第18話 意味
「レザル?」
フロイが聞くと、レザルは唇の前に指を当て、「誰かに聞こえていないか確認してるんだ」といって、房の外を窺っていた。そうして、レザルは戻ってきて、大きなため息をついた。
レザルはヴァンを見据える。そして、ヴァンの腕を一瞥して、「アンタのそのタトゥー、ウェビナーの町のものか」
「急にどうしたんだ」
「なあに、気になっただけだ。他意はない」
ヴァンは頷くが、内心かなり驚いていた。ルデカルならまだしも、こんなところで故郷の名を聞くとは思わなかった。もしかすると、レザルは故郷の近くの出身なのかもしれない。淡い期待を抱き、ヴァンはレザルに答えた。
「町の中心に生えている大木から飛び降りたとき入れてもらった。馬鹿らしいが、一人前になるのに必要な儀式なんだ。イニシエーションってやつかな。……だが、どうして知ってるんだ」
「前の房にいた奴が同じデザインのタトゥーを入れていたんだ。そいつがいっていた。錨や虎のタトゥーなら見たことはあるが木となるとさっぱり見かけない」
「おかしいか」
「そういうわけじゃない。ただ、珍しいってだけだ」レザルが笑う。ヴァンからしてみれば、レザルの笑みの方が珍しかった。
「そういうレザルはどうなんだ。果物でも書いてあるのか」
ヴァンは軽口を叩く。しかし、予想に反してレザルは気まずそうに、「似たようなものだ」と服をまくり上げる。レザルの背中には炎が描いてあった。普通、タトゥーは某かの意味が隠されている。ヴァンのタトゥーならば一人前の証として大木が。もちろん、それだけでは不足しているので、装飾や構図、日時でいわんとしていることが分かるようになっている。けれど、レザルにはそれが見当たらない。ただ、大きな炎が描かれているだけ。
「これは、何を示してるんだ」ヴァンは率直に聞いた。「炎に関係する儀式なんだろうが、まったく分からないな。炎のなかに飛び込むわけでもあるまいし。何かの隠喩になっているのか?」
すると、レザルは大きく笑った。「そんな高尚なものじゃないね。これはファッションだ」
「ファッション? そんなことがあるのか」ヴァンは驚いた。
「なんでもかんでも通過儀礼に結びつけない方がいい。それはアンタの町の常識だろ。ウチではそんな常識はなかったんだ。タトゥーはただのファッション。ま、むかしはそういう習慣もあったらしいがね。俺が生まれる前に、とうに廃れたみたいだ」レザルは得意げにいった。
「そうだったのか」ヴァンは感嘆した。移民はみなタトゥーが入っていることは知っていた。だからこそルデカルの民に差別される。ただ、タトゥーの背景が異なるとは思わなかった。移民のタトゥーはみな町のしきたりで強制的に入れられるものだと思っていた。
「といっても」とレザル。「俺はこのタトゥーを入れて失敗したと思ってるけどな」
「どうして」
「だって、アンタみたいな奴に聞かれたとき説明が面倒なんだ。大多数は出自や功績を顕すタトゥーだろう? だけど、俺はファッション。特に意味はない。そういうと、決まってみんな首を捻るんだ。そんなの聞いたことがないって。聞いたのは相手のくせに」
レザルは不満そうに続ける。
「それにデザインも気に入っていないんだ。当時の仲間にそそのかされて入れたが、後になってみればもっといいデザインにすべきだったと、後悔してる」
「果物とか、か」ヴァンは軽口を叩く。
「ああ。リンゴでも入れたかったな」レザルも冗談で返す。
「ちょっと、二人とも。僕を置いてけぼりにしないでよ!」
そのとき、フロイが仲間はずれにされたといって、会話に割り込んだ。ヴァンの答えを待たず、「僕のタトゥーを見てよ」とフロイは足首を露わにする。ヴァンはしぶしぶフロイの足に目を向ける。少年というのを考慮しても、男にしては細い足首だと思った。が、それよりもそこに描かれていたタトゥーに引き込まれた。
「分かる?」フロイが試すようにいった。「このタトゥーの意味」
「いや、それは……」
フロイの問いかけに、ヴァンは唸ってしまう。円や方形などいくつもの図形が組み合わされた幾何学模様だった。ヴァンやレザルのそれと明らかに異なった。デザインはもとより、色も黒よりも灰に近い色。しかし、それが分かったところで、当然タトゥー自体の意味に辿りつくことはできなかった。ヴァンは首を捻る。下手すると、いや下手しなくてもレザルよりも難解だった。
永遠に答えが出ないと察したのか、フロイは「生まれた時と場所、名前なんだって」と他人事のようにいった。
「その図形にそんな意味があるのか」
ヴァンは驚いた。世の中には知らないことがたくさんあることに改めて気づかされた。図形が言葉を表すなんて。
ヴァンはその驚きを素直に伝えた。だが、フロイの反応は鈍い。おかしく思っていると、「掘ってくれた村の偉い人がいってただけなんだけどね」と頬を赤らめる。
「なんだそれは」
「言葉通りだよ。その人が、『このタトゥーには故郷の象徴と繁栄、星から導いた日付を込めた』っていってたんだ。僕はすごく感心して、村の人に見せたんだ。でも、誰も分からなかった。結局、彫った人にしか分からなかったんだ」
「つまり、意味の分からないタトゥーが入っているのか」ヴァンは愕然とした。
「うん、そういうこと。僕だけじゃなくて、村の人みんな言いくるめられたよ。それなりに偉いから反論もできなくて。そういうわけだから、レザルじゃないけど、鉱山でお互いのタトゥーを語るとき困っちゃって」
ヴァンはフロイと顔を見合わせる。かけるべき言葉が見つからなかった。意味の分からないタトゥーが入っているなんて、ヴァンのこれまでの生き方では考えられなかった。
吹き出したのはレザルだった。目が点になっているヴァンの顔に、笑いを堪えられなかったようだった。ヴァンもフロイも、そのレザルにつられて笑ったが、ここが房であることを思い出し、慌てて口を押さえた。そうして、笑いをかみ殺すと、また笑いが込みあげてくる。
どうにかして、笑い声を抑えると、ヴァンは二人に向きなおった。改めて話をする必要があった。それぞれの故郷のことや両親のこと、これまでの暮らしのこと。年は一つか二つほどしか違わないようで、話してみると馬が合うことが分かった。
レザルはふっと笑みを零す。「どうやら俺は誤解していたようだ」
「誤解?」
「ああ。妹のことを話すアンタが嘘をついているようには見えない」
「さっきはずいぶんな言い草だったが、人が変わったみたいだ」
ヴァンの指摘にレザルは顔を背ける。「別に。アンタが信頼に足る人間だと分かっただけさ」
そうはいうものの、正論をぶつけられて焦っているようだった。
「さて」と、レザルは改まった態度で、「アンタにだけ話されちゃこっちの立場がない。俺のことも話すとしよう」と地面にドサリと腰を下ろす。
「俺は自分から捕まりに行ったんだ」
思いも寄らなかったことを、レザルはいった。
「自分から? どうしてそんな無茶なことを」
「簡単だ。バルザイを殺すためだ」レザルは暗い笑みを浮かべた。「俺の兄はバルザイに殺されたんだ。この鉱山で。俺より早く捕まってしまって。だから、その復讐をするためにここにいるんだ。俺はそれまで死ねない。絶対に」
レザルは地面を拳で叩いた。
「フロイは知ってるのか」
「うん。知ってるよ。この房で一緒になってから、レザル、ずっといってる」
当たり前のように、フロイはいったが、ヴァンには信じられなかった。
サリュのことを話したことで、レザルの信用を得られたのはよかった。たぶん、亡くなった兄を持つレザルと、安否不明のサリュを持つ自分とで共感する部分があったのだと思う。だが、レザルの企みについては同意できない。あのバルザイを殺すなんて、無謀もいいところ。鉱石の力を見たのだ。バルザイを殺すのは、脱獄よりも難しいと肌で感じていた。
ヴァンは脳に霞がかかったかのように、ぼうっとしていたが、フロイの明るい声に強引に引き戻される。
「じゃあ、僕も告白しようかなーー実は僕、女の子なんだ」
「はっ?」
「女の子。男と女の、おんな」
「それは分かるが……」
「信じないなら証拠を見せようか? ヴァンも見せてくれたことだしね」
「いや、そこまでは――」
「遠慮しないでよ」
フロイが迫り、ヴァンは華麗に身を躱す。困惑したヴァンをよそに、視界の端でレザルが笑いを噛み殺している。この様子だとレザルは最初から知っていたらしい。だが、どうしてそんなことを? ヴァンが疑問を口にすると、諦めたようにフロイは立ち止まり、「この鉱山では二種類の労働者がいるっていうのは分かるよね」
「ああ」ヴァンは頷いた。
一つはヴァンたち採掘を担当する労働者、もう一つはその労働者たちの生活を支える支持労働者である。入ったばかりであっても、それくらいは知っている。
「そっか。さすがに分かってるよね。じゃあ、商店とか食堂の人が一生解放されないのは知ってる?」
「それは……知らなかった。だが、女子供、それに老人が多いとは思っていたが……もしかして」
ヴァンの気づきに、フロイが「ご名答」と明るくいった。
「そ。それで男の子を装っているわけ。男の子は採掘、それ以外は支持労働者に分けられちゃうからね。まあ、結局鉱山で働いてもダメって分かっちゃったんだけど。そういうわけだから、僕はヴァンの話に乗ろうと思う」
「フロイ!」レザルが驚いたようにいった。
「だって、じっとしてても何も変わらないんでしょ。だったら、動かないと。ね、いいでしょ、ヴァン」
「そういってもらえると心強い」
「おい!」レザルがいった。「確かにコイツはいい奴だ。でも、脱獄に協力するのは別問題だろう」
「でも、もう僕いっちゃったし。いった言葉は引っ込められないよ」
フロイがとぼけたようにいった。
「どうする?」とヴァンはレザルに目を向ける。「これでフロイは協力してくれることになった。願わくばレザルの力も貸してほしところだが、強要はできない。仕方ない。二人だけでも計画を立てるとしよう」
レザルは額をもみほぐし、しばらく悩んでいたようだったが、やがて覚悟を決めたように「分かった、分かったよ。俺も乗ろう」と渋々いった。
「よかった。これで成立だね」
「ありがとう」
ヴァンは力強く頷いた。
予定通りに事が進んで、ヴァンは安堵していた。鉱山の真実を伝えることで、フロイが協力することは分かりきっていた。ひとつには、フロイの行動原理が他の鉱山労働者とさして変わらないという推測があり、もうひとつには、ヴァンへの恩を感じている点があった。ヴァンはフロイを救っていたから、説得すればこちら側に引きこめると思っていた。といっても、結果的にはフロイ自ら計画への参加を志願してきたが……。
それに対して、レザルの方は簡単にはいかないと分かっていた。気難しい性格をどう納得させるか頭を抱えた。だか、フロイがいる以上迂闊な真似はしないと思えた。おそらくレザルはフロイを止めながらも、消極的な賛成をするだろうと見込んでいた。
万事解決だった。
ヴァンは最後には彼らを出し抜こうと考えていた。
罵られようとも構わない。生きるか、死ぬかの問題なのだ。
誰も信じるな。また裏切られるかもしれない。――そう、心の奥から声が聞こえてきたから。
ジオジーはどうだったか。チーノはどうだったか。――彼らの顔が何度も頭をよぎったから。
一日の始まりを告げる音が鳴り、フロイたちは支度をして、房から出ていく。
「ほら、ヴァンさんも」
「ああ」
ヴァンは頷く。仕事道具を携えて、今日も採掘に向かう。
――信用できる人間なんてこの鉱山にいないのだ……。
レザルとフロイは、労働者の列に紛れて、小声で何やら話している。きっと、脱獄方法に考えを巡らせているのだろう。もしかしたら、二人にとっては息抜き的な意味合いもあるかもしれない。鉱山内には娯楽などない。あっても賭け事くらいだ。脱出計画を考えることは、彼らの日常にほんの少しの希望をもたらすのだろうか。たとえ、それが叶わない願いだとしても。
だが、自分は違う。叶うとか、願うとか、誓うとか、そんな貧弱な気持ちではない。
絶対に、脱獄するのだ。
前を進むレザルとフロイの浮かれきった顔をよそに、ヴァンはいっそう表情を引き締めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます