第9話 真っ黒な道
『最後までプロット終わったね。順調じゃん。これなら予定より早く出せるんじゃない?』
『そんなことないよ。まだまだ書かなきゃいけないこと沢山あるし、直しがどうなるかわからないし』
『ページ数、結構上限ギリギリだもんね。削るところ出てくるかも。そう考えると、直しも入れるとちょうどいいぐらいかな?』
『うん。でも、プロットが終わってよかった。モモちゃんの助言通り同時進行で固まった場所の文章の方も書き始めてたけど、少し文章が書いてあると思うと安心するね』
『安心貯金だよね。それにしても、こんな形で第三者挟むとは思わなかったな。生徒会長の子、結構いいね。作り込む程の役柄でもないのに、よく特徴出てるよ』
『本当? 嬉しい』
若干の後ろめたさに、キーボードに触れる指がぎこちなく動く。
『キャラもいいね。イベントを起こさせるわけじゃなくて、起こったイベントに対して二人の恋愛を肯定するお兄さん的なキャラ。中々憎い使い所だね』
『うん。やっぱり、私、第三者の恋愛介入が上手く書けなくて。でも、二人だけの閉じた世界も勿論好きだけど、その世界を第三者が肯定したらもっと素敵な世界になるのかって』
『アンズらしい、演出じゃん。アンズにしか書けないよ、これ』
『良くある話だと思うけどな?』
『良くある話なんて、どこにもないよ。それにしても、意外かも。アンズは女の子の造詣が深いと思ってたけど、男の子もできるんだ』
『うん、まあ、頑張って』
そんなことはない。
なんてことはない。
『もしかして、モデルがいるとか?』
モモちゃんの鋭い追撃の後ろに、この前話した好きな人とか? の文字が読める気がする。気のせいだと思うけど、後しめたさの呪いは強い。
そうです。
当たりです。
書いてしまったのだ。思わず、自己嫌悪に似た感情によって額を机にぶつける。
先輩を、相馬先輩を、無断で出してしまった。
断じて故意ではない。恋してますけど、これだけは故意ではない。書いていくうちに、作っていくうちに、寄ってしまったのだ。
人生で初、好きな人を無意識のうちに書いてしまった。そして、信じられないことにそれを許容した自分がいる。
普通にこれは恥ずかしい。黒歴史になるのは間違いない。そう、わかっていても消せなかった。
先輩には、絶対に読ませられない。小説読ませてよと言われても、土下座をしてでも私は絶対に読ませない。
幸い、モモちゃんは先輩を知らない。だから、この気恥ずかしさは私だけ。何事もない様に振る舞えば、ああ、そうなんだで終わるはずだ。
『うん、うちの学校の生徒会長を参考にしたんだ。取材の成果かも。モモちゃんのお陰』
『そうなんだ? 仲良いのかと思っちゃった』
流石、恋愛小説の神。鋭い。
『そんなことないよ。それより、プロットのことなんだけどさ』
これ以上は危険だ。早々にこの話題を切り上げ、私はプロットの相談に移る。
浮かれて、いるのだ。
文字通り、空に浮かぶ雲に飛び乗ったように。ずっと、フワフワしている。
付き合えなくても、好きでいてもいいんだ。そう思った途端に、体は軽く、私の色が外に溶け始める。
私の色は、水を含んだ水彩画の様に、いつもと違う線の外にはみ出し続けている。薄く淡い、それでも確かな色味を持って。
古来より恋に溺れる人の事を色ボケと言うか、色に惚けるんじゃないと私は思う。色がぼやけるんだ。境界が曖昧になる様に。ぼやぼやと何も無かった透明に滲む、淡い色水の様に。
恋愛と、いうものは。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「小説の方は順調?」
「相馬先輩、それ昨日も聞かれましたよ?」
一日やそこらで変わる進捗なんてないのに。
「ここ最近ずっと、放課後俺の手伝いしてるじゃん? 大丈夫なの? って心配。最近図書館にも行かず手伝ってくれてるし」
「ああ、恩を返せるうちに返そうかなと思いまして」
「引越しでもすんの?」
「しませんよ。でも、ほら。明日はどうなるかわからないでしょ? 借りは出来れば作りたくないので」
視聴覚室に運ばれた教材を片付けながら、私は首を傾げる。
タイムリミットなんてあってないようなものだが、何事にも区切りというものはある。
私の恋心だってそうだ。許される限りは好きでいたいが、今は同じ学園内の同じ中等部に属してはいるとはきえ先輩は今年で卒業。同じ学園内でも高等部へと行ってしまう。
そうなれば、中々こうして会うことも話すこともないだろう。
それまでは、思う存分、できる限り。この人を焼き付けておきたい。
「ジュース奢って貰いましたけど?」
「あれは、あれですよ。そんなこと言ったら、私も水族館でジュース奢って貰いましたし」
「アレは一緒に写真撮ったので相殺しただろ?」
「ああ、あの写真ですね……」
思わず、遠い目になる。
あの写真写りがひどい写真ね……。
「見た? 良く撮れてただろ?」
「ええ。相馬先輩は」
私の方は、散々だった。細目で引き攣った笑顔で、妙に顔が赤い。髪だって、ボサボサ。先輩が写ってなかったら間違いなく消去していただろう。
もう一度撮るなら、もう少しマシにして写りたい。
「何? 不満? リベンジ行く?」
「い、行きませんよっ!?」
まるで自分の考えていたことが見透かされた様で恥ずかしい。
先輩は狡い。
まだ、好きでいいのか。もしかして、先輩も私の事が、もしかして、もしかしてだけど、好きなのかもしれない。そんな淡い希望の火を、消させてくれない。
「はは、冗談だって」
いつも、こうやって揺れるだけの風しかくれない。
もどかしい。けど、それを救いと思う自分がいる。
「……取材は十分できましたし、あの写真は目的ではないですし。それに、次は絶対にバッテリー忘れませんから」
「それ、絶対次も忘れるやつじゃん。何? 次はどこに取材に行くの?」
「次、ですか。何も考えてないですよ。今はまず、今書いてる話を書き切らないと」
「次の話考えてないの?」
「え? ええ。何でですか?」
まだまだ、今の話は終わらないのに。次の話なんて考えられるわけがない。
「よくあるじゃん。書いてると別の話書きたくなるとか、よくネットで見るよ?」
「ああ」
そういえば、モモちゃんも複数の作品を同時進行で書けるし、書いてる途中で別の話も考えているとよく聞く。
そういう人も、私が知らないだけで多いのだろう。
「私は無理ですね。一つ終わらないと、次のに手をつけれないタイプです」
そうか、先輩もネットとか、見るのか。
なんだか当たり前な事を先輩の口から改めて知るのは、楽しい。こと、先輩については。
こんな日が、続けばいいのに。
水族館のパネルの前で撮った、あの可愛くもない写真を思い出せなくなればいいのに。
片想いというやつは、いつも貪欲だ。だけど、いつも、消極的。突然に縮こまる。
まるで私の様に。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「あ、ごめん。筆箱忘れたかも」
音楽室からの帰り道、私は持っていたはずの筆箱が見つからずに立ち止まった。
しまった。楽譜が思ったよりも大きくて、普段使わない机の引き出しにいれたまま忘れてしまったかもしれない。
「ちょっと、戻るね」
「あらら。ついて行こうか?」
「うんん。購買部混むから、泉美は先行ってなよ」
「わかった。じゃ、またね」
「またね」
私は来た廊下を引き返し、音楽室へ向かう。
音楽室は遠い。
一年の校舎から随分と距離がある。二年の校舎を挟み、三年の校舎の四階にあるからだ。また、四階まで階段をのぼるのは骨が折れる。
しかし、文句は言ってられない。忘れたのは自分だから。
ため息混じりに階段をのぼっていると。
「伊鶴ー」
上を見上げれば相馬先輩が手を振っていた。
私は急いで周りを見渡していると、先輩が笑い出す。
「誰もいないって」
また、先輩が大きく笑う。
「おはようございます」
「昼じゃん。何? どこ行くの? 昼休みなのに」
「音楽室に筆箱忘れて……」
「うわ、それは災難だな」
「ええ、まあ……」
昼間。誰かが通るかわからない場所で先輩と話すのは初めてだ。
今まで機会がなかったのだが、何だが水族館の事を思い出して胸がドキドキする。
「ついでに一緒に俺の教室寄って飯食ってく?」
「食べませんよっ!?」
慌てて、お弁当は教室にあって、友達と食べるからと取ってつけたような言い訳が次から次へと飛び出していると、先輩がまた笑った。
何だ? いつも私よりは愛想があるけど、何かずっと笑ってない?
「冗談だって」
「……相馬先輩、何かいいことあったんですか?」
「え?」
「ずっと、笑ってません? いいことあったのかなって……」
あれ? これ、どこかで聞いたことのある、やりとり。
「え? 俺、そんな笑ってる?」
「ニヤニヤしてます」
「そこはニコニコって言えよ。顔の問題じゃん」
私も同じだったのかな。
こんな風に笑ってたのかな。
「ま、いい事あったのは変わりないけどな。ついさっきね」
「何があったんですか?」
「何って、い……」
その時だ。
「雄也ー、そこで何やってんのー!?」
廊下の奥から知らない声が聞こえてる。
「飯食わんのー!?」
「食うー! わるい、伊鶴。俺いくよ」
「あ、はい。お気をつけて」
「学校で? ありがと、気をつけるな」
小さく手を振り見送る。先輩が去った後、こっそり廊下に顔を出した。知らない三年生が沢山いる廊下で、相馬先輩だけが輝いて見える。
これだけ沢山人がいるというのに。なんて不思議な感覚なんだろう。
同じなら、いいのに。
知らない先輩達囲まれてて、知らない顔で笑う相馬先輩を見ながら、私の胸の中で何かが弾ける。
周りにいる友達も、性格も、性別も、全部違う。
でも、それでも。同じならいいのに。
私が、先輩に会えて嬉しかった気持ちが、同じならいいのに。
同じ景色を、同じ道で、同じ色を見ていたい。
あの、平面水槽の外へ、飛び出したい。
傲慢で卑屈な顔をした片想いを、あの写真の中に置いていきたい。
私はそっと先輩に背を向けて、階段を駆け上がる。
好きでいたい、諦めたい、今の関係のままでいたい、それだけでいい、好きになって欲しい、一緒にいて欲しい、このままで、終わりたくない。
ずっと、始めから終わりまで一人でいるつもりだった。
相手のいないワルツを踊る様に、クルクルと前へ後ろへ。自分の中で、一人勝手に踊り狂っていたのに。
それなのに、弾けてしまった。
恋心が私の胸で弾けてしまった。
その弾みで、一人で勝手に踊るダンスホールが崩れ堕ちる。
堕ちた先に、先輩がいればいいのに。そう思っていたのに、今は違う。
堕ちた先に、先輩がいて欲しい。
階段をのぼきり、音楽室に駆け込むと私は深呼吸をする。
「告白、しよう……」
ダメでも。無理でも、わかっていても。どれだけ怖くても、苦しくても。
お行儀よく引いた線の中には、もう止まれない。もう、色は滲みはみ出している。
私は決意を胸に、引き出しに入っていた筆箱を握りしめる。
あの小説を書き切って、賞に出したら。全てをやりきったら、告白しよう。
なんて言われてもいい。困った顔をさせてもいい。その時だけは、私の我儘を突き通したい。
こんな気持ち、初めてだ。
怖いのに、誇らしい。止めたいのに、進みたい。ちぐはぐで、自分勝手で、それでも尚、恥ずかしさよりもそれでいいと嬉しそうに笑う自分がいる。
未知の道に飛び込む様に、私は音楽室を出て廊下に飛び出す。
その時だ。
近くの女子トイレから出てきた先輩たちの話し声が耳に入ったのは。
「雄也会長、佐藤と付き合ったって聞いた?」
「聞いた。あり得なくない? 今日クラスに来て告白したらしいよ」
「一年のくせにね」
「何で雄馬会長もオッケーだすかな。やっぱり、顔かー?」
「佐藤、顔だけはいいからなー。この前は烏丸に声かけてたし、好き放題しすぎじゃない? あの女」
「うざーい」
え?
私は耳を疑った。でも、それは疑う必要がないぐらいはっきりと、私の耳に届いていた。
一言一言を理解するたびに、足が沼にはまってしまった感覚を覚える。
やっと、好きだと思ったのに。
やっと、前に進もうと思ったのに。
やっと、告白しようとしていたのに。
未知の道が、絶望の道へと色を変えていく。
ああ、目の前が暗くなる。
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