第7話 驚愕

 カゴはしばらく動いてもなかなか止まらなかった。地下深くへ進んでいることは分かるが、それがどれほど深いのかは定かではない。鉱山に着いたときも思ったが、外観だけでなく内側もいつの間にか大幅に拡張されていたようだ。

 体が大きく揺れ、カゴの動きが止まった。

「着きましたよ」

 頑丈な扉をバルザイはいとも簡単に開く。重さなどないように片手の指だけで。

 そうして目の前に開かれた光景に、ヴァンは目を疑った。地下とは思えないほど大きな広場があったのだ。まず、目に飛び込んできたのはオベリスクのようなオブジェだった。平たい体をした生き物がうねるように天に向かう姿は、一目見て鉱石の元となった生物だと直感した。そのオブジェの周りを囲むようにベンチがあって、若い男が座り、その隣には驚くべきことに女が肩を寄せている。鉱山労働には適さないであろう老人でさえもオブジェの手入れをしているではないか。

これは一体どういうことなんだ。ルデカルで集められた者たちは、有用かどうかで選別が行われているのだと思っていた。そして、選ばれなかった者は廃棄、すなわち死が待っていると。

 そう思っていたのに――。年端もいかない子供たちが、ヴァンの前を楽しそうに駆けていく。

「すごいでしょう。移民の方たちが全部作ったんですよ」

 感嘆するように、バルザイはいった。

「何もいえないという感じですね。当然です。無理やり連れてこられた場所が楽園だったなんて想像できないですから」

 ヴァンは口を大きく開けた。「……どうしてこんなに自由でいられるんだ」

「今は自由時間なんです。一日のなかに数時間設けてあります」

「そういうことじゃないんだ」

 ヴァンはじれったそうにいう。――そういうことじゃない。労働の合間のつかの間の休息ということはまだ理解できる。だか、目の色が違ったり、タトゥーを隠すことなく露わにしている彼らは間違いなく移民だ。ルデカルでは市民に差別され、警備兵に捕まる忌まわしき存在。それが、なぜ拘束もされず自由に暮らしているのだ?

「ああ……」バルザイは顎に手をやり、「どうしてこの鉱山は自由か、そういう話ですね」

 ヴァンは首肯する。

「確かにルデカルは自由です。それは他の鉱山と比べても著しい。理由は明白ですよ。つまり」

「他の鉱山……?? ひょっとしてルデカル以外にも鉱山はあるのか」

 ヴァンが遮ると、さすがにバルザイは気を悪くしたようで「そこからですか」とため息をつく。

「当然です。鉱山は国中にありますよ。西にあるニナの街では火の鉱石が採掘されますし、北のシーディアからは水の鉱石が取れます」

「知らなかった」ヴァンは素直に驚いた。

 ヴァンは故郷の村とルデカル以外の外の世界を知らなかった。鉱山が各地に存在していることよりも、知らない街がたくさんあることに驚いた。

 バルザイは得意げに続ける。「まあ、知らないのも無理ありません。外の情報は入ってきませんしね。それにルデカルは保守的な街ですから。とはいえ、これでも私だって知らない方です。ここの責任者に任じられる前に、視察で訪れた街の知識だけですから。実際はもっと多様な鉱山と鉱石があるのだと思ってます」

「他の街もルデカルのように栄えているのか」

「それは……」バルザイは天を見上げる。つられてヴァンも見たが、その先は暗闇だった。「惨憺たるものでしたよ。詳しくは分かりませんが、火の鉱石も水の鉱石も使用用途が限られているようです。だから、採掘して加工しても厳しいと、担当者は嘆いておりましたよ。その点ルデカルは運がよかった。風は応用が利く」

 確かに、とヴァンは思う。火は起こせるし、水も尽きることはない。一時的に多量の火や水が必要な場面があったとしても、常日頃より鉱石の力に頼るまでもないだろう。だが、風は違う。人工的には起こせない。ヴァンは先ほどのカゴを動かした風の力を思い出す。あれだけの大きな力があれば、人間の労力など不要だ。交易で各街が欲しがるのも当然といえる。

 と、バルザイは咳払いをする。

「おしゃべりが過ぎました。どうして自由か、でしたね。ニナの街にいったときのことです。そこでは鉱石の採掘を囚人がしていたんです」

「囚人が? 移民ではなく?」

 バルザイは苦笑する。「どこもルデカルと同じとは思わないことですね。ルデカルは栄えているので移民ですが、貧しい街ですと囚人で賄わないとならないみたいです。とにかく、そこの責任者は厳格な管理下で囚人を徹底的に働かせていた。命を落とす者は日常で、息を吸うように人が死んでいた。だから、採掘の効率も落ちる。品質も落ちる。応用を考える者もいない。悪循環です。鉱石資源を活かせないということは、街の退廃を意味します。鉱山のみならず、街の有様は惨憺たるものでした」

 ヴァンは絶句した。そんなことがあるのか。ルデカルでは移民が差別されていたが、話を聞くと他の街の事情はより深刻なようだった。

「ニナとシーディアでは『菓子と錫杖』の錫杖しか与えなかった。そこで私は考えました。私の鉱山では自由を与えようと。その結果がこうです。移民の皆さまはよく働き、このように楽しく暮らせている」

 バルザイは大仰に両手を広げてみせる。太い指に着けられた金の指輪が禍々しく光った。

「ここは理想の街です。差別もない。環境もいい。そりゃあ労働はいささか大変ですよ。ですが、それでも外の世界よりも住みやすいといっても過言ではないでしょう。どうです、見方が変わりましたか?」

 バルザイはそう締めくくった。ヴァンは再び、広場を見やった。

 若者も老人も子供だっている。移民だけが暮らす希望の街が広がっていた。

 しかし、とヴァンは思う。ここにはサリュがいない。いくら移民だけの街だとしても、サリュがいなかったら楽しくもなんともない。サリュは今何をしているだろう。元気でやっているだろうか。

「サリュ……」

 ヴァンは慌てて口を閉じる。

「何です?」めざとくバルザイが問う。

「いや……いくら差別のない、環境のいい街だとしても帰りたい人もいるだろう。ここにはカプリーノの丘から見える壮観な眺めも、降り注ぐ太陽の光もない。全員がそうとはいわないが、そういう人だっているはずだ。入ったきり出られないなら希望の街も絶望と同じじゃないか」

 あえて、サリュのことには触れなかった。

「そうでもないですよ」バルザイは意外なことをいった。「鉱山を出る方法はあります」

「まさか」

 ヴァンの動揺を、面白そうにバルザイは見て、「鉱石を取ることです。高純度で」とほくそ笑む。よほど自信があるみたいだ。

「どういうことだ……」

 聞いたヴァンに対して、バルザイはますます増長して、演説を始めた。

 バルザイによると、この鉱山ではグループ単位で採掘を競い合わせていた。そして、そのグループの一人、とくに功績の優れたものには褒美が与えられる。すなわち、鉱山からの解放、永久の市民権。それを希望に移民たちは労働に励んでいるのだった。

 バルザイは説明を続けた。

「確かにこの街から無条件には出られません。ただ、条件はわずか一個。高純度の鉱石を見つければいいだけです。難しいことはありませんし、入ってすぐに出ていった方もいます。見たところ、あなた体が強そうだし期待ができそうだ。なにしろヴァンですからね。ま、私にはわざわざ外の出る気持ちは分かりませんけど」

 まさしく、菓子と錫杖の菓子だった。バルザイはニナとシーディアの失敗を教訓にしていた。もしかしたら、バルザイは為政者並みの傑物なのかもしれない。

 それにバルザイのいうことはもっともだった。たとえ市民権があっても差別は根深いから、外の暮らしは難しかった。警備兵に捕まることがなくなったとしても、隠れて暮らす未来は目に見えている。だから、何もかもバルザイの指摘通りだった。

「外ではいい噂をまったく聞かない」

「誰かがぶっそうな噂を流してるんです……酷い話です、こんなにいい街なのに」

 バルザイはわざとらしく長い袖を目元に押しつけ、話を終える。

 演技ぶった話し方は気になるが、嘘を話しているようには見えなかった。だが、移民だけの街――これほどまでにうまい話があるだろうか。最後まで聞いてもヴァンは信じられそうにない。鉱山法が広まるずっと前からルデカルではずっと酷い思いをしてきた。なのに鉱山で暮らせば解決するなんて皮肉な夢じゃないのか。

 だが、一方で信じたい気持ちもある。広場にいる移民たちは皆、思いのまま憩いの時を過ごしている。目や肌の色が違ったり、タトゥーを入れているのはルデカル民が偽装してどうにかなるものでもない。

 もしかしたら……永久にサリュに会えないと思っていたが、間違いかもしれない。バルザイはいっていた。高純度の鉱石を見つければ会えるのだと。鉱山の環境も想像以上によかった。これならば、どうにかなるかもしれない。ヴァンの心に微かな火が灯った。

 でも一つだけ気がかりだった。歩きながら、ヴァンは考える。

 どうして両親は鉱山のことを話したがらなかったのだろう。

「さあ、行きましょうか」

 話しかけられて思考が途絶える。

「あ、ああ……」

ヴァンはバルザイの後をゆっくりと進んだ。

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