第14話 黒い線の上で

 胸に、とてつもない嵐が来る。

 暗雲が立ち込め、顔も知れない、先輩の隣に立っている美女の姿に激しい雷雨が巻き起こる。

 ああ、知らなかった。嫉妬は私の中で嵐なのか。

 不安、戸惑い、怒りにも似た悲しさが辺り一面を強く荒む風の様に激しく私の心の扉を叩く。

 いつもの私であれば、そうか。相馬先輩は好きな人がいるのか。私ではダメなんだ。私よりお似合いの人だろう。私なんか……と、悲劇のヒロインよろしく自己否定からの自己嫌悪の沼に溺れていたことだろう。

 私なんて可愛くないし、小さくもない。お決まりの顔してお決まりな文面を垂れ流して、一人で勝手に落ち込んで離れて。小さな思い出をかき集めてこれで十分だと未練がましい憐れみを乞うように綺麗な思い出の箱に鍵をかけようとする。

 後ろ向きで自信がない私の常套手段。苦しいなら、そこから逃げるしかない。勝ち目がなければ、去るしかない。ずっと昔から染み付いてきた私の処世術。これ以上無駄に傷つきたくはないと、今まで自分のために私は常に弱者を気取って来た。

 けど、今は違う。

 傷つきたくない。傷つくのが怖い。恐怖が心中に湧きおこっているのに、それでも私の足は一歩下がることを拒んでいる。

 荒れ狂う雷鳴に立てない程の突風。こんなところに居ては私はボロボロになってしまうだろう。

 でもそんなこと、どうでもよかった。

 この嵐の果てに、何があっても。嵐の残すものが、何であっても。私にはどうでもよかった。例えそれが、ボロボロの私一人でも。

 先輩が、誰かのものになるのならっ。

 嵐になんてすくむ足なんて、嫉妬にはないのだから。


「そんなに参考になるか?」

「そうですね。直ぐに告白する人もいるんだなと参考になりました」

「浅はかさを小馬鹿にしている言い方だな」

「いえ、考え直したんです。それはきっと、一番正しい戦法だなって」


 怯えて、今を必死に守ってもそこに永遠はないのだ。

 私の心に嵐がきたように、突然誰かが先輩の手を取るかもしれない。

 それを考えるだけで、胸の奥が騒めく。また、佐藤妹を見かけたようなことが起こるのか。あの時に埋め尽くされた悲しみは、全て嫉妬の炎に姿を変えていた。

 私は、あの時よりも先輩が好きなんだ。

 あの時、私を探してくれた、追って来てくれた先輩を誰にも取られたくないと思うぐらいに。

 フラれるとか、そんなことを考えて怯えている暇なんて私にはないんだ。


「それに、手を差し伸ばさなきゃ手は取れないですもん」


 先輩は誰にでも好かれる。男女共に人気がある。彼の隣に我が物顔で立ちたい生徒だって多い。あの噂をしていた女子生徒たちだって、その一人で私と同じなんだろうな。

 そんな彼女たちにさえ、私の嫉妬の火を灯す。一つ着いたら、瞬く間に燃え盛りあたりを照らしてしまう。仄暗い気持ちを、より仄暗く。

 誰かに取られると言う気持ちだけが、焦り震え恐怖になり、他の気持ちなんて考えられなくなってしまう。

 ああ、そうか。

 ふと、私の中の冷静な私が声を漏らした。

 こうなってしまえば告白しか道はないのか。

 頭で考えるよりも、気持ちが水の上を走る。炎が追いつかないように。


「……ても、解決した顔してないけど?」

「いつもこんな顔ですよ。失礼な」


 自分の中には未だかつてなかった感情を、今解き放つべきなのか私は迷っていた。気を抜いたら、喚き出しそうだった。それを許しそうな私もいる。

 いま、唐突に先輩が好きと叫び出したい。先輩に断られてもいいから、泣き喚いて、吐き出して、楽になりたい。

 でも、僅かな理性が今それを止めている状態だ。

 その理性がなんなのか、私にはわからない。

 私は今、大切な何かを忘れているのではないだろうか?


「眉間に皺が寄ってる」

「告白するタイミングってやつを推し測ってるんです」


 最早頭の中に主人公の姿はない。あるのは自分自身だけ。自分自身の恋心だけ。


「真剣に考えてんね。そりゃそうか。告白って恋愛小説のクライマックスだもんな」

「そうです。ここを失敗すると、目も当てられない悲惨なことになります。でも、出し惜しみし過ぎるのも何か違うし、難しいですよね」

「そうね。それはわかる」

「わかります? あ、相馬先輩は恋愛小説も読まれるんですか?」

「……まあ、嗜む程度に。少ししか読まないけど、たまに読むやつは告白するまで頑張ってるのよく見るよ」

「王道ですからね」

「へー、王道なんだ。告白するまで頑張ってる女の子見ると、頑張れとか思うな。頑張ってる姿は健気で可愛いとは思う」

「私も、頑張ってる女の子好きです。そういう主人公好きなんですか?」


 自分には当てはまらないが、主人公たちが頑張る姿を描くのは好きだ。描かせてくれる話を読むのも好き。


「直向きに夢に頑張ってる子、好きなんだよね。多分」

「多分って」

「いや、考えても見てよ。身近に直向きに頑張ってる奴って少なくない? 居ないわけじゃないとは思うけど、俺にそれを見せてくれる奴は少ないよ。それを見せてくれる奴には心から応援したいと思ってるけどね。勿論、伊鶴も。小説書くの、いつも応援してるから」

「そう、ですね」


 あ、そうか。

 先輩の言葉に少しだけ、嫉妬の炎が弱くなる。

 私、何してるんだろ。そう思って振り向けば、必死に私を止めてくれる理性が見えた。それは、私の小説を書きたいと思う、気持ちだった。

 告白しなければ焦っていた心が、鎮火していく。

 私は今、小説書かなきゃいけないのに。自分の恋路に夢中で、主人公のことを手放そうとしていたんだ。

 それって、なによりも物語に対して最低なことだと思う。

 何よりも清く、何よりも正しく流れてきた罪悪感は、いつもの卑屈な自己嫌悪よりもよく効いた。

 どうしようもない恋に浮かれた自分の姿は、自分が思い描いたどんな主人公たちよりも貪欲で、急性で、それでいて、醜かった。

 

「私、頑張ってないかも……」


 自分に自信がないくせに、自分が嫌いなくせに、いつも自分が、自分がと最後にはなってしまう。

 これを頑張っていると言っていいのだろうか。小説って、私にとってただの逃げ場? それだけの存在なの? 思わず私は膝を抱える。


「どうした、急に」

「先輩に応援してもらってるのに、私頑張れてないなと思って」


 小説に対して、こんなにも自分は不誠実なのかと落ち込んでしまう。

 先輩だけじゃない。泉美にも、クマにも、そしてモモちゃんにも。皆んな応援してくれていると言うのに、私は自分の恋に浮かれて溺れて。

 そんな自分が急に情けなくなってきたのだ。


「そんなことないだろ? 筆が止まってるから、そんなに弱気なの?」

「それも、あるかも……」

「あー。モチベが上がらないとか、あるよな」


 モチベがあがらないわけじゃないけど。


「そうかも、ですね」


 なんて答えていいかわからなかった。とぼけることが精一杯だった。


「じゃ、モチベ上げようぜ!」

 

 沈み始めた私に、先輩が目の前で大きく手を叩く。


「え?」


 突然、何? モチベを上げる? どういうこと?


「俺は、伊鶴は頑張ってると思うよ。小説書くために一人で生徒会室乗り込んできて、泥棒かと疑われて……」

「その話、やめてもらっていいですかっ!?」


 突然の私の恥ずかしい話をされて、今までの自己嫌悪が吹き飛ぶほどの大声を私は出した。

 いい加減、それは忘れて欲しいんだけど!


「ははは、冗談だって。でも、本気で小説書きたいと思ったから来たんだろ? それって、最大限に頑張ったことの一つじゃない? ずっと頑張るのは人間無理があるって。伊鶴は一つ一つを頑張ってるよ」

「……でも、今書けてないですよ?」

「言ったじゃん、ずっと頑張るて思ってる以上に難しいって。俺は少し休んでいいと思うけど、流石にそろそろ提出期限だろうしな」

「はい。後、少しなんです」


 期限も、小説も。


「だよな。止まってる場合じゃないもんな。そこで頑張る伊鶴さんに提案がありますっ」


 ぴっと先輩が人差し指を私に向けた。


「伊鶴が小説頑張って出せたらさ、ご褒美を俺があげます」

「ご褒美?」


 思わず私は首を傾げた。ちょっと、先輩が何を言い出したかわからない。


「そ。やっぱりご褒美が用意されてないとテンション上がらないと俺は思うわけよ。だから、テンション上げるためにこれぐらい用意しててもよくない?」

「先輩からですか!?」


 やっと、頭が現実に追いついた。

 先輩が、私に!?


「他に誰がいるんだよ」

「いや、そうですけど、先輩にはとてもお世話になってますし、水族館もお言葉に甘えてたわけですし……」

「それに上乗せするだけじゃん」

「申し訳なさすぎますっ!」


 流石にそれは。


「言ったじゃん、応援したいって。こういう形でしか応援できないけど、させてよ」

「でも、ご褒美って……」


 私に、この人は何を与えてくれるんだ。

 これ以上、何を私にくれると言うんだ。


「それなー。しょぼいけど、購買のシュークリームでどうよ? 上手いよ? それとも、帰り道にどっかのコンビニでお菓子でも奢った方がいい?」


 三百円までなと笑う先輩に、私は立ち上がった。

 そうだ。

 私は、今まで沢山のものを先輩にもらって来た。好きにならなはずがないほどに。抱えきれないほどの何かを。

 自己嫌悪をしている時間がないのは、確か。

 小説も、恋愛も。


「あのっ!」


 三百円までなら。

 それなら、ひとつだけ欲しいものがある。


「相馬先輩っ、私、シュークリームよりもお菓子とかよりも、欲しいご褒美ありますっ!」

「え、何? 欲しいものあんの?」

「はいっ!」


 そうだ。全てが終わったら。

 推し測るには十分すぎる。物語には最高のタイミングじゃないか。


「小説を出したら、先輩に聞いて欲しい事があるんですっ」


 この人が好き。今にも吐き出したい感情はもう止まらない。これを捨てることは出来ない。止めることもできない。

 でも、それと同じでこの人を応援を裏切ることなんてできない。

 だから止めることができない気持ちに、待っててもらうことにする。


「シュークリーム要らないので、話を聞いて欲しいんですっ! それじゃあ、ダメですかっ!?」


 最後まで、小説は書く。公募も諦めない。

 私が思い描いた、私が選んだ大好きなキャラクター達の物語を最後まで、書き切りたい。

 そのために、先輩との恋を諦めろとはもう言わない。やめろとも、止めろとも思わない。ただ、恋愛の熱に浮かされても、やるべきことをやるべきだし、両方捨てれないなら順番を決めるべきだ。

 先輩のことも、小説のことも好きなんだから。

 両方とも、諦めたくない。


「別にいいけど、そんなことでいいの? いつも、こうして話てるのに?」

「はいっ」

「……わかった。いいよ。明日から、手伝い来なくていいから」

「えっ」

「あ、今変な勘違いしそうになったな? 本気でやめろよ。俺なりの応援だから。小説、頑張るってことだろ? 時間、大切に使えよ」


 恋をした時、世界が滲んで見えた。全ての境界が曖昧で、全てが優しく美しく滲んでいく。そこに揺蕩う自分がいた。

 でも、今は。


「はいっ!」


 力強く引かれた強い線の上を私は歩いている。

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