第19話 思案

「どうするか」ヴァンがレザルを見る。

「俺に聞かれても……そもそも最初に言い出したのはヴァンだろう。何か案はないのか」

 レザルが不満げにいう。

「あーもう、こんなに考えてるのに全然思い浮かばない。ヴァンのダメ出し、キツすぎるよ」

 とうとうフロイはさじを投げたようにため息をつく。

 労働を終え、房のなかで身を寄せる三つの影。レザル、フロイ、ヴァン――三人の視線の先は地面に向かっていた。わずかな灯りを頼りに、土を削って文字が書いてある。それは先刻考えた脱獄案だった。もし誰かが来たとしてもつるはしで書いた文字ならすぐに消えるから、とフロイが言い出したのだ。

 ヴァンだって分かっていた。脱獄をするなら早いほうがいい。誰かに悟られる前に行動に出るのは当然である。だが、一方で慎重である必要もある。場当たり的な対応ではそもそも脱獄など到底不可能なのだから。

 そういうわけで各自アイデアを出し合うことになった。レザルもフロイも思いつくまま案を挙げていった。しかし、その文字列は全てにおいて上から大きく線が引かれている。

 今もまた線が一つ増えた。ヴァンはつるはしを地面に置く。

「みんな、もう少し真剣に考えてくれないか」

 すると、フロイはむっとした顔で、「考えてはいるよ。でも、ヴァンがことごとく否定するからさ」

「それは、現実に不可能だと思ったからだ。実現できるなら否定はしない」

「実際」とレザル。「出入り口は何カ所あるんだ。この鉱山はとてつもなく広いだろう。有事のとき一つだったら都合が悪いはずだ。でも俺たちは限られた場所しか行き来できない。思い出せるだけだと、ここに来る前に通った一つと、それから……」

「二カ所。少なくとも二カ所はある」ヴァンが遮っていった。

「二カ所? 俺の記憶にはなかったが」

「運動場さ」

 ヴァンがいうと、レザルは「そうか」と手を叩く。

 自由ではないが、囚人には定期的に運動が許されていた。鉱山において唯一、日の光が注ぐ開けた空間で、ヴァンたちのいる地下深くから地上までが吹き抜けになっていた。そう聞くとこの劣悪な環境で珍しい配慮だと思うだろう。しかし、なにも善意からバルザイが仕向けたということではなかった。そこには日の光を浴びないと倒れる囚人が出てくるという背景がある、とヴァンはかつての相棒――チーノから聞いていた。

 ヴァンは苦笑する。人の健康を心配するならば、そもそも強制労働自体がおかしな話である。そして、ヴァンが苦笑を浮かべたのはもう一つの理由があったからだった。

「ま、無理だろうがな。今のは冗談みたいなものだ」ヴァンはそっけなくいった。

「どうして。最高のアイデアだと思うけど」フロイが首を傾げる。

「あの高さを登るのは正気の沙汰じゃない。落ちたら即死だろう」

「ここにいたってどうせ死ぬんでしょ。だったら、やってみないと」

「やってみなくても分かることはある。第一、どうやって上まで登るんだ。ロープも何もないし、あったとしても労働の後で必ず数を確認されるだろう」

「それは……」フロイは肩を落とす。「確かに考えてないよ。でも」

「昇降機は?」とレザルは指を鳴らす。「運動場が無理なら、バルザイが使っていた昇降機があるだろ。それを乗っ取って一つ目の出入り口を使うんだ」

「それも無理だろう」

「どうして」レザルが聞く。

 ヴァンは苛立ちながら、「鉱石の力を見てなかったか。あの昇降機の動力は風の鉱石だ。それがないとビクともしない。そして、それを手に入れるには――」

「バルザイを倒すしかない――ヴァンはそういいたいんだね」フロイが引き継ぐ。

「ああ」ヴァンは頷いた。

 風の鉱石を奪う――その案はもっとも初めに思いついたものだったが、ヴァンはすぐに自分のなかで却下していた。風の鉱石を持ったバルザイに敵はいない。あの体躯に筋肉。この鉱山の全ての移民、労働者を合わせて立ち向かっても勝てる見込みはないだろう。

「じゃあ、どうすればいいんだ……」レザルは額をもみほぐす。

 風の鉱石を手に入れる方法は他にもあった。つまり、看守から奪うということだ。

 鉱山では風の鉱石を運搬するのに鉱石の力を使っていた。恐らくバルザイによって指名された看守だろうが、彼らは大量の鉱石を運搬する役目を担っていた。鉱石を取るために鉱石を使うというのは一見矛盾しているようだ。しかし、使用量は鉱石を無駄にしない最小限のようであったし、そもそも鉱石の力がないと地上へ運ぶことは困難だと、ヴァンは看守を観察しているなかで理解していた。

 そういうわけで、看守が持っている鉱石が入ったペンダントを奪うのが、少なくともバルザイを襲うよりは現実的であった。しかし、ここにも更なる問題がある。そもそも、気づかれずに看守からペンダントを盗むなど不可能であるし、できたとしても機能するか確証がないのである。

「ともかく、もっと人を集めないと」フロイがいう。

「集めるって」ヴァンが振り向く。

「協力者だよ。三人じゃ何をするにも難しいでしょ」

「それは、ダメだ……。俺とチーノのことを忘れたのか。脱獄のことは口外できない」

「いい加減にしろよ!」ヴァンがいった瞬間だった。レザルが声を荒らげる。

「脱獄をいいだしたのはヴァンだろ。確かに裏切られる危険性はある。この鉱山にはそういう輩がうろうろしているのは、俺だって充分知ってる。でもな、それで何もしないのはどうなんだ。手を拱いていると、タイミングなんて永遠にやってこない」

 ヴァンは答えられなかった。協力者を誘い、もしも裏切られてしまったら。その懸念だけではなかった。場合によっては、これから二人を裏切ることになる――その良心が痛んだのだった。

「それとも……なんだ他に理由があるのか」レザルが詰め寄る。

 フロイが不安げにヴァンを見つめている。

「それは……」ヴァンは言葉に詰まる。

 何かいうべきだった。二人に疑われて、見抜かれてしまっては計画は水の泡。サリュの元に帰るのどころか、自分の命さえも危ない。

 俺は帰るのだ……。

 ヴァンの手に自然に力が入る。そもそも、こいつらだって善人ぶっているだけで本当は悪人かもしれないのだ。チーノと同じ。最初は油断させて、最後に裏切る。そうでない確証がどこにある?

「分かった。協力者を探そう」

 ヴァンがいうと、二人の表情がふっと緩んだ。

「その代わり、俺にやらせてほしい。一つ考えがあるんだ」

 二人の緩んだ表情は、またしても怪訝な表情に変わった。

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