付き合ってたわけでも何でもなかった

チェシャ猫亭

第1話 加害者と被害者


 私の名は、加賀冴子。幼少時から太っていることがコンプレックスで、内気に拍車がかかった。

 田舎ではやせた子がほとんどで、眼鏡をかけている私は格好の標的。

「デブ」

「眼鏡ブタ」

 などの声が、どこからか聞こえてくるかも、と日々、怯えた。

「冴子」だなんて完全に名前負け。なんとも冴えない子供たったわけだ。

 恋へのあこがれは人一倍、強かったけれど、この体形では、どうにもならない。やせて可愛い子以外に恋する資格はない、と思いこんでいたのかもしれない。


 十八歳の四月。

 第二志望にどうにか合格し、私の学生生活が始まった。

 あこがれの京都での第一歩、知り合いは全くいないし、子供までが京言葉を使っている。失語症になりそうだった。


 群れるのが嫌いで、サークルには入らなかった。下手にどこかに入り、ヘンな男にひっかかって妊娠、なんてことになったら大変だ。いま思うとアホな話だが、小さな恐怖は胸に巣くっていた。

 というのも、上洛前、地元紙にこんな記事が載ったのだ。大学へ進学する子供を持つ親向けのもので、男子学生は加害者、女子学生は被害者になりうることを、親は認識すべき、みたいな論調だった。


 京言葉や関西弁にも慣れ、同じ社会学専攻で英語の授業が一緒の子。など、少しずつ友人ができていたある日。

 学食で、向かいにいた男子が、声をかけてきた。

 中肉中背、顔は可もなく不可もなく。幸い、生理的に受け付けない感じではない。

 それが、Nだった。


 徳島出身、工学部の新入生。一浪しているから、ひとつ年上。異性の友人がいてもいいだろうと、食後、購買部を冷かしたりして、その日は別れた。

 その後も、何度かふたりで会った。

 特に話が合うわけではないが、なんとなく一緒にいた。といった感じ。


 正直、タイプではない。男はいくらでもいるのに、どうして、もっと好感を抱ける男子と縁がないのだろう。ただ話すだけにしても、この男は、どうもひっかかる。

 いやだなあ、と思いながら、もう会いたくない、とは言えなかった。


「私、太ってるよね」

 とNに尋ねたことがある。

「少しふっくらしているかもしれないけど」

 といった返答で、複雑な気分だった。

 学食で声をかけた、あれはナンパなのか。

 同じように女子から学食で声をかけられ、仲良くなったことはある。京都だけあって、学生の大方は関西出身。高校時代からの友人同士はかりで、他の地方から来た学生は、キャンパスで友人をつくるケースが多かった。


 何度会っても、Nへの反発は消えない。


 皆さーん、私たち、並んで歩いていますが、カップルじゃありませんから。この人は、単なる異性の友人です。誤解しないでくださいね。

 一緒に外を歩いているときは、メガホンで、そう叫びたい気分だった。



 夏休み。

 田舎に帰り、親友の詩織に会った。彼女は東京の短大に進み、五月には東京で会った。それ以来だ。ひとしきり近況を告げあった後、詩織が、

「サエが京都で男と歩いてたって、Sが言ってたよ」

 げっ、見られた。

 うちの田舎からも、少ないが京都の大学を選ぶ子はいる。そのひとりS君に、Nとの現場を目撃されていたとは。

「ただの友達だから」

 と、私は言訳した。詩織は特に追及しなかった。その男が好きなら、自分に報告するはず、と知っているのだ。


 スリムで華やかな詩織とは、高一の時、同じクラスだった。お互いヘッセの「デミアン」が好きなことで意気投合した。私と彼女の仲を意外に思われたりするが、詩織は古風な女で、

「もし犯されたら、舌を噛み切って死ぬ」

 などと口にする。


 詩織と別れて自宅に向かう途中、私は憂鬱だった。

 ああ、いやだ。見られてしまった。

 やはり京都は狭い。東京なら、こんなことはないだろうに。

 あのデブが男と歩いてた、と、男子の間で笑い話のネタにされたと思うと、気分はよくなかった。


 休み中には、Nから絵ハガキが届いた。徳島だけあって、阿波踊りの写真の。丸っこい下手な字。何が書いてあったかは忘れた。

 返事は出さなかった。秋になれば、いやでも顔を合わすことになるだろうし。

 同性の友人からは暑中見舞いなど一通も届かなかった。


 Nは、私に気があるのか。

 嫌われてはいないだろう。太っていることも気にならないから、会い続けるのだろうし。

 だが、好きでもない相手から好かれても、うれしくない。少なくとも私はそうだ。

 図々しいだろうか、デブのくせに。

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