臙脂色の彼方

落陽

第1話

気の狂ったような空間にいる。

俺はついさっきから、この空間にいる。

白だけの世界。この空間について手がかりがあればいいんだが、ここには全くと言っていいほど「もの」が見当たらない。

加えて、俺はさっきこの空間で目を覚ました時点で、記憶を失っていることを自覚していた。外見すら思い出せないし、それを思い出すための鏡もない。

ただ知覚に関する記憶の部分やおそらく俺の中で常識とされる記憶は残っているらしいことが分かる。そうでなければこのように思考することもままならないだろう。

この気の遠くなる景観は、俺が今まで見てきたであろうものとは全く異なっていることがわかる。人間味を感じないと言うんだろうか。

1分も歩かないうちに、そこに人間の形では17歳くらいのオネエサンが椅子に座って机に手をついているのを見つけた。

少し疑問を整理しよう。

俺はなぜこの空間にいる、あるいはいる必要があるのか?

なぜ俺の記憶が飛んでいってしまっているのか?

前者については、この目の前のオネエサンが何らかの理由でここに呼んだのか、それとも記憶を失う前の俺がここを目的地としていたか...

後者については、何らかのショックで飛んでしまったか、もしくはこの異常な世界で、記憶を保持していることがあまりに不都合なのか。

どちらにせよ今一つ言えることは、目の前のオネエサンは俺に殺意を抱いているということはないらしい。どころか、感情を押し殺して、会えてうれしいとでも言わんばかりである。そこに、この空間との感覚的な乖離を感じる。人間が作ったとも思えないこの空間と、きわめて人間らしいオネエサンが。ひとまず俺に危害が加わるようなことはなさそうだが、話しかけないで何かが進展するとも思えない。

「こんにちは」

今が昼かどうかはわからない。

オネエサンが口を開く。

「や、若者よ。ようこそ。まあ座ってよ」

オネエサンのいる机の前に椅子が出現した。なんだ?どんな力だ。あんなことをしでかせるんなら、何か超常的な力をほかにも持っているのか。

とにかく、俺に対する殺意がないのはほぼ確定した。殺意があったんならあれに類する力でどうとでもできるだろう。

「...椅子は遠慮しておきます」

しかしながら、オネエサンが出してくるオブジェクトにはできれば干渉したくない。

相手が人間であるとわかったわけではないし、今はただ、本当に何をされるか分かったものではない気分だからだ。

「そっか...いや、気が向いたらでいいよ」

少し間をおいて、

「君のおかれている状況を説明しよう」

「この空間は、あなたを新たなる世界へと導く...いわば中継地点のようなもの。

ここでその手続きを行うの。」

そう続けた。

「その前にオネエサン...オネエサンでいいのかな」

「オネエサン、でいいよ。新たなる世界に行くための手続きをこれから行うの、準備はいい?」

「はい」

ひとまずは従順に取り繕う。新たなる世界って何だ?おかしいのはどうやらこの空間だけではないらしい。

「その前に、質問は受け付けていますか?」

「ああー...それもそうね、5回くらいまでならいいわよ」

...回数の制限?そうなれば途端にきな臭くなってくる。何か嫌な予感はしていたが、こんなもの、知られるとまずいことがある、と白状しているようなものではないのか?

しかも5回『くらいまで』ってなんだ。あまりに適当すぎやしないか?

新しい世界だか何だか知らないが、こういった手続きで杜撰さがあるというのがどうも引っかかる。

「わかりました。手続きをお願いします」

「そう。ではまずここに、あなたの新しい名前を」

俺は名前を憶えていなかった。だから名前を付ける、というのは道理にかなっていなくはないがこれも引っかかる。そもそも選択的に記憶が消去されているのだ。名前だってそれに含まれているし、わざわざ名前を消して、新たに名前を付けるなんて、その名前に近い記憶は完全に消されてしまうほど都合が悪いのか。そもそも自分に新たな名前を付ける、という行為そのものが違和感を孕んでいる。名前は親や親族につけてもらうものだと記憶しているからか...。

順当に手続きが進めば、例えば輪廻転生的なルールで、赤ちゃんから自分の人生がスタートする、というものでもなさそうだ。つまりはこの(外見はわからないが)姿のまま送られるということになる。

「その前に質問させていただきます」

「いいわよ」

俺はさっきオネエサンに手続きを進めながら質問するなどとのたまっていたが、恥を忍んでいえば自分でもこの行動は予想外だった。ただ名前を付ける、ということに対して異常なほど悪い予感を覚えたのだ。


「私が質問したときに、あなたはその質問に正しく返答をし、仮にそうでなかった場合はあなたにとってデメリットがありますか?」


「私が君に対して嘘をつくことはないわ、安心してちょうだい。嘘をつくと厳しい罰をうけることになるから」

このオネエサンはペラペラ喋りすぎだ。俺はこのオネエサンがてっきり神か、神の一部か、あるいは神とカタを並べるような存在だと思っていた。それはあの一瞬で椅子を生成した、または呼び出したか。あの力を見てそう思っていた。

しかしなんだ、このオネエサンに罰を与えられる存在(存在とは限らないか)がいる、ということが少なくともこの時点で確定した。

また同時に、残りの4つの質問を有効に活用できることも分かった。

残りの質問だけですべての決着をつけたい。と、そう思った。




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