結び目アソート

司田由楽

細い糸の上で

ころすものよりこわいもの

 この頃最近悩んでいる。己のうっかりで縁ができてしまった、かわいくかよわい人間の「おともだち」について。仮に鈴木某としよう。齢二十の、それにしてはいささか幼く見える顔立ちの若人だ。性格? 能天気。そう切って捨ててしまうにはだいぶ思慮深いところもあるような気もするが、その思慮深いところを気取らせなさすぎて誰も彼もが判で押したような評価をする。まあ、なんも考えてない時もあるんだろうが。

 いやはや全く近頃珍しいくらいの、真っ当で、擦れたところのない(あるいは見せない)人間で、実に素直に感情を露にする。感謝とか好意とか、恥ずかしがることもないと言わんばかりに。

 で、その素直な好意を受けとる側の私は、何を隠そう化道蜘蛛である。普段は人間に化けて暮らしているがその正体は……というやつだ。本性は絵巻にあるような哺乳類らしい顔つきの大蜘蛛ではなく、普通の蜘蛛を大きくして毛をたくさん生やしたようなやつを想像していただきたい。苦手な人はしなくてよろしい。人を食うかと聞かれれば、食いはすれどもそればかり食うのではないと答えよう。サメのようなものである(これは鈴木某の受け売り)。あれだって人を選んで食ってるわけではないというので、まあ私もそういうことだ。おともだちの手前食べにくいというのもなくはないが、そもそも人を好んで食うようなやつは江戸の終わりにはあらかた滅ぼされている。私はどっちかというと羽のある虫が好みだ。蜂とか。私のことばかり話しててもしょうがない。閑話休題。

 知り合った経緯については、簡単に言うと落とし物を拾ってもらったのだ。簡単にしたいので詳細は省くが、私の将来を左右するようなもので、そんなものを落とす私が全くの大間抜けであることを置いても鈴木某の助けはまさしく天上から垂らされた蜘蛛の糸のごとく奇跡のような出来事であった。……冗談である。

 その恩を返したら縁もそこまでと私は思っていたのだが、その恩返しの最中、さる厄介事に巻き込まれた鈴木某は、恒久的に類似の事件に巻き込まれる運命を押しつけられることになってしまった。それがまた人の身で到底乗り越えられないような、理不尽で暴力的なものだったので、見かねて手を貸す約束をした。そうしたらえらく感謝されて、会えば挨拶、座れば相席、歩く姿はカルガモの子のごとし。ここ最近は私も慣れてしまって、連れ歩くのも疑問に思わなくなってしまった。

 で、ようやく本題。このおともだちの何が私を悩ませるのかというと、その態度だ。つい先日、ほぼ事故のような形で私の本性を見られてしまった。車ほどの大きさの蜘蛛である。大の大人でも目をそらしたくなるような私の本性を見たにも関わらず、この人間のおともだちは普通に挨拶し、屈託のない笑顔を向け、休みの日には遊びに誘うような、そんな人間の友達みたいな態度を、延々続けている。仮にも妖怪、人間を恐れさせるのが本分の我が身、恩人には手荒なことはしたくないのでこの見た目で怖がってくれればよいものを、車ほどの大きさの大蜘蛛に向かって人好きのする笑顔を向けてくる。家に大きい蛾が出た話とかしなくていいから。今度捕まえてきますねとかいうので慌てて止めた。ちょっとした手土産感覚で虫取りしようとするのである。大いに、困る。

 なんせ小さくとも嫌われ者の蜘蛛の、大きく、そのうえ人食いの習性まで持つ化け物である。人から笑いかけられる経験などあるわけもない。これは資質の問題なのか、本性が透けるのか、人に化けてても好意的な目を向けられることは少ない。それなりに見れる容姿を作っているはずなのだが。そんな私を、まるで、友達のように! これがどれほど私を困惑させるか、勘違いさせるか、分かってやっているなら妖怪相手の詐欺師で食っていけそうだ。いやそんな危ないことはさせないが。そもそもできるとしてもやらないだろう。

 手桶を酒で満たさないように、盃に液肥を注がないように、人は化物には親愛を向けないものと、そう思って長いこと生きていたために、無邪気な気持ちの矢印がこちらを向くことにいつまでも慣れないでいる。非常に困る。

 そこから更に困るのが、鈴木某、元々人として生きるうえで全くいらんもんに好かれやすいのである。そのいらんもんの筆頭が私なのだが。先述の唾棄すべき運命がなくとも、大いなる迷惑の鳴動、その奔流の端に裾を引っかけて撥ね飛ばされて死にそうな程度にはいらんもんに好かれている。それを恐れるでもなく、起こったことは起こったことと、うつむいた顔をあげてにこにこ笑っているのがまた見てるこちらの心臓に悪い。いつその顔が怒りを漲らせるか、悲嘆に沈むか、絶望に狂うか気が気じゃない。その矛先が私に向かわないと思えるほど、楽観的な生き方はしていない。

 私がそれなりに力のある化物であるために、今のところ某に降りかかる火の粉は簡単に払うことはできている。が、煩わしいものは煩わしいし、当人に少し、いや結構危機感が足りないものだから、内外に頭痛の種があるわけだ。だからあんまり疲れたときには、不埒な考えが頭をよぎる。

 もういっそ、隠してしまおうか。だって無邪気に側にいるのだ。短い、化けた人の手足でさえ捕らえられるくらい近くに。夜闇に沈む誰も知らない私の巣、人形のように力をなくした手足、捕らえて、乾かし、とびきり空かせた腹の底へ仕舞ってしまおうか。人の味は好かないが、仕舞うことが目的だから文句なんか言いやしない。

「あのう」

 でも、動かなくなるのは惜しい。はらはらさせられることの方が多いが、そうでない時は見ていて快い、好ましい生き物なのだ。

「えっと」

 舌先三寸、ちょっと騙して、世話を焼いてもらうのが一番いいのかもしれない。身から離さず側に置いて、危険な目に遭わないように。もしかしていい考えなんじゃないだろうか。この案は両方に得がある。

「もしもーし」

 いつも近くにいてくれればいいなと、前々から思っていたのだ。そう、一日の始まりに目を覚ましたとき、こんな風にちょっとはにかんで手を小さく振ったりして……ん?

「は?」

「あ、やっと気づいた。何か考え事ですか?」

 頭を悩ませているうちに、いつの間にかいたかわいいかわいい頭痛の種。何故かいつもより高いところにおでこがあるなと思ったら、足が地面についていない。どうしてそんなことにと切り替えの遅い頭が事実をようやく認識して。

 天地がひっくり返ったような声が出た。

「下ろしてもらってもいいですか?」

 人に化けていた私の、腰から飛び出した蜘蛛の脚が、鈴木某を糸で捕らえて吊り下げていたのである。……この状況でさえ普段とほとんど変わらない表情でいることから、このおともだちの突き抜けた能天気を、少しでもご理解いただければと思う。


 大慌てで糸をほどき、謝罪をしてどうしてこんなことになっているのか問えば、私が不穏な考えに沈んでいる間に訪ねてきていたらしく、声をかけても気づかない様子でいるので近づいたところを捕まったのだと言われた。無意識! 無意識でこんな器用ながんじがらめができてたまるかと糸を切りながら思ったが、実際何も気づいてなかった。というか考えに集中しすぎて蜘蛛とも人ともつかない姿になっていたのも言われてから気づいた。鈴木某、八つ眼のどれなら気づくかと一つ一つに向かって手を振っていたらしい。呑気か。いや近づいてきた獲物を捕らえるという意味では蜘蛛として正しい生き方ではあるし、捕まえて近くに置いとこうと考えていたが、それはただの空想で、実際にするつもりはなかったのだ。

「全面的に私が悪いが、君、もうちょっと大声とか出してくれないか。怖かっただろ」

 気づかなくてごめんと言えば、きょとんと不思議そうな顔をして首を横に振ったあと、答えになってない答えを言った。

「別に痛くなかったですよ?」

 それはそうだろうさ。君の肌には傷どころか、糸の痕だってついていなかった。普段から気をつけている成果が出たね。よかったよかった。いいわけあるか。

 この頃ひしひしと感じるのは、私の鈴木某への、名付けがたい衝動、強いて言うなら情念と呼ぶべきものが、ひどく流動的で、極端なものになりつつあるということ、そしてそれが私の平静を著しく乱すものであるということだ。妖怪の、人を害する化道蜘蛛である自分が、この柔らかな人間の肌に傷一つつけられない己を嘆き。この子のおともだちである自分が、どうして自分を遠ざけてくれないのかと惑う。なあ君、痛くなかったならこんなことされてもいいのか。そんなはずない……そんなはずは、ないだろう。

「……どうしたんです、そんな顔して」

 どうしたもこうしたも、悩んでいるのだ。他ならぬ君について悩んでいる。やめろ、撫でるな、不用意に触るな! ぐしゃぐしゃにされた髪をかきあげ、人の顔に八つの眼を浮かび上がらせて睨むと、弾ける笑顔で返り討ちにあった。何一つ言葉が出なくなってしまう。眼を二つに戻し、頭を抱える。

 もう私は本当に駄目だ。生まれもつ凶暴さを、暴力性を、欠かせない悪を、たった一人の人間にとろとろ溶かされて、きっとこの子が死ぬまでは、良き隣人の皮を被り続けるほかないのだ。取り外され解体され、標本のようによそよそしくなってしまった加虐心の空しいこと! 外道も形無し、なんという様だ。

「どうしたんですか、本当に」

 武士が振りかざす刀よりも、猟師が向ける銃よりも。私の前にどこまでも立ち塞がり、存在を脅かすものがある。それは例えば、雨上がりの濡れた若葉の瑞々しさとか、星が見えなくなるくらいに明るい月の光のような、そこにあるだけで眩しいものだ。今だってほら、悩む私をどう慰めたものか考える手が、どこに落ち着くでもなく中に浮いている。それだけのことがどうしようもなく私をおかしくさせることなど、どうせわかりはしないのだ。

「なんでもないよ」

「……? ならいいんです」

 心配そうな顔をしていたのが一転、けろりとして笑うわたしのかわいい「おともだち」。命を奪う武器の鈍い輝き、ぎらつく殺意、鋭い嫌悪。世の中の力ある何よりも、無防備に微笑み、手を伸ばしてくる無邪気な信頼が恐ろしい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る