしょう。全員マーティン女史を狙っていたのだから」
壊れかけた棚の扉を開けたカトレアが、振り返りながら肩を竦めた。
確かに彼女の言う通り、一連の事件は同一グループの犯行にも見える。
しかしエルンストの頭の中には、先日から微かな違和感が顔を出しているのだ。
机の中を調べながら、その違和感を解明するように続ける。
「だがおかしいと思わないか?以前も言ったが、彼はマーティン女史の居場所を完全に把握していたわけではないだろう」
「まあ、……確かにそうね、あいつは直接マーティン女史に接触していないんだわ」
自分の指を送ったのは新聞社に、そしてリザリーに発見される前も新聞社のあるオフィス街をうろついていたのだ。
彼がファンである新進気鋭作家の住所を知っていたなら直接会いに行きそうなものだが、そうしなかったのはやはり住所を知らなかったから。
しかし誘拐を企てた犯人一味はミモザ・マーティンの家を突き止めている。
加えて今回彼女がいたのは新聞社が用意した仮の住まい。新聞社の人間以外、知りようがないはずだ。
「僕は両者に何か繋がりがあると思っている。しかし共謀して動いていたか?と問われると首を傾げざるを得ないんだ」
「確かに奇妙なことがあるけど……」
そこまで言ったカトレアが、ふと動きを止めてエルンストを見た。
美しい相貌が若干歪んでおり、彼女もまた嫌な予感を抱えたのだと察する。
「ねえ、エルンスト。まさか誘拐の犯人たちはあの『ファンレター』を送ってきた奴なのかしら?」
ぽつりと聞こえたその呟きに、エルンストは「ああ」と頷いた。
「まだ確証はないが、僕はそう思っている。差出人もまたマーティン女史の住まいを知っていたんだ」
「でもどうやって調べたのかしら?差出人は私たちの住所も知っていたのよ」
慎重で静かなカトレアの問いに、エルンストはデスクを探す手を止めて眼前を睨みつける。
デスクの前には汚れ曇った窓があり、薄っすらとクルツの街並みが浮き上がっていた。
「恐らく犯人はこのあたりの……いや、首都内の地理に詳しい。あっさりとマーティン女史を誘拐して逃げられたんだからね」
「郵便配達とかかしら……?」
「可能性はあるがね」
エルンストが肩を竦めた瞬間、部屋の外からばたばたと足音が聞こえた。
一種の予感を得て二人が振り返ると同時に、大きな音をたてて部屋の扉が開く。
「エルンストさん、カトレアさん、逃走していた犯人たちが捕まりました」
開口一番そう言ったのは、犯人たちを追っていた騎士の一人である。
急いでいたのか額に汗を浮かべ、肩で息をしている。
予想していたその言葉に「そうか」と頷いたのはエルンスト。カトレアはきゅっと顔を引き締める。
自分たちが廃工場に突入したときには誘拐犯たちは姿を消しており、急遽ほかの廃工場を調べていた騎士団たちに追跡させたのだ。
外で響いた銃声が聞こえたのか、騒ぎに感づいたのか……。
しかし車を出した様子もなく、北区を抜ける道も限られている。
早急に追えば捕らえられることが出来ると踏んでいたが、予想は外れなかったらしい。
安心したように息を吐きつつも険しい顔でカトレアが、顔を上気させている騎士へと訊ねた。
「よくやったわね。それで、犯人たちは?」
「ただいま本部に連行中です。しかし皆一様に憔悴しきっているというか……」
「そうだろうな。誘拐に失敗したうえ、逃走することになったのだから」
リザリーたちが逃げ出したことも、エルンストたちが廃工場を調べていたことも彼らにとっては予定外のことだっただろう。
その意味を込めた台詞だったがしかし、団員は僅かばかり首を傾け難しい顔を見せる。
「何か引っかかることがあるのか?」
問うと、はっとした様子で顔を引き締めた彼は、逡巡しながら口を開く。
「いえ、あいつら……何というか、怯えて奇妙なことを口走っているんです。背景とか、物語とか……」
「……」
「物語、か……」
否が応でもあの『ファンレター』を思い起こさせる単語に、エルンストもカトレアも顔をしかめた。
やはりこの事件とあの手紙の送り主は関りがある。そう確信せざるを得ない言葉だ。
ぐっと拳を握ったカトレアが、非常に鋭い眼差しでエルンストを振り返る。
「ここを調べ終えたら彼らから話を聞きましょう。今回の事件についても『ファンレター』についても」
「ああ、そうだな。それと……アルヴィン・ダンからも詳しく聴取したい。彼の部屋にあった便せんを覚えているだろう」
エルンストの頭の中にあるのは、アルヴィン・ダンの部屋で見つけた奇妙な手紙である。
鑑識の結果が出なければ断言出来ないが、あれは自分たちに送られてきた『ファンレター』に近いものがあった。
自分が誘拐事件とアルヴィン・ダンが結ばれていると推理した、一つのポイントだった。
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