第3話

 苦節1時間と45分。

 世界を救う『聖』たる存在、主人公『ああああい』一行は、ついに町のそばにある緩やかな坂をのぼることに成功していた。

 むろん町長ことおじいちゃん、ジーサも一緒である。


「やったあああああっ!!ッしゃおらああああっ!!」

「あああああ!達成感が半端ないっすっ!!」


 ロクトバはガッツポーズをしながら天を仰ぎ、リューカは涙を流しつつ手を合わせている。

 あの無表情な主人公でさえ、喋れないかわりに全身で喜びを現しているのか、その場で何度もジャンプを繰り返した。

 もはやこれでクエストクリアでいいのでは?と思うような盛り上がりようである。


 しかし、それも致し方ない。

 町からこの坂のてっぺんまで来るのに、おじいちゃんは105回死んだのだ。

 三人は【クエストに失敗しました。酒場へ戻ります】の文字がウインドウに浮かぶたびに怒りを灯し、自らの不甲斐なさに拳を握りしめた。


 暗転とともに酒場前に帰還しながら、主人公は頭を悩ませ、様々な奇策をひねり出していた。


 主人公が段差の少ない、危なくない道を選んで歩き、おじいちゃんを守る案。

 強化魔法を重ね掛けして、回復魔法をかけつつ、おじいちゃんを守る案。

 町にある板を坂道に敷いて、段差をさらに緩やかにして、おじいちゃんを守る案。


 思いつくままに全部を試し、少しずつ改良を重ね、ようやく上記三つを融合させた作戦がベストだと判断出来たのである。


 しかしそれも、文字通り平坦な道のりではなかった。

 板を平らに敷くのに時間がかかり、それでも出来る段差を必死に避け、主人公とロクトバが二人、交互に魔法をかける。


 ちなみに主人公からは、仲間に魔法や攻撃などの指示が出来る。

 ロクトバはその指示……『防御魔法を頼む』のウインドウを見すぎて、目がちかちかしそうだった。


「もう、もう……僕は誰の指示も受けなくていいんだ……。あの忌々しいウインドウを見ずに済むんだ……」

「ああ、そうだ、そうだとも。ロクトバさん、頑張ったっす、頑張ったっすよ……」


 燃え尽きたようにがくりと落とした肩に、リューカが優しく手を置く。

 お互い苦労を慰め合っていると、主人公が動いた。

 メニュー画面を確認し、再度回復魔法をおじいちゃんにかけていた様子だったが、終わったらしい。

 赤いマントをひるがえし、前へ進んでいく。


「お、主人公さん、行くみたいっすね!」

「よし!さっさとこんなクエスト終わらせよう!そして家へ帰ろう!」

「ははっ、ロクトバさん、気が早いっすよ!」


 困難を乗り越えた一行は、足取りも軽く前進し始める。汗か涙か、世界がきらきらと輝いている。

 青春漫画の一ページのような足取りの一行は、うっそうとした森の横を通り過ぎた。

 初級の探索クエストで訪れたことのある森である。しかし今は用は無い……そう思い視界の端から追いやった刹那───ひゅん!と風を切る音がした。


「……え?」


 ロクトバが、呆然と呟く。

 その風切り音は、森の方からこちらへ向かって聞こえていた。

 町の外における戦闘で、幾度も聞いたことのあるその音に、凍る背筋。ロクトバははっと後ろを振り返る。


 それは、矢だった。

 木の枝を加工し、鋭く研いだ矢じりをつけた粗末なそれは、比較的知性のある魔物たちが使うものだ。


 森の方から風を切り、一直線に飛んできたらしい矢は……おじいちゃんの体に深々と刺さっている。


「あ、」

「あああ……」


 ロクトバとリューカの弱弱しく情けない声が、晴天の空のもとに響き渡る。

 戦闘員としてあまりにも頼りなく聞こえるそれだったが、格好をつける余裕は無かった。


 矢に貫かれたおじいちゃんが、くきりと奇妙な形に折れて倒れる。

 忌々しい【クエストに失敗しました。酒場へ戻ります】の文字が、ウインドウとともに現れた。


「ああああああああっ!!!」


 暗転する視界の中で聞こえたのは、ロクトバの悲鳴だったのか、リューカの悲鳴だったのか。

 もしかしたら画面の向こうの、プレイヤーの断末魔だったのかもしれない。



 もう実家より帰還した数が多いんじゃないか、と錯覚しそうなほど馴染んでしまった酒場の前で、ロクトバたちはしばらく動かなかった。

 動きたくないという気持ちももちろん、何より主人公がクエスト失敗から微動だにしていない。

 もしかしたらコントローラを放り出して、床で大の字になっているのかもしれない。


 ちなみにおじいちゃんと言えば、相変わらず穏やかな笑みを浮かべて「おお、お主らが連れてってくれるのかい。こりゃあ頼もしいのう」を繰り返している。


「……あんなに唐突に魔物って現れてたっけ?」

「ぜんっぜん意識したこと無かったっすね……」

「おお、お主らが連れてってくれるのかい。こりゃあ頼もしいのう」

「でも確かに、突然弓を射られることはあったな……ああ、あの時僕が浮かれていなければ……」

「……私も浮かれてたっす。もうあの坂をのぼらなくていいんだという感動で」

「おお、お主らが連れてってくれるのかい。こりゃあ頼もしいのう」


 酒場の壁に背中を預け、ぽつり、ぽつりと二人は反省しあった。

 生き返っているおじいちゃんも一緒である。


 積もりに積もった疲労感で、他の危険性に目がいかなかった。護衛対象を後ろにして進んでしまった。森には用は無いと、早々に目を背けてしまった。


 後悔すべき点は、他にも多々ある。次に生かすときがあるかは知らないが。


「……主人公さん、これでもうリセット確定っすよね。1時間45分もの苦労が水の泡なんだもの」


 いまだに動かない主人公に視線を転じて、リューカが呟く。

 ロクトバも同意見だった。流石にあの苦労を一瞬でふいにされて、意思が折れないプレイヤーなどいないだろう。


 コントローラーを放したまま、電源も落とさずにふて寝するのではないか?

 そちらの方が、気楽だな。と、自分自身、もうあの坂はのぼりたくないロクトバは思った。


 リューカと一緒に、しばらく張り付けたような無表情の主人公を見つめている。

 やっぱり寝ているのかな、と二人が思った瞬間に、ふとその体がぴくりと動いた。


「……どうしたんだい?」

「主人公さん?」


 答えが返ることなどないとわかりきっても、声をかけてしまう習慣を自嘲する余裕はない。

 赤いマントをひるがえした主人公が、改めておじいちゃんに話しかけたときに、嫌な予感をひしひしとしたのだ。


「おお、お主らが連れてってくれるのかい。こりゃあ頼もしいのう」


 相も変わらぬおじいちゃんの、奇妙で恐ろしく優しい声が繰り返される。

 錯覚かもしれないが、彼の話を聞き終わった主人公が、妙に凛々しい顔をした……ような気がした。


 今一度ロクトバが声をかけようとした刹那、主人公はおじいちゃんに防御魔法をかける。


「え?」

「えええええ?」


 悲鳴を上げる暇はない。

 さあ、と顔を青くした二人を尻目に、主人公はさっと町の出口へ向けて歩き出してしまった。

 その足取りは軽くステップを踏んでいるようにも見える。もちろん本当に踏んでいるわけではなく、これは段差を避ける足取りだ。


 大道芸人もかくやという動きの赤マントの後ろを、おじいちゃんが穏やかな足取りでついていく。


 システム上、彼らのあとを追わなければならないロクトバとリューカは、この世の終わりが来たかのような声で呟いた。


「……私たち、最後までバグらずついていくこと、できるっすかね……」

「わかんない」


 もしかしたら最終的に、悲惨な言動と立ち姿で、主人公の後ろをついて回るようになるのかもしれない。

 決してないとは言い切れない最悪の未来に、もう乾いた笑いももれなかった。


 ───そしてそれから、主人公たちはほぼ無言で作業的に坂をのぼった。


 先ほど編み出した、徹底的におじいちゃんを守る案を行使し、HPをこまめに回復し、強化魔法を重ね掛け、とことん段差を避けていく。

 慣れてしまったせいか、それとも過ちは二度と繰り返さないという強い意志のためか、たった30分で、坂の制覇は完了した。


 そしてそのあとも、ロクトバとリューカは無言だった。

 主人公もまた同様。緊張気味にステータス画面をのぞき込み、魔法を重ね掛ける。


 無言で、忌まわしい森の方に視線を向け、おじいちゃんを背にかばいながらずんずんと進んでいく。

 暗い色の草かげの中で、きらり、と何かがうごめき光る。


 その途端、積もりに積もっていた感情が爆発した。


「さっきのおじいちゃんのかたき───っ!!!」


 今までの欝憤を晴らすかのような大声とともに、ロクトバは本日初の攻撃魔法を放った。

 弾けるがごとく爆音。同時に炎が体の周囲に散り、前方の森を焼いていく。


 リューカもまた何事か叫びながら、草かげに向かって弓を引いては放ち、引いては放っている。

 主人公だけは妙に冷静で、背後のおじいちゃんを気にしながら、それでも魔法を連発していた。


 二人の声と魔法と矢の連打が奏でる轟音の合間に、何かが叫ぶような声が聞こえ、それは次第次第に小さくなっていく。

 しばらくして、一同は草かげから物音ひとつ聞こえなくなったことを認識した。

 動くものもいないようなので、森の奥をものすごく怖い目で睨みつけながら、攻撃を停止する。


 鬼の形相の二人に代わって、主人公が無言無表情で、総攻撃を受けた草かげへ歩み寄った。

 かさり、と、背の高い茂った草葉をどかすと、そこには異形の者たちが黒い煙を上げて倒れている。


「下級のゴブリンっすね……」

「しかしおじいちゃんの仇はうったよ」


 同じく覗き込んだロクトバとリューカは、その異形の者……ゴブリンたちの亡骸を見つめて、ぐっと歯を食いしばった。


 無論、この不届き者たちの死を悼んでいるわけではない。

 下級ゴブリンは、このゲーム序盤に出現する肩慣らしの敵。

 自分たちも何度も退治してきたというのに、呆気なく護衛対象を射られてしまったことを、悔やんでいるのだ。


 いや、通常であればおじいちゃんが死ぬことは無かったのだが。


「……もうこうなったら、意地でもおじいちゃんを目的地に連れて行かなきゃ、沽券にかかわるっす」

「そうだね……。坂とゴブリンに負けて護衛を中断した戦士なんて、カッコ悪いよね」


 ロクトバとリューカの情熱は、再燃し始める。

 こんなことで再燃し始めるのか、と頭の中で誰かがツッコミを入れた気がする。だが、何かを燃やさなければ、心が折れそうだった。


 主人公もまたなけなしのプライドを燃やしているのか、一度おじいちゃんのステータスを確認したあと、凛々しい態度で街道に戻っていく。


 ロクトバは、主人公と自分たちでおじいちゃんを挟み込み、万全の護衛の体制で、出発した。


「このあと、魔物が出そうな地域ってどこにあったっすかね?」

「そうだな……。あとは小さな森と山賊の住処と……一番近くにあるのは川だね」

「水生の魔物が出るっすね」


 この辺の地形は頭に入っているので、マップを確認する必要はない。

 魔物、もしくは山賊に発見されたら、こちらから先制攻撃を仕掛けていけば、三人の実力なら負けるはずはない。


 ……もちろん、ここ周辺に限っての話だが。


「私たちのレベルじゃ追いつかない場所に行ったら、逃げの一手しかないっすね」

「うん。僕たちにも強化魔法を重ね掛けて、一番足の速いリューカが先導してほしい」

「わかったっす。このために鍛えた足っす」


 決してこのために鍛えたわけではないと思うのだが、ロクトバはあえてリューカのやる気に水を差さないようにした。


 やがて、一行は先ほど会話の中に出てきた川へとたどり着く。

 ちろちろと流れる小川であるが、やはりと言うべきか、うろこを持った二足歩行の魔物……サハギンがたむろしている。


 まだこちらを捕捉していない様子だったが、ここを通過するならば戦闘は避けられない距離だ。


 ロクトバと主人公は魔法と剣を、リューカは弓を早々に構え、来るべき瞬間に備える。

 言いようのない緊張感が、場を支配した。


 しかし───刹那、好戦的な顔をする一同の合間を、するりとすり抜けていった者がいる。


「え……?」


 緊張感がほぐれぬまま呆気にとられ、ロクトバは次の行動を決めかねた。

 動揺を潜り抜け、その人物は異常なほど速い動きで、水辺に近づく。

 三人はぎょっとした。あの人物のあんな姿、今まで一度も見たことが無い。


 主人公たちの目に映るもの……。

 それはサハギンに向かって、パンチを繰り出そうとするおじいちゃんの姿だった。


「あああああっ!おじいちゃん!おじいちゃん!おじいちゃん!やめてえええっ!!」

「危ない!危ないよ!おじいちゃん!ああああっ!!」

「おお、お主らが連れてってくれるのかい。こりゃあ頼もしいのう」


 二人の叫び虚しく、おじいちゃんのパンチが当たる前に、サハギンが振り返る。

 怪しく光る魔物の目。

 何故かおじいちゃんのパンチは、足の速さに反比例して遅い。

 のろりとその拳がサハギンにヒットした……と思った瞬間、魚類の顔をした魔物の口から、勢いよく水流が噴き出た。


 サハギンの基本攻撃、水鉄砲であった。


「おお、お主らが連れてってくれるのかい。こりゃあ頼もしいのう」


 その水鉄砲がおじいちゃんにヒットしてそして、……かくりとおじいちゃんの体が折れ、そのまま地に倒れ伏す。


 あっという間の出来事。

 ブラックアウトしていく視界に、ロクトバとリューカの苦悶の声が響いた。


「おじいちゃん、好戦的っすねえええええ……」

「ダイナミック戦闘民族おじいちゃん……」


 【クエストに失敗しました。酒場へ戻ります】

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