女子高生と酔っ払い
サキバ
女子高生と酔っ払い
快晴というには雲の比率が多い秋の日に、ろくに目的地もなく自転車を漕ぎ続ける。鮮やかな色が抜けた落ち葉を踏みながら少し肌寒く感じる風が肌を撫でたとき、冬の到来が近いのを感じた。すでに走り出して何時間経ったのか、財布だけを持って家から出発した葵には確認する術はなかったが、落ちかけの太陽と足に溜まった疲労が短くはない距離を走ったことを教えてくれる。
そのまま漕ぎ続け、人気も何もない公園から古き良きといった感じの商店街に出た。自転車から降り、押してその中を通っていく中で、ワイワイガヤガヤと活気に溢れていてまるで自分がタイムスリップしたみたいに、自分の中の最近の商店街のイメージとずれていた。しかし、いくつかシャッターが降りている店を見て、なんだか見てはいけないものを見てしまった気になって早足で抜けていった。
一体自分はどこに向かっていくのだろうか、自販機で温かいお茶を買いながらそう思った。衝動的に逃げるために走り出し、自転車に乗っている間はそんなことは気にも留めなかった。テレビか何かで、走っている間は何も考えることがない。だから走っているのだ、とマラソン選手が言っていたような気がする。つまりは、動きを止めてしまえば考えないようにしていたことを考えなくてはいけないのだ。そんな捻くれた結論を出し、葵は溜息を吐いた。
そうなると何もする気が起きなくなるのが人間であり、葵は近くにあったベンチに寝転がった。余計なことを考えないよう日が落ちていく様子を眺めながら、ゆうやけこやけを口ずさんだ。もちろんそんな時間が長くも続くはずはなく、辺りには街灯がつき始めた。夜になるのが早い。
「よう、女子高生。いい子は帰る時間だ」
もう冬が近いのを実感していると、横から女の声がした。そちらを見ると社会人と思しき、派手なピンクの髪の女性がニヤニヤとこちらを覗いていた。心配してくれるような言葉にしては、表情と声音が一致していないことを訝しげに思いながら体を起こした。
「悪い子なんですよ、私」
「尖ってるね。10代の見本みたいだよ、女子高生ちゃん」
ニヤニヤとした顔にムッとして、普段なら言わないことを言ってしまった。それで気分を害したと思えば、むしろウキウキとおもちゃを見つけたような顔になり、煽られてしまった。17年という年月の中で、葵の周りにはこんな大人はいなかったので少し戸惑いながら、最後には顔を背けた。
「ハハハ、つれないねぇ。ところで悪い女子高生ちゃん」
相変わらずふざけた顔は変わらず、わざとらしいヒヒヒという最近ではどこでも見ないようなものを出しながら、顔をこちらに寄せてくる。気持ち悪さというより、なんなんだこの人はという困惑の方が大きく、できるだけ逃げようとしたが場所と体制が悪くベンチの端までしか、体を持っていくことはできなかった。そして、耳元で一言。
「悪い子なら悪い遊びを覚えなきゃなぁ」
それはふざけた言葉とは裏腹に、今までで一番真面目な声音でただのふざけた人なのかと思えば存外まともな部分もあるのだな、と薄らと思ったがそれ以上に葵には気になることがあった。飲み明かしてきた父親と同じ匂い、まあつまりはものすごく酒臭かった。わざわざ顔を近づけるものだからもろに酒臭い息があたり、葵はしかめ面した。そんな葵の様子に気づいたのか酔っ払いはニヘラと笑った。
「へへへ、さっきまでちょっと引っ掛けてたの」
もう夕方とはいえ真っ当な社会人ならまだ仕事の時間のはずだ。いや、雇用形態にも様々あり彼女の勤務時間はすでに終わっているのかもしれない、なぜか言い訳をするようにそんなことを葵は考えたが、それは他でもない彼女からその考えを壊された。
「仕事サボって飲む酒は美味いね、ふふふ」
この瞬間から葵の中で目の前の彼女の評価が変な大人から、駄目な変な大人に変化した。そんな酔っ払いの言葉に翻弄されていた自分自身が馬鹿らしくなり、葵はそのまま立ち上がってこの場から離れようとしたがその腕を掴まれ引き止められた。面倒なのに捕まってしまった。わざとらしく溜息を付いたのだが女性は気にした様子もなかった。
「まあ、待ちなって。家出でしょ、君」
「家出では、ないです」
そう言われて少し驚いたが、通報されたりするのは面倒だったのでそう言った。実際、家出というよりももっと曖昧な物だったので嘘はいっていないはずだ。葵は今度こそ逃げようとしたが、次の一言で足を止めた。
「ウチ泊まってく?」
普通の状況なら断るしか手がない発言だったが、今の葵は未成年であり、土地勘など一切ない葵には泊まれる場所など一切ないのだ。だからと言って今日は家に帰るのは嫌だった。それが葵の足を止めた原因だったが、知らない人間の家に上がり込むなど何が起きるか分からないということなど分かりきったことだが、どうしてか葵の頭にはそんなことが気にも留めずに頷いてしまった。
「悪い子だ」
そういうと怪しく笑った。
早まったかもな、そう思ったが騙されたなら自分が馬鹿だったということだ。そんな覚悟を彼女を決めた。
「かわいいね、ウリウリ〜!あはは」
数十分前の自分は馬鹿だった。ただの酔っ払いにわちゃわちゃとされながら葵は後悔していた。酔っ払いにも色々いるというが、間違いなくこの女と酒の場を楽しむことはできないだろうな、と葵は未成年ではあるがそんなことを思う。未成年の前でここまで躊躇なく酒を飲んでいる。これが大人か、今日何度目か分からないくらいの驚きだった。そんな面倒くさい状態の彼女から逃れるように視線をあちらこちらに移していると、立てられて置いてあるギターに目がついた。あまり広くないワンルームの隅っこに配置されているそれは大きな存在感を放っている。あまりギターには詳しくない葵ではあるが、それがアコースティックギターであることくらいは分かった。彼女がそれを弾いている姿を想像してみると、意外と似合うのではないかとも思えるし、小さな体でピンクの髪の彼女にはミスマッチで持て余してるような気もして、結局のところよく分からない。
「弾くんですか、ギター」
そう聞くと彼女を立てられているギターを見て、少し恥ずかしそうな顔を見せた。
「弾けないよ。大学行ってたときに買った後からちょっと触って放置してる」
「じゃあなんでギターなんか買ったんですか?」
「大学生にはそういう時期があるの」
やけに部屋の中で存在感を放つギターがただのオブジェクトと化していると思うと、哀愁が漂っているように見え、葵はギターを撫でた。そのまま葵は無言で酔っ払いが延々と益体もないことを話すという空間が出来上がっているうちに、時計の長針が何周かする時間が立っていた。その頃には女も静かになっていて、聞こえるのは蛇口から流れる水の音ばかりだった。静かになったとは言っても未だに女は酒を飲んでいて、一度酒を止めるように葵は言ったのだが彼女曰く、酔いにも段階がありまだ2段階目ということらしいが、酒を飲んだことがない葵はよく分からないことではあったが、飲み慣れているなら自分でセーブするだろうと思い、そのままにしておくことにした。
テーブルに倒されているチューハイの空き缶をテーブルの上で転がしながら、明日のことを考えると葵はお釣りで帰ってくる100円が全部10円玉で帰ってきたような嫌な気持ちになった。そのため、まだ蓋の空いていないチューハイ缶に手を伸ばした。しかし、その手は目の前の酔っ払っている彼女に止められた。
「酒飲んで解決するのは大人の特権だよ。君はあれだ、まだ早い」
それは諭すというよりは大切なものを取られないようにしている、子供のような顔をしていた。それでも葵は手を引かなかった。なぜかその顔が気に入らなかった体。
「わがままは子供の特権ですよ? 見逃してくださいよ」
「バカ言うな、大人だってわがまま言う権利はあるさ。ついでに、法を守らなくてはいけないっていう義務だって発生する」
「私止めてる時点でアウトじゃないですか」
「ここでは私が法だ。なぜなら年上かつ我が家だから」
「理不尽だ」
「諦めな、それも人生だ」
そうしてなぜか胸を張って自慢げにしている。そんな姿に気が抜けて手を引いた。そして、部屋の隅からギターを取ってきてそのまま腕の中で抱いた。葵でもなぜそうしたか分からないその行動は、妙に収まりのよいその感覚が葵を安心させた。
「うん、いいね」
パシャ、と言う音がして顔をあげるとすでにピンク髪の彼女はスマートフォンをテーブルに置いていた。その顔はなんだか眩しいものを見たような顔をしていた。
「酒は駄目だけど、それならあげる」
「いいんですか?」
「うん、私には必要ないものだし」
そう言うと彼女は押し入れをガサゴソと漁ったかと思うと二冊のギターの教本を葵の隣に置いた。そしてその後ベッドに入って眠ってしまった。隣に置かれた教本を見てみると、意外と使い込まれているような跡があって、ああは言っていたがもしかしたら案外触っていたのかもしれない。
大きな音が出ないように弱く弦に触れてみるとなんだか情けない音が出て、葵は笑った。そして色々と試した後に、葵はギターを抱えながら夜を過ごした。夢は見なかった。
そして翌日、葵は自分の住んでいる街に帰ることにした。親に対しての言い訳を考えながら、葵は横目で運転している彼女を見た。名前も何も知らない彼女、子供のような大人の彼女、ギターをくれた彼女。おそらくこれから会うことはないだろう彼女。
そして後部座席のギターを見る。それはもう葵のものだ。
「ああ、もう冬だ」
車のオーディオでスタンドバイミーが流れていた。
女子高生と酔っ払い サキバ @aruma091
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