水 六
わたくしはずっと、自分の生まれを憎んでおりました。
わたくしは、一般に知られてはおらぬもののかなり歴史ある名家の分家の娘として生まれました。本家である司水家を守り、その歴史を書記として記し後世にまで伝える、それが森沢家の役割でした。
なぜなら、当の本家が心許ないほどに控えめであったからです。彼らにすべて任せきりにしていたなら、司水家の歴史や家系、逸話などは
わたくしに、娘らしい娘時代などありはしませんでした。
司水家の分家は
わたくしはのちに民俗学者として知られるようになりましたが、民俗学者に
実のところ司水の役割もその儀式も何百年も昔に途絶え、司水らしい血を受け継ぐ娘もほとんどおりませんでした。残ったのは名ばかりの残骸で、その血はもうほとんど絶えていたのです。そんな残骸でも森沢家は尊びました。これはもはや司水家のためというより、この家の
気がつけばわたくしの肉体は年老いておりました。
それにはたと気がついたとき、えも言われぬ空白間に襲われました。失った。わたくしはわたくしの娘時代を、自分の人生を棒に振ってしまったのではないかと。
嘆き悲しむには時間が経ちすぎておりました。
わたくしはもう、傷つきやすい柔らかな心を抱えて素直に泣けるような、無垢な女の子ではなくなっていました。悲しいなら悲しいと、淋しいなら淋しいと真っ直ぐ表現することに躊躇いを感じ、その躊躇いが元々あった悲しさ淋しさを覆い隠したので、自分が今感じているのは本当はどんな感情なのかさえも自覚できないような鈍感な女になっていたのです。
わたくしの、少女期を思うように謳歌できなかったのだという想いがねじれ膨らみ卑屈さとなり、余計に少女性に執着させたのです。歳は取りましたが、成熟した女性というより、言うなればわたくしは古びた少女でした。
自分の生まれを憎んでおりました。それだけであればまだ増しであったのかも知れません。
司水の家に、娘が生まれました。立て続けに三人、年子の三姉妹でした。父親が司水系、母親が一般の血でしたので二人に特殊性は見受けられません。しかし娘たちは成長するにつれ様子が異なることに気がつきました。分かるのです。わたくしとて、司水の血縁なのですから。
これが平安の時代より尊ばれた本来の司水の血。彼女たちはあまりにも清浄で澄むように美しい。特に次女の椿の受け継いだ水への親和性は驚くべきものでした。彼女は使役であると、直感的に確信しました。
幼少の頃より司水家を守り敬うように教えられてきたわたくしは、当然のように司水家を敬っておりました。まったくそのつもりでおりました。しかし、実際に特殊性を持つその三姉妹を目の当たりにして自分の中に湧き出てきた感情は不穏なものでした。
──あの子たちが不幸になればいいのに。
あの司水の血のせいで、わたくしの人生は踏みつけにされた。司水が存在しなければ、わたくしは自由に生きられるはずだった。その憎しみを抑えることができませんでした。
けれど裏腹に彼女たちはわたくしのどろどろとした感情さえも吸いとってくれました。わたくしは驚きました。太古の昔から、このようにして司水の娘は神聖視されるに至ったのかと。愛憎半ば、というのはこういったことを言うのでしょう。
椿がひときわ繊細な娘だと、わたくしは十分に承知しておりました。その上でわたくしは彼女に不安の種を植え付けて育てました。椿とその姉妹たちは半ば導かれるように水呼びに
わたくしのしたことは、決して褒められたことではないのかも知れません。けれど、そうせずにはいられなかったのです。せめてもの罪滅ぼしに、わたくしは自分の手で後始末を──そう思い、こちらに参って
*
世界がうねり出していた。
どうして世界がこういう形態になっているのか、私は知らない。ロゼット型に円く重なりあい拡がり続けるこの世界すべては、同じ月と水を共有している。世界すべてにその水が巡って浄化され、仲介者は唯一各世界を渡り歩くことができる司水の娘である。こうして世界は調和を保っている。
水というのは恐ろしいものだ。さきほど告白してきた娘のように、人の心の内情を洗い出して、まるはだかにしてしまう。
水は流れる状態が正常である。停滞すると澱んだり腐ったり、
今回の水呼びは、四人もの司水の娘たちが一度に入ってきた。此処に生じた淵の、わずかな澱みに囚われてしまった娘を救うためなのらしい。澱みにいる者を含め、すべて数えると六人である。長きにわたり水呼びが機能していなかったためか、どの娘にも毒素が停滞している。
水を正しく機能させるためには、各々の娘の浄化から始めねばなるまい。
各世界の清い循環はそれからである。
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