第8話 悪漢
広場を抜けてしばらく歩くと商店がある通りに出た。ヴァンは強い既視感を覚えたが、それはルデカルの街をモデルにしているにほかならない。本当に地上と同じ生活が営まれているようだった。ヴァンは右手にある食堂のような建物を見る。サイコロを振って賭け事をしている男がいて、料理の味付けに文句をいっている男もいる。
変わらない。自分の知っているルデカルの街と恐ろしいほど変わらなかった。見慣れた光景を懐かしむかのように、ヴァンが観察していると、
「おい! どうしてくれるんだよ」
突然、大きな声がした。ヴァンは声の元に視線を向ける。
「すみませんすみません」
「すみませんじゃねぇよ! あーあ、こんなに汚しちまって」
声は食堂の一角にあるテーブルから聞こえてきた。テーブルの食器が地面に落ちて、料理がまき散らされている。
柄の悪い男たちが少年を囲んでいた。何事だろうかと、ヴァンは視線を送り、少年の姿に息をのんだ。青く澄んだ目、短く滑らかな金髪、線の細いシルエット。まるで貴族の子息のようで、この場には不釣り合いな容姿であった。その少年が引きつった顔をして謝り続けている。
「ほ、本当にごめんなさい。チャムチャムが興奮したみたいで」
「チャムチャム!? 誰だそりゃ」
「はい」少年は頭を掻いた。「僕のペットです。チャムチャムは赤色に興奮するんです。それで、目を離した隙に動いちゃったみたいで」
と、少年の後ろから小さな何かが跳ねた。全身が白く、綿毛を集めたような不思議な生き物がバタバタと暴れている。大きさはスイカくらいででっぷりと丸い。チャムチャムという生き物は聞いたことがなかったから、ペットの類いだろうとヴァンは推測した。それが男の一人が身につけていた装飾品に反応したのだ。少年は白い生物の背を撫でて、「大丈夫だからね」と落ち着かせている。
「おい」と男が再び声を荒らげる。「チャムチャムだか何だか知らねぇが、そんな理由聞いてねぇんだよ!! どうやって落とし前つけるかって話しじゃねえか。アニキの服をどうしてくれるんだよ」
男の一人がアニキと慕う人物の着ている服を指さす。ボロボロの衣服の胸元に、薄茶色の染みができていた。どうやら、少年のペットがリーダー格の男の衣服を汚してしまったらしかった。
食堂の雰囲気は一変していた。トラブルは避けたいと、食事を手早く終えて客たちが退散していく。なかにはその場を動かず、とっくに空っぽになったスープを見つめている客もいた。その場の緊張感に対して、ヴァンの視線は冷静だった。
別に珍しくないことだ。ルデカルでもごろつきの類いは見てきた。実際、そういう人を助けたことで警備兵に世話になったこともある。それこそ今回みたいに詰め所にいるジオジーに呼び出されたように。厄介事はごめんだった。だが、それでも見過ごさなかったのは、少年が気がかりだったからだ。なにせ、少年は背中を曲げて、ずっと頭を下げているのに男は許す気配を見せない。解決の糸口が見えないトラブルは最終的にどうなるか、ヴァンは身をもって知っている。――暴力だ。
ヴァンは溜まらず、バルザイを見た。「助けないでいいのか」
「助ける?」バルザイはとぼけたように首を傾げる。「どうしてです。ここは移民の方々の街です。移民の方々が地力で解決すべきでしょう」
まるで闘技場で余興を楽しむかのようにいった。
「そうやって放っておいて治安が悪くならないのか」
「放っておくとは人聞きが悪いですね……。別に冷たくしているわけではないですよ。あくまで私は干渉しないようにしているんです。それに、どうしようもないときは看守もいますし」
ヴァンはバルザイの視線の先を見た。看守というのは、先ほど身体検査をしてきた軽装の男たちのことのようだ。彼らが路地から目を光らせている。だが、一向に動こうとしないのはどういうつもりなのか。
「アンタの手下はサボっているようだが」
「違いますよ。私は、どうしようもないときといいました。それはつまり、反乱のような大きな出来事以外では活動しないということです」
ヴァンは目を見開いた。「じゃあ、見殺しにするのか……?」
「違います。移民の方たちの自治能力に任せているんです」バルザイは冷たくいう。
もちろん、自治が大事なのは分かっている。ここは移民の街だ。しかし、そうはいっても、少年は危ない状況だった。手下たちは声を荒らげ、少年に今にも掴みかかろうとせん勢いだ。
男がテーブルを叩き、少年を追い詰める。「お前の事情なんぞどうでもいい。弁償できるのかって話だろうが!!!」
「それは……ええと」少年は怯えている。
「あぁん!?」
「ひぃ」少年は小さく悲鳴を上げる。「お金は待っていただけたら必ず払いますから」
金と聞いて、ふん、と男は鼻を鳴らす。
「逃げないって保証はあるのかよ」
「絶対に逃げません。必ず支払います……だから今回だけは見逃していただけませんか」
男はしばし考えて、「どうします、アニキ」と隣の男に問いかけた。
「そうだな……」アニキと呼ばれた男はつまらなそうに顎を触る。「なら、それまでこいつを預かっておこう」
男のゴツゴツした手が少年のペットに伸びた。
「あっ……やめてください! チャムチャムは家族なんです」少年は必死にいうが、力の差は歴然だった。少年は手下に羽交い締めにされ、すぐにペットは奪い取られる。
「すぐに払えねぇっていうんなら当然だろ。あるいは――」男は舌なめずりして、「こいつの命で払うとかな」と、下品に笑う。
リーダー格の男が顎でしゃくると、手下の一人が鈍く光るものを取りだした。自家製のナイフのようだった。ちょうどバルザイの死角になっている位置で、少年のペットに突きつける。
「やめて!」少年は叫ぶ。だが、ごろつきは無視する。
ヴァンはその様子を黙って見ていられなかった。反吐が出そうだった。
「さあ、行きましょう」バルザイがいう。
しかし、ヴァンの耳には届いていなかった。反射だった。ヴァンはポケットに手を入れて、なかの物を男に投げつけた。放物線を描いて、男のこめかみに直撃する。男はこめかみを押さえながらよろめき、ヴァンを睨む。辺りが静まり返った。口を挟む者はいなかった。手下であろうが許されない、男の凄みを感じた。
「何しやがる」
ヴァンは怯まず、男に近づく。「その子は嫌がってる。放してやれ」
「お前には関係ないだろ。それとも、こいつの代わりに弁償してくれるっていうのか」
「ああ」
ヴァンが短くいうと、一斉に馬鹿にしたような笑いが起きた。だが、ヴァンは至って真面目に、「嘘じゃないぜ。その袋を見てみろよ。そこに金が入っている」
リーダー格の男の笑みが引っ込み、「おい、確認しろ」と、手下の男にいう。
ヴァンが投げたのは金だった。ルデカルで稼いだ生活費は、ここでの生活でも必要だからと身体検査でも没収されなかったのだ。袋に入っていたのがヴァンの全財産だった。
「本物です」手下がいって、袋を両手で渡す。
「お前、こんな金一体どこから……」
リーダー格の男は呟いたが、ヴァンの全身を検分し「なるほどな」と、訳知り顔をする。
「お前、新入りだな」男が笑った。
「だったら何だ」
男は肩をすくめる。「別に何てことはねぇ。ただ、持ち金全部を渡すなんて命を捨てたようなものだ。これからどうするんだ」
「アンタに心配されることじゃない」
すると、汚い歯を覗かせて男は吹き出した。「馬鹿な奴だ。ここでの生活に金は必要ないと思ってでもいるのか。だとしたら相当な間抜けだな。いいか――」と言いかけて男の顔が凍りついた。
男の視線の先にはバルザイがいた。男は眉間に皺を寄せたものの、何をいうでもなく口をつぐんだ。いくら自治を許されているといっても責任者たるバルザイを前にしては都合が悪いらしかった。
「どうした」ヴァンが訊ねる。
それには男は答えず、唾を地面に吐き捨てた。「……まあいい。今回だけは見逃してやる。だが、二度と俺の目の前に現れるんじゃねぇぞ」
男は肩を怒らせ、手下とともに去っていく。男たちが視界から消えたのをきっかけに、ヴァンは大きな息をついた。
どうして男が呆気なく退散したのかは分からないが、大事にならずに解決できたことは喜ぶべきであった。いつもこうならばいいのだけれど――ヴァンは胸をなで下ろすが、落ち着く暇はなかった。それまで隠れていた移民が、ひょっこりと頭を突き出しヴァンを窺っていた。いつの間にか、ヴァンは注目の的になっていた。これ以上ここにいたらもっと騒がしいことになる。ヴァンは顔を伏せ、目立たないようにバルザイの元に戻ろうとする。
そのとき、「あの……」と誰かに呼びとめられた。肩越しにヴァンが振り返ると、先ほどの少年がいた。遠目には気づかなかったが、その青い目は深海から取りだした希少資源のように美しかった。
「待ってください。あの……僕、フロイっていいます。この先の第四拾二地区の――」
それでも、ヴァンは気にせず歩き続ける。みなまで聞く気はなかった。厄介事はごめんだ。我が身を振り返れば、ルデカルでの人助けが巡り巡って鉱山送りになったのだ。トラブルにかかわって今以上に悪化することなど考えたくもない。少年を助けたのは、魔がさしたようなものなのだ。
ヴァンの意思を理解したらしく、少年はそれ以上追ってこなかった。足音が消えたことを契機に、ヴァンは再び振り返る。少年はその場から離れず、ただ黙って見つめていた。そして、諦めたように、「せめて、名前を教えてください」といった。
名前――。それくらいなら、とヴァンは自分の名を告げる。少年は、はっと目を見開いた。周囲の移民も小さくピクリと反応するのを、ヴァンは見逃さなかった。
忌まわしき魔物の名を少年はどう受け止めたのだろうか。ヴァンは一度も振り返ることなく、バルザイの元に戻り、歩を止めない。
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