第14話

 クルツ中央区で薬指の欠けた男が保護されたとして、エルンストとカトレアは急ぎ中央病院へと向かった。

 しかし件の男は腕に深い傷を負っており、しばらくは面談も出来ない様子。


 ならば第一発見者であるリザリー・クラントンに話を聞こうとした二人だが……すでに彼女の姿は病院から消え去っていた。


「それじゃあリザリーは取り調べをする前にいなくなったのね」

「はい、いつの間にか姿が見えなくなっていまして……」


 今年配属されたばかりの新人は、申し訳なさそうに眉をたれ下げた。

 事件が立て込んでいた騎士団は人手不足で、彼女の動向に目を向ける暇がなかったのが原因だった。


 倒れていた現場を調べ、男の持ち物から身元を調べて本部に入電したあとには、リザリー・クラントンは既にいなかったらしい。


 また危ないことに首を突っ込んで。と軽く叱ってやるべきかと悩んでいたエルンストは、肩透かしをくらって頭をかいた。


「もう新聞社に帰ったのかな?」

「勝手に帰るような子じゃないわよ。何かあったんじゃ……?」


 リザリーのこととなると途端に甘くなるカトレアが、物憂げに窓の外を見ながら言う。

 エルンストもそれには同意だが、まずは新聞社に連絡しほうがいいだろう。

 新人に捜査に戻るよう指示を出し、病院に電話を借りるべく廊下を歩き出した。


 ふとその視界にこちらに向けて小走りで走ってくる男の姿が入り、二人は首を傾げる。


「はあ、エルンストくん、カトレアくん、ちょっといいかな?」

「……貴方は、バートン編集長」


 丸ぶち眼鏡に口ひげが特徴的な、いかにも人の良さそうな男が二人の前で止まった。


 ロジャー・バートン。バートン新聞社の編集長であり、リザリーの上司だ。

 普段は穏やかな表情の彼が、今日はやけに緊張しているように見える。

 ついこの前まで右頬に貼られていた絆創膏はすでになく、唇に小さな傷跡が残るのみだった。


 エルンストは先日リザリーと交わした会話を思い出しつつも、唇には笑みを浮かべて柔和に礼をした。


「お疲れ様です。リザリーの姿が見当たらないのですが、新聞社に戻っていますか?」

「え……?そうか、やっぱりここにもリザリーはいないのか……」

「どういうことです?」

「二人とも、ちょっとこれを見てくれないだろうか?」


 どうやら相手は挨拶を交わしている余裕は無いらしい。

 狼狽した様子で差し出されたバートンの手には、何の変哲もない茶封筒が握られている。


「新聞社に直接届けられたんだ」

「はあ……」


 訝し気に受け取ってみるが、すでに封は開けられていた。どこにも宛名も差出人も書かれていない。

 中身を確認してみれば小さな紙切れが入っていたので、取り出して記されていた文字に目を通した。


『ミモザ・マーティンの身柄は預かった。返してほしければ彼女の原稿と身代金2000万オルを用意して、午後5時に北区の工場地区まで来い』


 丁寧で繊細な文字で綴られているのは、それに似合わない剣呑な言葉たちだった。

 見覚えのある名前に二人はぎょっと体を強張らせ、視線をバートンへと転じる。


 彼の顔色は青を通り越して土気色で、おどおどとこちらを見つめていた。


「間違いなくミモザ・マーティンの筆跡だ。彼女が誘拐されたのは間違いないと思う」

「マーティン女史に書かせたのか……。犯人にお心当たりは?」


 当たり前だがバートンは首を横に振った。

 エルンストは小さく唸りながら、封筒や文字が書かれている紙を調べ始める。

 顔を引き締めたカトレアは、「本部に知らせてくるわ」と素早く走り去っていった。


 紙は便せんではなく、手帳の一ページを丁寧に切り取ったもののようだった。

 何の変哲もない一ページだが他に何か手掛かりが……とさらに観察していると、目の前でぼんやりとしていたバートンがぽつりと呟く。


「これ、リザリーが持っていたメモ帳の切れ端だと思うんだ。このインクも、リザリーの万年筆のもののような……。彼女、新聞社にも帰ってきていないし」

「リザリーがこの件に関わっていると?」


 やや棘のある口調でエルンストが尋ねると、編集長は頷きかけて、しかし「いや」と首を横に振った。


「リザリーはこんな恐ろしいことに関われるような子ではないよね。すまない、忘れてくれ」

「……ええ」

「僕は編集部でどう対応すべきか会議をしてくるよ。エルンスト君、どうかミモザさんを助けてくれ」


 編集長は踵を返して去っていく。

 エルンストは鋭いまなざしのまま彼の背中を見送り、そして再び封筒と紙きれを見つめた。


(もしこれが本当にリザリーの私物なら……彼女も誘拐犯たちの手に落ちた可能性が高い。しかし、何故?)


 身代金を要求するなら、ミモザ・マーティン一人で事足りる。

 まさか編集長のように疑う気持ちを利用して、犯人たちは彼女に全ての罪を着せるつもりなのだろうか?


 あまりにも稚拙すぎるシナリオだが、可能性は無くはない。


(だとするならマーティン女史だけでなく、リザリーの身も危ない。口を封じられてしまうかもしれない……)


 ───もしかしたら、もう既に彼女は。


 嫌な予感を振り払うようにエルンストは深く呼吸をして、改めて手紙を見つめる。

 丁寧に破かれたそのメモ帳の一ページはやや埃っぽく、端が汚れていた。その汚れは今しがたついたように真新しい。


(埃のつもった場所で書かせたのか?と、なると人の出入りのない場所に犯人はいる……?)


 北区は町の工業地帯で多くの工場が居間も稼働している。が、中には前世紀から放置されている廃工場も多い。

 誘拐犯が根城にするのなら恰好のポイントだろう。


 少し考えてエルンストは、近くを通りかかった騎士団を呼び止める。


「北区の工場を用意してくれ。今はもう使われていない工場のリストも頼む」


 「了解」と頷いて足早に去っていく彼を見送り、エルンストは再び唸って思考を巡らす。



 仲間の一人が「あ!」と小さく声を上げたのを聞いて、立ち止まって振り返る。

 ともに行動していた小柄な男は、機械が詰め込まれている部屋の扉の前で口をぽかんと開けて立っている。


「どうした?」

「……リザリー・クラントンがいない」

「なに?」


 聞き捨てならない台詞を聞いて、慌てて扉窓から部屋を確認する。

 この部屋の空いたスペースに、新聞記者を押し込めていたはずだったが、人間らしき影はどこにもなかった。


「暗くてわからないのか?」

「いや、ここから見える場所に寝ていたはずだ」


 不安に思って鍵を開けて、二人は部屋の中に入る。

 改めて見回してみても、リザリー・クラントンの姿はない。


 機械の影に隠れているのかと探そうとした瞬間、また「あ!」と言う声を相棒が上げた。


「天井に穴が開いている。あそこから逃げたんだ!」

「まずい。お前はリザリー・クラントンを追え。俺はほかの奴らに報告してくる」


 頷いた相棒が機械をよじ登り天井に潜り込んだのを見届けたあと、部屋をあとにする。

 妙に湿っぽさのある廊下を走り抜けていると、暗澹とした真っ暗な気持ちが心の中を支配してきた。


(やはり、俺たちは背景だから……、俺たちは役立たず……、また俺たちは殴られる……)


 それはずっと自分を、否、自分たちを支配している感情だった。

 恐怖と怯えと罪悪感、それに連帯感。それによって精神を壊しかけた者もいるし、体の方を壊した者もいる。


 他の仲間たちが計画の準備を進めている工場の休憩室にたどり着いたとき、己の心は真っ黒に染まっていた。

 そしてリザリー・クラントンが消えたことを一同に告げると、皆にその気持ちが伝染していく。


「物語を完成させなきゃ……」

「私たちにはそれしかないのに……背景なのに……」

「物語を、物語が……」


 その言葉が誰から呟かれたのかはわからない。

 しかしリザリー・クラントンを探しながら呟かれるその台詞は、恐らく皆の気持ちそのものだったはずだ。


 一方、男が走り去ったのを見たリザリーは、大型の機械の影から姿を現した。

 彼が機械を調べようとしたときにはヒヤリとしたものだが、先に天井の穴を発見してくれて良かった。


 屋根裏を調べに行った男もしばらくは戻ってこないだろうし、この隙にミモザを救出しなくてはならない。

 仲間を呼びに行った彼が戻るのはすぐだろうから、ここからは時間との勝負だった。

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