第2話 口が気持ちいい

 俺は普通の父子家庭だった。そして、ある日、父が再婚したのだ。

 男で一つで俺を育ててくれた父には感謝している。ので、冴えない父でも好きになってくれる女性がいてよかったなぁ、と思っていた。

 新しい義母ができること、そして一緒に住むための家を建てていることを聞かされても、まあいいかと思った。父の人生と金だ。好きにするべきだろう。

 俺は父と義母の邪魔にならないように暮らせたらいいなぁと考えていた。もし、義母が俺と暮らしたくないといえば、一人暮らしもやむなし、と。

 実際は義母はそんなことを言う人ではなく、父が建てた新築の家が高校から近いことがわかったときは、我が父ながら、俺のこと大事にしすぎだろと思ったものだ。

 そう。そこまではよかったのだ。ただ、俺が思っていたのと違っていたことが二つあった。


① 義母は海外の人だった(金髪碧眼の大層な美人だった)

② 義母はシングルマザーで俺と同じ年の娘がいた(娘も金髪碧眼の美少女だった)


 そう。冴えない父が美人と結婚した結果、冴えない俺に美少女の義妹ができてしまったのだ……! それも同じ年の……。

 さらに。さらに、思っていたのと違うことが起こった。


① 父は海外赴任が決まり、義母と海外生活へ

② 義妹は日本に残り、俺と二人暮らしへ


 思っていたのと違い過ぎる。突然できた美少女な義妹と二人暮らしとか無理過ぎる。

 だが、父は家のローンを払うため海外赴任を蹴って仕事をやめるなどできない(そもそも今の仕事が好きなようだから、やめたくもないだろう)。義母は海外の人であり、また一緒についていくことも諸手を挙げて賛成したらしく、二人が海外で暮らすのは当然の選択だった。

 で、俺。俺は高校二年であり、このままここを卒業したいと思っている。そこそこの高校だし、環境を変えるつもりもない。もしかしたら大学受験で海外を…と考えることがあるかもしれないが、今ではない。というわけで、日本に残るのは規定路線。

 となると、義妹は当然、父と母について海外へ行くと思うよね? 思うだろ?

 ……でも、そうはならなかったんだよな。


「私の話を聞いてください。たすくさんには聞いてほしいのです」

「あ、うん……」


 長い金髪はきらきらと輝き、碧色の目がうるうるとして俺を見上げている。

 ……これが俺の突然できた義妹。名前はフィーロ・ミリ・坪井つぼい

 そして、俺の名前が坪井つぼい たすくだ。

 リビングへ移動した俺はそのままソファに座らされ(連行される不審者の気持ちだった)、今も腕を組まれたまま。

 現状の意味が分からん。突然美少女の義妹ができた辺りから俺の人生が変な感じになっているが、今がもっとも意味が分からん。腕が温かい。やわらかくてふにゃっとしたものが当てられているから……。いや、待て、やめろ、俺。考えるな。前を向け。前を。

 腕に当てられたものをじっと見たい欲求に駆られるが、雑念を振り切り、前を向く。


「えっと、それで……フィーロさん? の話って?」


 父に紹介されて一週間。同居を始めて二日目。どう呼んでいいかもわからないため、若干不審な呼びかけをしてしまうが仕方ない。苗字にさん付け以外で女性を呼ぶことなんてないんだから……。でも、義妹だと同じ苗字だからな……。


「実は、私は……いえ、私と母は、元々は密偵スパイとして働いていたのです」

「……ほー」


 『なに言ってんの?』とか言わなかった俺を褒めてほしい。というか、女性にそんな気軽に話せないから突っ込めなかっただけだが、まったく意味が分からない。とりあえず当たり障りのない返事をしてみたが、心にあるのは『なに言ってんの?』である。


「リンデンガルディッド帝国をご存じですか?」

「……い、いえ」


 NO。NOです。なに? これ、なんの話?


「そうですよね……一般人で知っている方はいないと思います。リンデンガルディッド帝国はかつてたしかに存在していました。けれど、歴史から消され、私たち帝国民はバラバラになり生きていたのです。表向きには一般人と変わりません。ですが、帝国民同士でならばわかるのです。そして、母と私はスパイとして各国で活動をしていました」

「……あの、……物語の話をしてるとかじゃないよね……?」


 ラノベ好きすぎて、自分をそういう人だと思い込んでしまっている人とか、そういう感じではなく? いや、俺は人の趣味を否定したくないからいいと思うんだよ。でも、なんの話かはわからないから……。


「佑さん。これは本当の話なのです。そして、リンデンガルディッド帝国はたしかに今も力を持っています。……TVをつけてくれますか? 今から二分後に流れる料理のCM。そこに赤か青か黄色のネズミのシルエットが走ります。それは帝国民への連絡なのです」

「……うん」


 そっか……うん……。なんかあれだね、都市伝説みたいなあれの話みたいだね……。

 胸のやわらかさよりも、目の前の義妹(美少女)の言ってることに意識が向いてきて、普通に頬が引き攣る。でも、最初から否定するのはよくないと思い、TVをつける。そして、フィーロさんが言ったように、たしかにネズミのシルエットが走っていった。色は黄色。


「黄色は『つつがなく進行中。日々を穏やかに過ごせ』です。とくになにも起こらないですね。でも、もし赤いネズミが走ってしまえばそのときは……」


 やめてやめてやめて。美少女が意味深に目を濁らせるのやめて。ホラーっぽい演出やめて。俺はすぐにTVを消した。怖いから。

 そもそもTVのCMなんて同じのを流しているんだから、さっきのCMはフィーロさんが見たことがあって、それをさも重要な情報のように伝えている可能性がある。流れる時間までピタリと当てたことは気になるが、流れる時間が決まっているCMもあるだろうし……。

 半信半疑。もはや半信してしまっているが、まだ半疑ある。


「えっと、じゃあ、なんかその……父の仕事を狙ってたとかなの?」


 スパイ的に。ありえる。俺はなるほどと頷いた。こちらは全信。

 あんな美人の女性(義母)が父と結婚した理由。それは父の仕事から情報を抜くためだったのだ! 理解。納得。

 しかし、フィーロさんは「違います!」と声を上げた。


「母も私も密偵はやめました。母と善太郎さんが結婚したのは、母が善太郎さんを……ダイスキダカラデス!」

「あ、そうなんだ、ごめん……」


 フィーロさんが眉を寄せて、ムッ! と怒ったので、慌てて謝る。が、それはそれでおかしいんだよな。『善太郎さん』とは父の名前だが、絶対に父には美人を惚れさせる能力はない。間違いない。


「……なにかあったわけでもなく?」


 怒られたのに懲りずに、そっと聞いてみる。スパイと聞くとそういうのも必要だったりしそうだし。でも、フィーロさんはムムッ! と怒った。


「レンアイケッコンデス!」

「そっかぁ……」


 なんとか帝国の密偵とかいう謎の情報が出て意味が分からない。が、父と義母の結婚の謎は解けるかと思えば、そっちも謎しか残らなかった。なにこれ。謎しか積み上がらん。意味が分からない。


「スパイは過去の話です。今は一般人として楽しく暮らそうと思っています。私は日本に憧れもあったので、こうしてここに残ったのです」

「なるほど……」

「男性との二人暮らしとなると危険もありますが、私は体術の心得もありますし、武器も持っています。一般男性一人ぐらいどうとでもできますので」

「え?」

「こちらの話です」


 父は俺を信頼してるだろうからともかく、義母はなぜ二人暮らしをOKしたのか、危ないと考えなかったのかと思ったが、どうやらフィーロさんがつよつよだから大丈夫ということだったようだ。

 俺一人どうとでもできるんだな……。

 なんとなく背筋がぞぞぞっとしてそっと腕を引く。けれど、それに気づいたらしいフィーロさんが腕の持ち方を変えると、俺は一切、手に力が入れられなくなった。え、怖い。本当にどうとでもできるやつだ。え。

 驚いている俺に向かってフィーロさんがにっこりと笑う。さらにむぎゅっと胸を押し付けると、俺の顔へと手を伸ばして……。


「佑さん。これで私の話はわかってもらえましたね?」

「え、あ、っはい」

「私は先ほど、大好き、とお伝えしました」

「え?あ、え?」

「一般男性一人ぐらいどうとでもできる。そう思っていた私を佑さんは助けてくれました。その心根、立ち向かう背中に私は恋をしたのです」

「あ、あ、ふぁい、ふぁ……?」


 まっすぐに見つめられての告白。そりゃドキドキする。が、同時に寒気もする。そして、俺はそれにちゃんとした返事をできず、呂律が回らないのだ。


「舌をべぇっと出してください。ほら」

「ふぁ、ふぁって、ふぁあ」


 口! 口に指入れないで!! 舌をスリスリしないで……! なにこれ……!

 驚いて、顔を背けようと思うのに、気づけば首根に手を添わされ、動かすことができない。これがスパイ……? これがスパイの技……?


「まずはお互いのことを知るために、奥歯に仕込んだマイクロチップの交換から始めましょう」


 碧色の目がうっとりと俺を見上げる。

 でも、内容がおかしいから!!


「ふぁい、ほれ、はひふほひっふふぁい!」(ない、俺、マイクロチップない!)

「大丈夫ですよ❤ 私がしっかり全部見てあげますから」


 ――そうして俺は、だいたい30分、しっかり口内を捜索されました。

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