第10話 労働
房に取り残されたヴァンは心のなかでバルザイの言葉を反芻していた。生きたければ、人を信じないこと。バルザイがなぜそんなことをいったのかまるで分からなかった。外の街についてならばいわんとしていることが理解できる。ルデカルには差別が横溢している。鉱山法により移民の大多数が消え去った今も差別はなくなるどころか、市民感情は悪化していた。ルデカル市民ははまだ隠れている移民を最後の一人になるまで収容せんと動いているのだ。そういうわけだから、密告は日常的であり続け、だからこそむやみに人を信じることは命取りになりかねない。
けれど、この鉱山内にいるのは同じ境遇の移民である。差別される側の集合体だ。同じ故郷の血が流れているのならば信じたい気持ちがあるのは心情として当然だった。もちろん、なかには食堂で会った彼らやこの房にいる、お世辞にも堅気とはいえない者だっている。実際、彼らは乱暴であった。それでも、彼らは彼らなりの論理があるし、根本は出自の同じ移民である。
バルザイはグループ内でもっとも鉱石を上げた人物に報奨――すなわち鉱山からの解放を約束した。それは月内に一人であるが、だからといって協力を拒む理由にはならない。たとえ出られるのが一人であっても、次の月を待てばよいのだ。協力により士気が上がれば、それだけよい鉱石が採掘できるし、その結果解放される可能性も高くなる。説得すれば協力できる関係になれると思いたかった。
……しかし、その考えが覆されるのに時間はかからなかった。同じグループ内にかかわらず、誰もヴァンに近づく者はなかった。誰もがヴァンを疎み、関わり合いを避けていた。どうして避けられているかヴァンにはまるで分からなかった。その答えが分かったのは、同房の男の噂を盗み聞きしたからであった。ヴァンは食堂でごろつきから少年を救ったことで、厄介な人間であると思われていた。誰しもあのバルザイに目をつけられたくはない。ヴァンが経緯を説明しようとしても、聞く耳を持たず皆が遠ざかっていく。
ヴァンは誰とも打ち解けられず、常に一人でいた。
他の街の同様のシステムになぞらえて、便宜上看守が自分たちのことを「囚人」と呼ぶことには慣れた。根も葉もない噂をされることも、無視されることにも慣れた。だが、孤独は苦痛だった。そして労働も、同様に。
鉱山での一日は、時間が間延びしたかのように長く感じた。朝――そもそも房は常に暗いから朝かも定かでないが、寝て数刻経たないうちに看守の点呼により起こされた。疲れた体をいたわる時間もなかった。そうして作業場に移動し、採掘が始まる。
地面は硬く、手の痛みは強かった。額に汗の玉が流れ落ちる。何度つるはしをを振り下ろしても、目的の鉱石は見つからなかった。それもこれもかつてルデカルを治めた為政者のせいだ、とヴァンは顔を歪めた。
かつて為政者は復活する飛行生物を制御できず、洞窟の奥深くに埋葬した。やがて、飛行生物は蘇って洞窟内を暴れ回り、その結果洞窟が広くなっていった。その後どういう経緯で飛行生物が鉱石化したかは定かではないが、一ついえることは、飛行生物が暴れたおかげでヴァンは狭い鉱山内でつるはしを振り下ろしているということである。
とはいえ、せめてもの幸運は飛行生物が鉱山の外に出てこなかったことだ。もしそうなっていたら、ルデカルは壊滅に陥っていただろうし、ヴァンがこれまで生きてこられた保証もない。あくまで推測でしかないが、飛行生物は暗闇に弱かったのだと考えられた。実際、鉱山内にいると目が悪くなってくるように感じられるのも決して錯覚ではないだろう。だが、それでも……為政者も余計なことをしたものだ、とヴァンは思わざるを得なかった。街の損壊を防ぐためとはいえ、もしも埋めなかったら、今この場にいることはなかったのだから。
鉱山労働は異常なまでの過酷さだった。鉱山内は蒸し暑く息苦しかった。開けた空間になっている場所は限られていて、ヴァンの作業場は狭く足場も悪かった。灯りがあるとはいえ、照らされている範囲は限られているから視界もずっと悪かった。外の日雇いとは比べものにならない。それで得る賃金もわずか。バルザイは賃金を与えるといっていたが、雀の涙であった。これでどう生活すればよいのだ?
それに加えて、看守による暴力には耐えられなかった。看守はヴァンたち「囚人」にノルマを達成した。どう考えても達成困難なのに、できないと問答無用で看守は打擲する。容赦はない。青あざ、ミミズ腫れ。ヴァンの体は日に日に傷だらけになっていった。だが、この場所では傷は移民が自らの体に刻んだタトゥーのように、あって当然のものだった。看守による暴力を受けたことのない者など一人もいない。だから、誰も他人を気にかける余裕などないのだ。 作業場へ行く途中、時々死体を見かけることがあった。最初のうちは驚いていたが、次第に死体も見慣れていった。疲れ切った顔をしてそのまま死んでいる男。土を入れておく麻袋かと思ったら老人だったこともある。一度、看守に殴られた勢いで首を折った者もいた。周囲の労働者は黙って指をくわえていることしかできなかった。この異常な状況下では反旗を翻そうなどと思う輩はいないのであった。
ヴァンは改めて決意した。外に出よう。俺は必ず勝者になってみせる。そして、必ずサリュたちとの生活に戻る。
そのためにはどうすべきか? 明滅する灯りを横目に見ながら、ヴァンは考えた。
現在ヴァンがいる作業場にはおよそ三十人ほどの移民労働者が作業していた。狭い坑道でほぼ一列に並び、看守からの罰をいかに避けようかと、採掘に勤しんでいる。看守は常時二人体制で巡回していた。人数が不足しているわけではなく、坑道の狭さを考えると適切な人員を配置しているようだった。
ヴァンは肩越しにちらりと看守を振り返った。看守は話しながらヴァンに背を向けていた。逆らうものがいないから完全に気を抜いている。ここにいる移民は抵抗する力を持たない。長い間、打擲されていたから反逆しようなどと考えることはないのだろう。
だが、俺は違う。ヴァンは持っていたつるはしに力を込める。二人なら力ずくでなんとかできるかもしれない。イチかバチか――。
そのとき、ヴァンは背後に気配を感じた。
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